寺報 清風










 赴任地ハワイから帰国して早半年が経過。帰国して間もない去年11月には寺で「お講さん」が勤められました。私にとっては始めての寺での行事報恩講、タダタダおろおろするばかり。でもお詣り下さった方々、準備・仕込みなどにご奉仕いただいた多くの門徒さんのお顔など貴重な出会いもありました。有り難さをも感じつつ、関係諸氏のお念仏のご報謝をお受けしました。

 大晦日からの「修正会」行事にも裏方程度でありますが、経験させていただきました。早朝の「おあさじ」にも時々参加させていただく日々を送っています。日本(知立)での生活はまだ短く特筆するようなことも少ないため、紙面でアメリカでの生活を振り返り、少し書かせていただきます。

 ロスに3年、ハワイには2年ほどの生活があったのですが、やはり印象深いのは海外での二度の出産です。日常の会話ができるほどの英語力しかありません。こと妊娠や出産時に使うような用語までは知り得ません、第一子(長女)のお産のおり、米人の医師に対して私の英語では意思が通じません、困惑しました。また出産した即日に退院するのが慣例とのこと。聞いていた日本での「お産」の様子とは違い、不安と戸惑いの経験は、残像が今において強く過ぎります。

 次女の妊娠中にロサンゼルスから新・赴任地に転居しました。なじみのない土地で引越しの整理をしながら産婦人科医を探し、通院するといった慌ただしいハワイ生活の再スタートでした。二人目の出産ということもあり少しは余裕があったのですが、陣痛から出産までの進行があまりにも早かった。

 病院に向かう途中、車の中でお産してしまうのではなか、ハラハラしながらも、結果は間に合った。産院に飛び込む、横になるや否や出産となりました。安堵する傍ら、全身の力が抜けていきました。

 若院は@ロスの別院、Aハワイ別院、Bカネオヘ在の本願寺、計3ヶ所の寺が勤務地でした。単身でなく家族同伴であったため、それぞれの寺のメンバー(檀家さんのこと)の方々、特に主婦の人たちの援助がありました。私は地位としては坊守であったのですが、なにせ2児の子守にかかりきり、行事の準備・手伝いはさほど出来ません。しかし配所のハワイまたカネオヘでは境内地の片隅に住居し、一歩足を進めれば本堂という環境で生活(ロスではアパートから車で通勤)していましたので、海外の本願寺を主婦の目で少なからず見聞できました。

 海外の寺院においては「日曜礼拝」が主要な行事。プログラム中の『真宗宗歌』『恩徳讃』のオルガン演奏は私が担当、これが難題。時に指使いをとちり、参詣者たちがへたな伴奏に合わせるといった有り様。胃が痛くなった、落胆した場面も回想される。参会者はさほど意に止めてないと、夫(若院)の忠告があっても、私の泣き顔には馬耳東風。落胆しきりでした。

 お盆の時期、それぞれの寺で行事「盆おどり」が盛んに行われていました。1週間前からメンバーに呼びかけ、バザーの値札付け・当日販売の料理の事前準備、その他のシーンがなつかしく思い起こされてきます。

 「開教使」としての二つの大きなイベントがありました。『ロサンゼルス別院の百周年』記念行事と、ホノルルにおける『第10回世界同朋大会』でした。後者はまだ記憶に新しく、去年8月下旬のことでした。

 事前準備に追われ続けた若院は連日寺に泊まり、役宅にあって私どもは母子家庭同然のありさま。こうした夫不在同然の生活が百日続いた中、かくも睡眠時間が少なくなることをしみじみ思い知らされました。

 『世界同朋大会』初日には京都・本山からご門首夫妻がご出向。滞在中の接待役を指名されました。湯呑み茶碗や茶托など、普段のものしかない状況に困りました。ハワイの地でのご接待、有り合わせのもので間に合わせ、心ばかりの呈茶で我慢していただくしかないと決めて・・・

 急須に、お椀に熱さ加減、湯の量など事前に十二分特訓し臨んだものの、いざ本番には手が震え、びくびくした所作で、それは呈茶掛というのには、あまりにもお粗末な姿があったに違いないこと、忘れ難いことの一つであります。

 5日間大会は順調に進行した。結局、大会テーマの班別には参加できなかったが、終了前夜の「晩餐会」の交流パーティーには、子供二人を同伴して席に着くことができました。

 最終日にはハワイ別院本堂での『帰敬式』があり、多くのメンバーにご縁を呼びかけました。長女も受式者の一人として申請したところ受理されました。よって法名を受けることになりました。羅府(ロス)で生を授かったことに因み、住職(父)から「釈尼羅生(らしょう)」という名前をいただいた。4歳児が式中、静かにして授与を受けられるか懸念していました。結果ご出向された「ご門首様」まで進み出て法名を頂戴し、嬉々とした顔で走り戻ってきた場面には、母としてのうれし涙が流れていました。

 終われば帰国することとなっていたこともあって、世界同朋大会前後の時期は、ともかく多忙かつ充実した熱い日を、暑い地で送りました。振り返ると海外生活は、時に不安で心細かった時も多くありましたが、ともかく貴重な体験をいただきました。結婚して直ちに米国へ。通算約5年、色々な悲喜こもごもな場面がフィードバックしてきます。

 これからは御門徒さんが支えてくださる「称念寺」を主に住まわせていただき、地道に皆様と共に歩ませていただくことです。

 今後とも未熟な私に、夫子ともども御助言ご指導宜しくお願いいたします。 [文:伊勢友香]



09年帰敬式
 
帰敬式は、おかみそりとも言われ「仏法僧」の三宝に帰依し、宗祖親鸞聖人が明らかにされた、み教えに自らの人生を問いたずね真宗の門徒として新たな人生を歩みだすことを誓う大切な儀式です。受式されますと、仏弟子としての名前である法名(釈○○)が授与されます。
 
 会場:三河別院
     日時:3月8日(日) 午前9時
 申込:2月25日までに受式冥加金(二万円)を添えて、お寺まで。
 解らないにも 帰敬式を 受けた孫


年忌表

 1周忌  平成20年没
 3回忌  平成19年没
 7回忌  平成15年没
 13回忌 平成9年没  ナゴヤドームが開業。
 17回忌 平成5年没  サッカーJリーグスタート。冷夏で米を輸入。雅子さま結婚。
 23回忌 昭和62年没 石原裕次郎が死去。国鉄が民営化されJR。
 27回忌 昭和58年没 任天堂ファミコン発表。戸塚ヨットスクール事件。東京ディズニーランド開園。
 33回忌 昭和52年没 王選手ホームラン756号世界記録樹立。日本赤軍日航機をハイジャック。
 37回忌 昭和48年没 前住職(研学)還浄。オイルショック。関東大震災50周年。
 43回忌 昭和42年没 東京都知事選で美濃部良吉が当選。小笠原諸島の返還発表。
 47回忌 昭和38年没 ボーリングブーム。日米間テレビ宇宙中継受信成功(ケネディ暗殺)
 50回忌 昭和35年没 皇太子・浩宮徳仁さん出生。カラーテレビの本放送が開始。

 立春は過ぎても「春は名のみの・・・」の通り、厳しい寒さが続いている。

 梅一輪 一輪ほどの暖かさ 嵐雪








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2009年2月号

これから よろしく
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳