寺報 清風






         親に成りきれず


 正月が過ぎしばらくしたその日の朝も、妻と中学1年の長女の大ゲンカから始まった。口を開けば「スマホ買え」が丸1年、私は疑問であったが母娘の対話で結論した「iPhone8さえ買えば彼女は満足する」と感じた妻が、スマホを買い与えて2日目のことだった。朝、知立駅まで車で送ると、普段は陽気に歌ばかり口遊む彼女が珍しく、黙ったまま窓の外を見つめていた。その1週間前にもバトルが火を噴いた。怒った娘が放った「死ね、クソババア」という言葉に妻の堪忍袋の緒が切れた。こうなるともう手がつけられないので、私は風呂に入り「傍観する側」にまわった。反抗期といっても、親の言うことに従順するだけでなく、しっかり自己主張できる大人になる成長に必要なことであろう。けれども四六時中、妻も私も腹の立つことばかりだった。

 早朝4時から複数の目覚まし時計を鳴らし続け、朝に一人起きては携帯とテレビ、既に2度学校に呼び出されたので問題なしとは言えないが、在校中は一緒にいないだけ平穏だ。部活を終え帰宅すると、娘のあらゆる行動が私達の注意や叱責の対象となる。お菓子を食べればボロボロこぼし空の袋は床に捨て、風呂が沸くと「早く入りなさい」と言われながら返事だけ、親のスマホは9時までと規則を決めても遅くまで触り続け、食事をすれば姿勢も悪く箸の持ち方も何十回言っても直らない。メガネを買えば掛けたまま寝てすぐ壊し、コンタクトにすれば使用ルールを守らず長い爪のまま付け外す。感謝すべき弁当の箱を流しに持っていくことすら後回し。列挙すればまだ多数、きりがない。

 私などはイライラし、聞かないならと軽くシバいたりもしていた。私達夫婦からすれば、当たり前のことが何故できないのか、「この人生の為」という意識が強かった。だがこんな調子で怒られてばかりだから、娘は完全に居場所を失った。頑張って「うるさい」と抵抗もしていたが、昨年末には「なんで私だけこんなに苦しまなければならないのか。こんな家に産まれなければよかった」、「産んでくれと私が頼んだんじゃない」という、テレビドラマのような言葉が彼女の口から発せられた。それからは日常の挨拶や会話すら成り立たなくなった。実際、何がより良い人生の為になるのか、わかるはずもない。また親子で刺したり刺されたり、虐待や自殺の報道が絶えないが、これは他人事でないと私は重く受け止めた。

 蓮如上人の御文も「女人」への語りかけが多いが、女性だからこその苦悩もあったのだろう。夫婦で話し合った以後、心中では自己嫌悪していた叱り散らすことを、妻は自ら戒めた。翌日テストがあるというのに「勉強しなさい」とも言わない。もちろん私が言っても「もうやった」と娘は聞かない。しかし、妻には「自分の人生なのだから、それで得しても損しても自業自得」と何か冷淡なものがあり、これが本当に自分と異なる者を認め合う世界なのだろうか、と私には疑問が残った。単に人と人がバラバラになっただけで、言いたいことを一時的に我慢しているだけでないか。しかも、その後が冒頭の朝の大ゲンカであった。

 私は仏教の教えに立ち帰ろうと思った。そこで教えられたことは基本中の基本、浄土の仏さまの御心は「嫌わず、選ばず、へだてず」である。だが現実の娑婆では、夫婦や兄弟、親子といえども、完全には理解し合えない。人を信頼できないだけでなく、お互いに尊重できず声や願いが聞こえない。その根本が「我執」であり、そこに目覚めた処から初めて人間関係が開かれる。しかし、褒めて伸ばそうが、叱って正そうが、褒美を与えたり取り上げたり、親は思い通りに子供を歩ませようとしてしまう。大人が知識も多く世間を知っており、わからせようと裏目ばかり。正しいのは自分、お前が間違っている。その傲慢が、最初は「ただ無事に」と願った彼女の誕生の意味を奪ったのだ。お互い「どっちに似たのか」と夫婦で責任転嫁をもしていた。だが浄土真宗の簡要は、凡夫だということは教えられるが、どうすれば正解かということは教えられない。各々のご縁に依るし、そこに戒律のない厳しさと普遍的な真実味がある。

 大した能力もない割に自尊心が強く、人からも認められたい欲求が人一倍強かった私は、20代の挫折から、思い通りにならない人生や周囲の人々に苦悩した。たまたま真宗の寺に生まれたご縁もあり、教えを聞くことを大切にしてきた。それは私が最も頼りとし、改善しつつ積み重ねた間違いのない人生の答え、つまり人や物事に対する良し悪しや価値の根幹は、身勝手な分別の量り(物差し)であることだった。私はいつも人様や自分に点数を付け生きていた。

 帰命無量寿如来 『正信偈』
 (若院意訳:皆で如来の量らないいのちに帰ろう)

 どんなに正しくとも、何かにつけ他人のせいにし、人の評価ばかりする人はまず嫌われ、関係が閉ざされる。正しい物差しで人を量るのでなく、愚かさや違いを認め合う生き方が大事だと感じ、ときに「決めつけてならん」と人を諭しもし、且つ人間は押し付けや排除を捨てきれない煩悩を抱える存在なのだと知り得たことに安穏としていた。過去に比べ少しはマシな人間になれたと思っていたが、逆に自分が楽になった分だけ周囲が苦しんでいた。それを傷ついた娘が照らし出した。念仏の教えが家庭の問題に対し間に合わなかったのでない。教えに触れたということが信心ではなく、自我を生きる地獄の仏道修行の出発点であったことを初めて教えられたのだ。

 現在も、親としての理想のあり方などわからない。私も妻も急には変われないが、娘とはなんとか向き合おうとしている。私が若い頃に心底苦しんだ「他人の評価する目」も、ネット社会が新たな世間体を生み出し、更なる閉塞感が蔓延する窮屈な現代である。だから、家庭で見せる一面だけで子供を理解したことにもならない。私にとっては、親子の関係性がかつて自分の物差しを見せた鏡を曇らせただけでない。私が私の人生のあるがままを引き受けることなどできていないのだ。そこに、本当のおやさま(仏)の慈悲の眼は、自分に深く執着し迷い生きる人間に向けられてきた。都合の悪い者も「諸仏」となり頭が下がる世界がある。今、どうしようもなかった娘を見るとまるで、仏から尊ばれる自分自身を見ているようだ。


[文章 若院]


欄外の言葉

 得をしたいことが人間の深い願いではない  高名和丸
 
 どんな人にもその人しかできない生き方がある  嶺藤亮


≪行事の案内≫

● 春季・彼岸法要 3月21日(水・祝) 午前8・10時 

 講師:尾畑潤子さん(三重県いなべ市・専称寺坊守)
 講題:別離がひらく さらなる出会い

 昨年の11月に坊守を辞任して、現在は専称寺衆徒となる。連れ合いは住職・尾畑文正さん(前・同朋大学学長)、現在はブラジルのサンパウロ別院にて開教監督の任にある。

● 相続講 5月18日(金) 午前10時より正午まで

 講師:花栄さん

 中国の内モンゴル出身の女性。60年代より中国共産党の権力闘争で無数の死者を出した文化大革命は仏教をも弾圧した。その影響で自身が育った環境には宗教というものがなかったが、日本に来て初めて仏教に触れ、親鸞聖人の主著『教行信証』に出会う。大谷派の同朋大学院(名古屋市)にて傑僧・曽我量深について学び卒業、現在は将来の方向性を模索しておられる。これまでの人生と念仏の教えへの思いを法話で語っていただきます。

● 日曜おあさじ① 6月3日(日) 午前7時より8時45分まで

 法話:高柳正裕さん(元・教学研究所員)

● 日曜おあさじ② 6月10日(日) 午前7時より8時45分まで

 法話:飯山等さん(現・京都大谷中・高等学校長)


≪収骨のお扱い≫

 大きな骨箱と、小さい6角形の「歯骨箱」があります。歯骨箱は東本願寺(宗祖・親鸞聖人の御影堂)に収骨することが大谷派の「慣行」です。よって3回忌の法事を終えた後に、ご本山または大谷祖廟に収骨されてきました。拙寺の「収骨室」に収めていただきますと、お預かりした歯骨の一部を後日(ご本山の報恩講期間中)御影堂に収骨します。昨年は11月28日にお持ちしました。また寺に収骨されていた遺骨の残りは、本堂・須弥壇の下「地下室」に収めました。


≪世話方の改選≫

 町の世話方さまを配置しています。その方が『寺報』、『お知らせ』などをご門徒さん宅に配布くださっています。2年の任期が4月末で満了となります。次なる方を、あたっていただいています。何卒ご協力いただきますようお願い申し上げます。


≪七高僧の板絵像≫

 本堂北余間に七高僧の軸が掲げられています。その七高僧の「板絵像」を入手しました。一枚板に彫刻されたもの。本堂のロビーの壁に掲げました。


≪しだれ梅≫

 昨年春に寄進いただいき植樹、山門前の「紅梅・白梅」一対のしだれ梅の蕾がふくらみ色着いた。この先年々、より見事になるであろう成長を期待する。下旬には境内のソメイヨシノの桜も。

 明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 親鸞聖人ご出家時の歌

 紅梅や 見ぬ恋つくる 玉すだれ  芭蕉





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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳