寺報 清風







            スリランカの長老、来る


 2月下旬、憩室炎で入院した。前日に腹痛があり、夜中は一睡もできず診療に駆け込みレントゲン後にすぐ入院、絶食し抗生剤を点滴し続け炎症が収まる。40代で2度目の入院。前回は胆石と胆嚢の摘出であったが、いずれも現代の医療がなければ死んでいたであろう。身近な人の死と同様に、大病の折には「命のはかなさ」や「人生の意味」を考えさせられる。都合の悪いことに出会うたび、私達は「なぜこんな事が、この私に起こってくるのか」と運命を恨んだりする。今回「まだ死にたくない」という願いは叶ったが、いずれ人生の内実とやり残し、その長さや今際に、自分なりに満足して死んでいけるのだろうかと漠然とした不安も残される。

 世界でも長寿の日本人だが、驚くべきことに、江戸時代までの平均寿命は30代以下である。現代からその人生を想像できようか。明治にやっと44歳となり、昭和平成において人生50年、60年と伸び、ついに80年を越えた。ある研究によると縄文時代や室町時代では人生たったの15年、尤も当時は乳幼児の死亡率が高かったことにも起因する。医療技術の発展により、人類史上初めて、多くの人が老齢を生きる時代が訪れた。その間には三種の神器(戦後は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫であり、後にカラーテレビ・エアコン・自家用車を指した)だけでなく、掃除機・電子レンジ、世界に誇る風呂便所、情報と買い物はネットにスマホでと、凡ゆる面の便利さ快適さが獲得され、我々の生活環境は格段に豊かになった。

 だが果たして過去に比べ、人間はより幸福になったであろうか。まず老齢に伴う外見の変化、白髪やシワはどうにも喜べない。治らない病気や介護、認知症、寝たきりに孤独死まで、寿命が伸びたことによる新たな課題も多い。世界を見渡せば、核戦争に変異ウィルスの脅威、環境破壊に自然災害、将来的には恐らくエネルギーと水・食料の不足、宇宙やサイバー空間の混沌まで、人類の問題は山積みである。そのような文明の変遷の只中で、仏教は遠くお釈迦さまの時代から、常に変わらず「人間とは何か」を見据え、そのこと一つを教えしめてきた。

 かくいう僧侶もネット全盛の時代である。ある日、友人の僧侶に「最近どんな人の話を聞いているか」と尋ねると、彼のスマホに登場したのがスマナサーラ長老の法話であった。何者かと尋ねると「スリランカ人だ」と、彼の国で想い出すのは5年前に巡礼した、『正信偈』に登場する楞伽山(スリー・パーダ)。そして愛西市にある先輩の寺に昨年その遺骨が納められた、異国の名古屋入管で亡くなった当時33際のウィシュマさんを憶う。外国人の不法滞在という犯罪の結果としての断罪もなされるが、先述の私の腹痛に置き換えても、入管職員の立場から仮病かと疑われ医療放置がなされれば「殺された」と人権問題にもなろう。何れにせよ興味津々、その動画を観てみることにした。

 そしてブッダの智慧を語る長老の、刺激的な独自の表現と真っ直ぐな眼差しに魅了された。曰く「最も危うい人は、自分の理性を信頼している人である」と、真実を突かれ思わず私は笑った。本当にその通りで、自分が何でもわかっているという思いは妄想以外の何物でもない。ウクライナの実情やコロナワクチンの効能など社会や身の回りの事は勿論、足元の自分をも「知っているつもり」である。大体、心臓や内臓に動けと命令しているのでなく、そも生きているのでない、生かされているという事実すら危うい。だから感謝も無い。身近な人間関係でも理解し合えていると思い込むが、妻には「あなたは本当に私の話を聞いていない」と指摘されたばかり。境内の憎きカラスも、この時期に厄介なハチを啄む姿を何度か見かけ「おっ」と好印象に、私の都合目線も甚だしい。「オシッコをがまんしてみたらいい」と長老は云う、できないでしょう。どうしてもしたくなったらあなた人殺すよ、と。親鸞聖人の言葉では、人は縁により「害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」(『歎異抄』)にも相通ずる。時代や国籍、宗派を超えた、仏教徒の根底にある人間観であろう。

 現代人の理性は根深い。その宗教観は「神仏より自分を信ずる」のが一般的で、今や「バチがあたる」なぞ死語で、辛うじて「いただきます」、「おかげさま」が台詞として残される。多くは「地元の神社も大切にし、先祖も大事やで法事もお寺さんにやってもらわないかん」とは感じつつも、頭では神も仏も信心はしない。ただ他人が何かを信じて幸せなら、オウムのように迷惑を掛けなければ、宗教を拠り所とする人を否定はしない。だが自分が執拗に勧誘され金品を要求されるのは困る。よって理性的な私は「私が信ずるに値する、役に立つことなら信じる」とか、また「私は人を殺したりはしない。宗教に頼らなくとも、物事の良し悪しと善悪は分別できる」と考える。この損得勘定や慢心に疑問を呈す、理性を超越する何か。自我が故に人の存在と痛みが聞こえないのはプーチン氏や私だけではあるまい。日本人が八百万の神を、アイヌ民族がカムイ(自然神)を敬い恐れたような、自我中心の相を教えしめる大地(世界)を見失った人間は悲劇である。

 仏教国スリランカは、国民の約7割が仏教徒である。その仏教はインドから伝わった「南伝仏教」と云われ、後にミャンマーやタイなど東南アジアへと伝播した「上座部仏教」である。北伝の大乗仏教とは異なり、上座部は釈尊在世の教義と実践を今に伝える。戒律や修行の仏教を根底から覆した「罪悪深重煩悩熾盛」という、この命そものへの罪の自覚は、浄土教の専売特許であろう。私の現実は、傲慢と臆病を行き来しつつ、良くも悪くもある現状をただ必死で守り続ける。そのままに、自力では決して到達できない、内在する量り知れない命の深さ尊さ(無量寿)と、評価を超えた業縁の存在という厳粛さの響きを、念仏の教えに聞く身が定まる。愛知県に来られることは稀だという長老に「人間が生きるということの原点」についてお話いただくよう依頼した。初期仏教のブッダの直説に、照らされる自らの生き方を共に尋ねてみたい。

[文章 若院]


欄外の言葉

 ほんとうは、「自分」には、あらゆる行為の「始発点」はなかった 武田定光

 ずっと反省しながら、できるだけ出遇い直すよう、生きていきたい 梶原敬一


≪若院の伝道掲示板≫


≪講師紹介:スマナサーラ長老≫

 アルボムッレ・スマナサーラ師は、スリランカ上座部(テーラワーダ)仏教僧、日本テーラワーダ仏教協会の長老である。昭和20年生まれ、13歳で出家し、国立ケラニア大学で仏教哲学を教えたのち、35歳の時に国費留学で来日され、駒沢大学で道元の思想を研究された。平成の時代に再来日し、様々なメディアで精力的に仏陀の教えの実践を説かれている。

ベストセラー『怒らないこと』(サンガ新書)他、著書多数。


≪前住職研学50回忌法要≫

日時:6月27日(月) 午後3時~5時
お話:レコード寄席。田口史人さん(高円寺・黒猫主催)。
テーマは「寺内タケシ華麗なるサウンドの遍歴」


≪故 寺内タケシ 一周忌≫

 長く44年間のお付き合いを、各所のコンサート会場の楽屋にて、時にリハーサルから訪れ、また終了後の会食の場で語り合えたことを思い起こす。敬慕する寺内さんの1周忌ご命日が近づいてきた。昨年の6月18日にご命終、各種のニュースで訃報を知ることとなった。1年前の私の記録簿には、この日の夜一人で本堂で枕経を勤めた。翌日には通夜、翌々日には葬儀式を執行したと記されてある。コロナ禍で近親者のみの葬儀が「横浜」で執り行われたという情報を知ることとなった。よって私なりの別離の念仏を、寺の本堂にて誦したことでした。しばらくした後、携帯で連れ合いの由利子さん、子息の章さんにお悔やみを申し上げたことでした。

 エレキの神様として彼の武勇伝や驚きのエピソード・伝説は、枚挙にいとまがない。しかし反省を傍らから見た私からすると、彼も生きる悲しみ、寂しさ、苦しみなどなど、苦悩の姿も浮かんでくる。晩年は、愚者になりて往生すという姿勢であり、人生はまさに生・老・病・死の事実を教唆いただきました。

 師の語録「若くもあり 楽しくもあり 過ぎし日を エレキと共に ひたむきに生く エレキ万歳」。来月には寺内タケシお別れの会が芸能関係者によって開催され上京予定です。体調が良ければ寺内家の「お墓参り」とお内仏の前にて読経のご縁もスケジュールに入れたいことです。

 私にとって師として「六弦菩薩」と仰ぎ、法名を「弦王院釈賦韻」とさせていただきました。

[文章 住職]





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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳