寺報 清風







                迷いの目覚め


 先日、妻とこんな会話があった。小学6年の二女についてだが、活発な彼女はこれまで色々なことに興味を示してきた。マラソン、テニス、百人一首、ボルダリング、バレーボールなど熱中しその都度、送り迎えを含め親としてできる限りの支援はした。しかし、短期間で上達しある程度のレベルに達すると途端に興味を失い辞めてしまう。熱しやすく冷め易い、飽きっぽい性格といえばそれまでだが、少し我慢して続け成果を残すことがなかった。そのことが親には不満で、将来の為にならず意味がないと感じられ、夫婦で話し合っていたのだ。

 そんな折、尊敬する先輩僧侶のお話で、「無為自然(ムイジネン)」ということを教えられた。何の為ということの無い尊さ、つまり人間の「為」という問題の深さであった。親の説教でも納得できない答えをして「お前の為だ」などという台詞は絶対に響かない。人を認識の範囲内に押し込めることは大変な傲慢である。もっとも、勉強しろだの将来を考えろといった説教は、親自身の自尊心の為、子に理想を押し付けることが多いもの。日常での我慢や口を閉じる要求も、その時々の状況や気分で都合よく従わせたいだけである。私にとって、為になるかどうかなど考えず、ただ好きだからと大事にしてきた読書、映画、そして旅が、どれほど精神の自由と豊かさを与えてくれたことであろう。法話を聞き、子供の将来の為という是非を決めつけた自分にハッとしたのだ。

 過去には、彼女が興味のない地理の重箱の隅を突くような問題を学ぶことに「いったい何の為になるのか」と問われた。伊勢湾に繋がる3本の河川が、木曽川、揖斐川、長良川であることを答えとする問題であった。確かに、その知識が生きていく上で役に立つとも思えず、やはり将来の受験の為に意味のないことも覚えなければいけないのだ、程度の答えしか持ち得なかった。逆に、子供がその都度、夢中になり精一杯楽しんだことを、将来の為にならないなどと何故言えたのか。すでに立派な聞かん坊となった長女から何度も教えられたのに、また同じ、自分の物差しで価値を決めつけ、一期一会の尊さを見誤った。お恥ずかしいことだが根底には、勉強も運動も良くでき、好きなことを見つけ将来の夢や職業とし懸命に努力する子供、そんな理想像を抱きそれを上とし、そうでない者を下と見た、私の比較の心であったのでないかと思う。これまで枕経や初七日で、人(故人)の人生を、生き様や死に際、生きた年数や功績に関わらず、「良い人生だった」とか「可哀そうだ」と評価せずに、その人が無二に生きた尊さを共に聴こうと何度伝えてきたことか。僧侶も凡夫、教えを憶念し続けなければ、自他を見失うことだと再度教えられた。

 そもそも私達の受けた学校教育は、始まりから「為」が中心となる。小学校の学びは立派な大人になる為、中学校の勉強は高校へ行くため、高校は大学へ、大学は希望する就職や生活の為。常に自分らしく今を生きることの意義が見失われ、それは表面的な作業となる。散歩やジム通いに精を出す年配者も多いが、老後の為であろう。かつて100歳を迎えたきんさんぎんさんが有名になり、ギャラをどう使うか尋ねられ「老後の為に貯金する」と答えたことは前向きなのか笑い話か。相続人となる身寄りのない老人の遺産が、今年度は500億円以上国庫に納められたという。

 私達は一体、何の為に生きているのだろうか。毎年歳を取り、病気も避けられず、最期はひとり命を終えていく。どうせ死ぬから、旅行やカラオケなど享楽しなければ損だという話ではない。誕生からして何かの為に生まれたのでないが、縁あって今ここに人間として私が在る。そして「私が私で良かった」と、人は今生きている実感を心の奥底で願っている。経済や健康の煩悩を満たす為でなく、原点である「いのちの為」を伝えたのが大乗仏教であり、本願の世界に帰ろうとの呼び掛けが「南無阿弥陀仏」である。

 速入寂静無為楽 『正信偈』
 自分の思いに溺れ迷う者こそ、信心一つで速やかに「何かの為」に囚われない、寂かな悟りの世界に身を置くことができる(若院意訳)

 我が身の在り様に目覚めれば、人間の知恵が見えてくる。人生の経験で学び得たことや盲信する人生訓は、つい助言や強制するほどに根が深い。他人に点数を付けてばかりの人は、自分の評価を疑わず上から目線の評論家であり続ける。お金を基準に物事を考える人は、すぐに値段を尋ね物の価値を金額に換算する。自分の居場所を確保することに懸命な人は、周囲の苦悩の声が耳に入らない。人付き合いを損得で利用する人は、都合が悪くメリットのない人を平気で排除する。正義を掲げ周囲を従わせようとする人は、自分も含め人間は弱いことを忘れている。スマホの情報やゲームに没頭する人は、二度とない時間を目の前の人と向き合う大切さに気付けない。何かを手に入れたら幸せになれると信じる人は、その後に違う物が欲しくなることを知らないままだ。いずれも、価値基準は身勝手な物差しでしかないので、当人以外からするとずれているのは明らかだが、最期まで自分ひとりが気付けない。腹を立てる度に、自分を正しい者として他を裁く私である。だから人間は「無智・無明」だと、迷いの事実に気付かされることを目覚めとし、常に照らし続けてきた光のはたらきが阿弥陀仏の教えである。自分が照らされたら、先に先達が、親鸞や七高僧が、そして釈迦が同じく照らされつつ、悩み生きた事実が立脚地となる。わかったつもりの自分の愚かさが深いほどに、共に浄土の光に頭が下がり生活する歩みが真宗門徒の仏道であろう。

[文章 若院]


欄外の言葉

 煩悩を抱え「よわった、よわった」と生きざるを得ない 孤野秀存
 
 自分が良いと思ったことを言うほど、相手は嫌がる 高柳正裕


≪若院の伝道掲示板≫
≪相続講・講師紹介≫ 

 5月20日(月)午前10時
 法話:棚橋めぐみ師

 棚橋さんは、大学卒業後に名古屋大谷高校で宗教を教えられ、その後は真宗大谷派の大垣教区でお仕事をされています。男性中心の仏教界で頑張っておられる若手の女性僧侶です。共にご聴聞くださいますようお願いいたします。
 

≪二病息災≫

 大腸の壁、破れ汚物が腹膜に流入。激痛。12月6日早晨のこと、本堂でのおあさじに着座したものの声が出せないほどの状態。すぐさま市内のF病院に駆け込んだ。診断、CT撮影の結果、隣接市のY病院に救急車で転送される。断腸の思いの痛みは頂点に達する。改めて診断して即、手術となった。昼12時、手術開始。ここまでの様子は、記憶の中にある。朧げに辿ると、年末29日に退院した、術後に人工肛門が付けられている。以後は自宅療養するもののなかなか起き上がれない状態、独り歩きができなかった。

 手術以後は自分の記憶でなく伝聞です。年末の29日に退院して自宅で療養、時折に通院する。除夜の鐘、元旦の修正会などもぼやっとしたものしか残っていない。この頃の寝床にいる私と会った人たちからは、住職は少しおかしいんじゃない?言っていることが意味不明などなどの状態であったという。

 意思の行動が定かになったのは、1月17日(日)。この日は、Kさんの仏事が本堂であった。術後初めて法衣をまとう。助音としておつとめ1時間に加わった。退院後の病床の視界にあるのは終日、寝床の天井、襖のみの視界だけである。傍らのラジオが終日流れている。専らNHK第一。本堂の裏部屋、和室6畳に横たわっている。22日(金)、保育園の行事、江戸かるたの競技は「読み札役」として参加し、「冬のかけっこマラソン」を参観する私があった。他は床に伏せっている。25日には本堂のおあさじ30分間に初参加したものの翌日は不参加。

 1月27日(日)は午後3時からの「お逮夜」勤行。法話1時間「病床にあって思う」と題した。2月23日(土)リリオホールでの生活発表会に出席、園児の成長ぶりを目の当たりにする。27日には、母・チカ子の祥月法要を執行する。28日、3月4日には病院の予約を、8月下旬まで通院日が設定されています。ほぼこれ以外は、寝床に身を置いています。

 1病・脊髄の圧迫骨折、リハビリに通院する。2病・人工肛門(ストーマ)の治療は、これより先1年の療養を示唆されている。

[文章 住職]








               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。


















発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳