寺報 清風












 先般、亡くなられた称念寺のお檀家さんの一人であるSさん。その人生を見つめる視点や社会に対する洞察は深く、私も色々と教えていただいた方であった。法事の際、院号法名について「地獄の沙汰も金次第やな」と笑いながら批判されていた。また「私はお経の意味はわからんが、人間とはどういうものか、どう生きるべきかは学ばしてもらった」と語られていた。繰り返しお説教を聞法し、自身の生活の喜びや苦悩からでてきた、真宗門徒らしい、端的だが鋭い言葉である。

 仏教を学ぶことは、人間を学ぶことである。だから、仏の教えとは何かといえば、自分とは何かということと同義となる。かつて私が本山・東本願寺で僧侶の資格を取得した修練でも、前後期の計2週間のあいだは徹底して「自己とは何か?」を学び続けた。しかし、その質問の答えを導き出すことが目的ではない。聖典にある答えは「凡夫」で、最初からあるいは常々与えられている。よって凡夫とはどういう者かを学び、本当に自分が凡夫であるのか確かめ、そのことがどのような問題であり、どう引き受けていくのかが中心的な課題であった。

 しばらく「健康で長生き」が、私達の幸せの秘訣、あるいは人生で最も大切なこととしてよく語られてきた。ところが医療や福祉が発達して世界一の長寿国になった日本で、大勢の方々が実際に長生きするようになると、決して手放しで喜べないことがわかってきた。目や耳は悪くなり、足は動かず、忘れやすく若い者にはバカにされ、それまでできたことが徐々にできなくなっていく。連れ合いや兄弟に先立たれ、子や孫まで先に見送らなければならない。そんな年配者を介護する団塊世代から見て、自分はそこまで長生きしたくないと感じ出した方も多い。だから、自分は丁度良い平均寿命前後でいい、それまで健康であれば、といったところか。

 人間は自分一人で生きているわけでなく、つながり(ご縁)を生きているので、自分だけ健康で長生きしても、そのことだけで満足して生きる拠り所とはならない。また、健康には人一倍気を使い色々なことに手を出すが、そのことによって本当に何を求めて生きているのか、その迷いから抜け出せない。他人の死に対しても、長生きすれば「大往生だ」、若くして死ねば「残念だった」と。故人がどんな方で、何を願い、どんなことを心に秘め、人とどう出会ったか、どんな音楽が好きか、何を悩み何を喜び生きたのか。過去にも未来にも、唯一無二の故人のいのち全体の尊さをよそに、身勝手に決めつけてしまう。誰しもが抱える凡夫の煩悩(無智)が仏教では明らかにされるのだ。

 人生の長さだけでなく、私達はどうしても比較する心から離れられない。自我に執着し、自分のことは棚に上げ、他人の批評ばかりしている。テレビのニュースで豪雪地帯の映像を見て、大変そうだなあ、あそこに比べて知立は有難い、と感じておられませんか。病院に行って独り寝込む病人に、「ああはなりたくない。私はまだましや」と。アフリカの飢えた子供達の映像が流れれば、「たまたまアフリカに生まれていたら、お前達も大変だったぞ。ここに生まれて良かったな」などと私も子供達に言ったことがある。逆に子供達は素直に、不運な境遇の同世代の子供達に食べ物やお金を送って助けてあげられないか、と感じているのにである。人は皆、その顔かたちだけでなく、性格も境遇も願いも違うなか、仏の眼だけが平等に優しく哀れみ慈しむ。

 私達の歩んできた人生は、徹頭徹尾、自分中心に物事をみてきた道である。その時々をできる限りあるいは自分なりに一生懸命頑張ってきた。苦しかった悲しかったことも乗り越え、時に取り返しのつかない失敗もし、良いことも悪いこともバランスをとりながら生きてきた。様々な人と出会い、経験から学び、自分なりの善悪、倫理、哲学があろう。しかし仏の眼に照らされれば、その根本は「自分にとって損か得か」であったことに気付かされる。夫婦喧嘩でも一生懸命に主張をするが、その原因は自分の都合、思い通りに行動しない相手を非として腹を立てている。寒ければ暖房、暑ければ冷房、暇ならテレビか携帯、腹が減れば美味しいものを求め、人にはなるべく良く見られたい。私の家でも、洗濯機には乾燥機能がついていて、最近は食器を洗ってくれる食洗器まできたが、決して嫁さんの人生が豊かになったとは言えない。楽な暮らしを求め文明が発達しても忙しく、医療が発達しても病気や死の心配や不安が絶えない。

 私達の願い求めるような、苦しみを減らし楽で幸せに暮らせる方向に、本当に満足していける道はない。そのなかで、迷える凡夫を救おうという仏の本願を聞き開き、お念仏を称え自己を深く見つめ、共に生きる人々の違いを大切にし、決して思い通りにならない各々の人生を力強く歩む道が、親鸞聖人から脈々と伝えられてきた。本当に生きるとは、何かに命を懸け、完全燃焼するだけでなく、自己のあり方をまるごと深く見つめる先に道もある。先述のSさんは、その人生のほとんどを私は知らないが、私達の求めるべき同じ道を先に歩まれた一人であったことが尊い。


[文章 若院]



≪本堂:施工業者が決定≫ 

 本堂建設にあたって、設計は2社が担当しました。名古屋市のアスカ設計(古橋武生さん)と岐阜市の田中設計事務所(田中義三さん)が担当くださいました。約8ヶ月の長期間を要した設計図面が完了したのは、昨年の11月のことでした。その図面に基づいて8社の社寺建築会社に入札を呼びかけました。12月中旬、設計図面に基づいた「入札説明会」を玄関の間において開催しました。

 県内からは2社、岐阜県内の社寺会社が3社、さらに福井、石川、山形県から各1社。総計8社でした。本年1月14日に各社からの入札額の回答が寄せられました。古橋、田中の2名の設計士が、各社の入札額の是非を検討、審査して、「丸平建設」を推薦いただきました。よって私・住職と若院は、丸平建設さんが過去に建てた本堂などに見学に赴き、その寺の住職さんから丸平さんに対するご意見などをお尋ねさせていただきました。いづれもご好評のお話を報告くださいました。さらに本社工場をも訪問いたしました。大きな敷地にあるそれぞれの作業棟では、各従業員が活発に動き回っていました。これを寺の役員会の会議にて報告しました。

 また拙寺の2月の建設委員会において、施工会社丸平建設と綿密な話し合いをもって本堂工事の内容を確認しました。

 2月14日(木)、称念寺役員会と「丸平建設」は、施工に関する書面に署名、押印しました。直ちに契約に基づいて受注額(詳細は後日)の一部を銀行送金しました。2名の設計士にも、設計料の一部残金を振り込みました。

 丸平建設KKは、岐阜県揖斐郡大野町に所在します。社長は4代目・林寛さん(43)。工事現場の監督には辻幸司さん(55)、筆頭大工には野口好治さん(63)を推薦し、称念寺の本堂施工者として伝達されました。

 4月から新本堂の工事に丸平建設さんが着手、車両の出入り口を設け、旧本堂を解体します。5月11日(土)に起工式を予定。


 手に触れて 墓に親しむ 花曇 (石原舟月)







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2013年3月号

人間を見つめる
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳