寺報 清風











 某葬儀会館のテレビCMで、「お母さんは誰から生まれたの、おばあちゃんは誰から生まれたの?」と可愛らしい子供の声で歌われている。小さなお子さんのいる家庭では、母親が子供に「あなたはお母さんのお腹の中から生まれて来たのよ」と優しく語りかけている姿が想像されます。そのことを受けて、子供が「お母さんは誰から生まれたの?」と質問し、母親が「お母さんは、おばあちゃんから生まれたのよ」と。そして子供がまた、「じゃあ、おばあちゃんは誰から生まれたの?」と聞き返す。それぞれのお母さんはなんと答えたのでしょうか。

 私も長女から同様の質問を受けた。子供が知らず知らずのうちに、純粋に「自分は何処から生まれてきたのか」、言い換えれば「自己とは何ぞや」と、根本的な問いかけをしたのだと思います。

 私たち大人も、自分の祖父母の名前や何をした人であるか、ということを知ることはそれ程難しいことではない。しかし曾祖父母(ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん)、高祖父母(ひいひいおじいちゃん、ひいひいおばあちゃん)までいくと、私自身を含めて多くの方が、名前すら知り得ないこともありましょう。

 春秋のお彼岸、お盆にはお墓参りをし、法事には参詣してお勤めをし、先祖供養を大切にしてきた方でも、やはり自身の直接知り得る両親、祖父母を対象にすることが多いであろう。確かに、父親と母親、そして4人の祖父母の1人が欠けると、今ある私自身のいのちが存在し得ません。しかし、さらなる8人の曾祖父母、16人の高祖父母。自分から数えて10代さかのぼれば1024人、20代さかのぼれば104万8576人の先祖が誰にも存在する。さらに、30代さかのぼると、10億7374万1824人となる。その1人が欠けても「私」は生れてこなかった。

 1代を約30年としても、これで900年の歴史をさかのぼったに過ぎません。たった1人の母親の子に託す願いの深さからして、私達ひとりひとりはどれ程の願いをこの身に背負っているのか。


 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 (『正信偈』より引用)

※意訳:たとえば、雲と霧に日光が覆われたとしても、その暗い雲と霧の下でも、自らの足元だけは明るく、全く暗いということはない。


 仏教とは読んで字の如く、「仏の教え」のことです。その「仏」とは誰かといえば「覚者」、つまり「目覚めた者(人間)」を意味します。悟りを開くとは、真理に目覚めること。約2500年前に、ゴータマ・シッダールタが世の真理(仏法・ダルマと呼ぶ)に目覚めて、仏(仏陀)となられたことが仏道のスタートです。その真理が「縁起」ということであり、これがあらゆる仏教の教えの基本です。

 縁起とは、すべての事物には必ず因(原因)と縁(条件)とがあるということ。よく例に出されるのが、咲いた花の縁起です。因は花の種ですが、種だけでは花は咲きません。条件に依る。その条件とは、土であり水であり、太陽の光、養分、温度、空気など、必要な条件があります。逆に種を鳥が食べてしまう、新芽をイヌが踏む等、あってはならない悪条件は数えきれない程無限に存在します。この「ご縁」を大切に受け止めて来た人々の歩みが、仏教徒の歴史です。


 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 (同じく『正信偈』より引用)

※意訳:尽きない煩悩のために私達の眼が遮られて、本当に大切なものが見えなくとも、大悲=仏の智慧がいつも私の生き方を照らし出す。


 いま地球上に生きるすべての生物は、およそ40億年前に生まれた原始的な生命にその起源をもつと言われます。長い歴史の中で様々にその姿を変え、支え合い、そして今に至ります。この「私が今、ここにいる」という事実は、本当に奇跡的なご縁で「有り難く」成り立っている。ここに依って初めて、「生きている」ということが「生かされている」ことへと転換する。

 思い通りにならないことへの不満や愚痴に満ちた私達の日常も、いざ失ってしまえば、きっとその大切さに気付くことばかりです。自分の苦労や努力があってこそと思ってしまう私達にも、合掌して頭を下げて、いのちの問い掛けを聴く場が開かれている。一番大事だと考える命や健康を、いのちたらしめている本当に大事なものは何であるか。死にたくはないけれども、死ななきゃならん人生をどう生きるのか。また今年も春のお彼岸の場で、共に聴聞させていただきたいと思います。

[文章 若院]




 ★ 本堂の用材の確保

 日本の木材の生産・流通システムは、非常に複雑なものです。まず森林の現場には、植林家(林屋ともいう)や森林組合がある。山を所有し、森林を育て、木を伐りだすという第一次生産がある。組合とは、零細な山林業者が多いため、共同して育林から伐り出しまでの作業を効率良く進めるために組織された林業の農協型といってもよかろう。

 ここで生産された皮付きの丸太、つまり「原木」は、原木市場に出荷されます。そして製材業者が競りによって、太い銘木は「1本いくら」、細いものは「一山いくら」で原木を買い付ける。製材業者はそれを加工して柱、梁や板を作ります。この業界は小規模零細で、角材の専門加工、板材・合板専門の加工工場と細かく区分化されています。

 製材された木は、製材品市場に出され、そこで卸業者や工務店が買い付け、さらにプレカット工場や小売店を経て、直接の使用者である施工業者(工務店)に届くこととなる。

 そもそも本堂を建てる際に必要となるのは、様々な材質・寸法の木を使用します。特に一般家屋の木造の使用材は「多樹種少量」であるため、用材のリスト(木拾いと呼ぶ)が必要となり、建築面積から算出し調整するために、原木市場・木材市場があり、それを核として種々の流通が存在しています。

 新・本堂の用材は、「少樹種多量」を基本構想とし、より安価に入手するために、新・本堂の用材は原木市場の段階で購入した。その原木は各置き場で自然乾燥の処理にあたっており、着工の時を待っている。

 用材の樹種は、@ケヤキ、Aチーク材、Bブビンカ、C三明の松の4種類と、極めて少ない。かつ@とAが全体材の9割を占めている。ケヤキは広葉樹で、材は黄褐色で木目が美しく、重厚感のある材が採れます。狂いがなく耐朽性も高いので、社寺の構造材や大黒柱、盆や漆器の木地などとして賞用されます。チーク材は対蟻性があり、シロアリ・水に強い木として知られる銘木である。高級な内装材として、また船舶の甲板などにも使用されるミャンマー産の用材です。適材適所の本堂造りを思考して、これらがより素晴らしい木であり、安心できる用材ではなかろうかということに至った。

 用材には大きな問題がありました。それは「乾燥」ということ。今、日本で流通している建築用材の9割近くが未乾燥材(含水率30%以上)です。そもそも木は、生きている間はたくさんの水分を含んでいます。切ったばかりの木は湿っていて、表皮を鉈で剥ぐと飛び散るほどの水が出ます。含水率の高いスギ材でいえば、長さ5メートルの柱材1本の中に、ビール瓶にして約50本分の水分が含まれているという。ケヤキの水分はスギの50%ほどと言われている。

 原木として伐り、放置しておくと、徐々に水分が抜けていき、特に太い寺院用のケヤキ材などでは10年ほど経過して後、ようやく15%を切るようになる。乾燥の過程で、木は縮小・歪みを生じました。含水率25%が15%へと移行する7、8年以後に、「結合水」という細胞壁内部の水分が消失し、一番の変形が起こりました。

 十分に乾燥していない木を建材に用いれば、この歪みが建築後に生じてきます。現在ヒノキの柱などを用いる場合には、多くは「背割り」を入れますが、これは未乾燥材であるが故の技法です。柱の表面に裂け目がはいる可能性が高いので、あらかじめ見えない面に裂け目を入れておくことで、それを防ごうとしているのです。

 寺の用材を事前に購入して乾燥させているが、長い年月を経るなかで寸法も変わってきました。買った当時に6mあったケヤキ材でも、乾燥していくうちに5cmほど短くなってしまいました。胴周りについても、目測できるほどでないにしろ、いくぶん細身になったように窺われます。

 歪みを最低限に抑えるには、施工前に使用材木を乾燥させておかなければなりません。このため木造本堂ならば10年ほど自然放置するか、人工的に乾燥させるかの必要がありました。

 「KD材」と呼ばれるものは、人工的に乾燥処理された用材を言います。近年、実用化された用材を周波減圧乾燥(電子レンジと類似の方法)高温室での乾燥、低湿室での除湿乾燥などがあるが、設備投資、経費などに問題があります。また建築期間は短ければ短いほど良いとされます。よって、ゆっくりと木の乾燥を待つ時間がないのが現状です。

 施工上では、建物に気密性を求めます。柱を全て内壁で隠してしまう「大壁」という施工法も多く行われるようなった。壁の内部で柱が変形すれば、壁板に隙間が生じたり、壁紙が裂けもします。未乾燥材での問題点でもあります。

 ケヤキ49本、チーク100本、その他の用材も、原木の形状で購入され、搬入され、厳重に保管されている。10年間とした「自然乾燥」の経年も、まもなく最終段階に近づいています。健康に良く、美しく、耐久性に優れ、山を守る・・・。そんな『木』の本堂を・・・


[文章 住職]



 ≪本山・収骨の名称変更について≫

 2004年3月からの約5年の歳月をかけた本山・御影堂の修復も、昨年秋に竣工を迎えました。いよいよ明年に750回忌の御遠忌法要が厳修されようとしています。この工事において、須弥壇の収骨施設も拡充工事が行われました。

 これにより従来、須弥壇収骨と言っていた名称が、真宗本廟・収骨と名称が変更されました。なお既に上納され、発行されている「収骨証」は、従来と同様にお取り扱いがされます。


 ≪御遠忌の団体参拝について≫

 明年の春の京都では、東西の本願寺で御遠忌が勤められる。さらに浄土宗においても法然上人の800回忌が来年です。東山華頂山・知恩院が本山である。市の美術館など各施設をはじめ、特に交通・宿泊などについて京都市では対策がなされているようであります。

 よって大谷派各末寺からの団体参拝の日程は、事前に調整目的で割り振りとされました。結果、拙寺には5月28日が指定されました。この日は3か月(71日間)にわたる春の御遠忌の法要の御満座(最終日)という、もっとも重々しい結願の日が登録日となりました。この法座に確保できました本廟内のイス席の数は、バス1台分の人数という結果でありました。


 ≪世話方の改選≫

 2年任期の世話方各位は、本年4月末に手満了となります。よって@寺報を配布、A行事のお手伝い、B年会費の徴収とした役割の世話方の改選の時期となりました。寺のご門徒を区分けした町別・各所で、現世話方から引き継いで向こう2年間の新・担当をお願いにお伺いします。なにとぞ、ご理解ご協力いただきますようお願い申し上げます。現・世話方様には、最終にこの『寺報清風 彼岸号』を配布いただきます。

 お世話になりました、心より御礼申し上げます。






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2010年3月号

私の背景
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳