寺報 清風












 昨今、寺を会場にした葬儀がなくなった。お葬式は全て、葬儀会館で行われると言っても過言ではない。20、30年前の葬式の多くは自宅で執り行われていた。大きな葬式になると、公民館や寺を会場にして執行されていた。実際に称念寺で行われた儀式は去年に一度、一昨年も一度だけであった。ほぼ全てのお葬式が葬儀会館やセレモニー会場で執行されているのが現状である。それらは、事前説明会のチラシを目にしたり、最低価格がいくらです、などと葬儀ビジネスを舞台にした顧客獲得の競争の場となっている。

 そうしたなかで、「葬式はお寺を会場にしてなさいませんか?」といった取り組みをされている住職さんがおられることを、最近知ることができた。葬儀の改革を願うこれらごく少数の住職さんからは、第一に葬儀価格のあまりにも高額なことから“寺で葬式を”と取り組まれたことが窺い知れる。

 寺の本堂・施設は主にお檀家さんの寄進によるもので、ご門徒さんのためのものである。その門徒さんが使用される折には、会場費は無料でいいと、地域全体で認識されていることです。

 二つ目には、「葬儀社の所有する白木の祭壇を持ち込みせずに葬式をしてください」と呼びかけていることが特徴でもある。葬儀会館での葬式費用を見積もると、その内訳のうち最も高額なものが祭壇使用料である。「どの祭壇にされますか?」、「多くの方がこの程度の祭壇を希望されますよ」といった打ち合わせの場面が浮かんでくる。

 平均的な規模の“家族葬”でも、60万円以上の祭壇費が課さるようだ。白木の祭檀?そんなもの無くていいのですよ。お寺の本堂には、祭壇よりも立派なお内陣があるでしょう。仏様の前にお棺を置いて、阿弥陀様の尊前でお葬式をいたしましょう、と呼びかけておられるのです。

 そもそも、お葬式に花で奇麗に飾られた白木の祭壇が置かれるのは、大切な人を失った時、生前の歩みには様々な苦労が伴ったが、せめて死後には安楽浄土の世界に見送りたいとの遺族の願望の表れである。

 平安時代より、個人が往生する極楽浄土の世界は様々な形で表現されてきた。宇治の「平等院鳳凰堂」は、阿弥陀如来像が安置され庭園全体が浄土を模している。その他にも、京都の「浄瑠璃寺」、岩手県の「中尊寺金色堂」にも、豪華に浄土の世界が表現されている。お寺の内陣は、本尊・阿弥陀如来を中心として金箔の張られた仏具が置かれ、季節ごとの仏華が活けられ常にお浄土の姿が表現されていることから、白木の祭壇を必要としないのです。

 例えば、企業・法人などの社葬では、故人がその組織の創始者であったり、飛躍的に事業を拡大された牽引者であったり、また世間に対して死亡あるいは後継者を告知する必要性などもあり、これは盛大であってもよしとしよう。

 だが一般的な“家族葬”においても、現状では葬儀社への支払い総額は、かなり高額の出費を覚悟しなければならない(150万円前後?)。実際いくらかかるのか心配になる、そこで事前説明会に行ってみようということになる。○○会館の会員になるなどと、その準備を怠りなくしている方もあろう。

 かつて自宅でお葬式をした方々の話を聞くと、支度が非常に大変であったとの声が多い。家族が亡くなってまず、故人を安置する仏間と葬式会場となる自宅を片付け、掃除をする。僧侶に「枕経」の依頼をし、役所には死亡届を提出して「火葬許可証」をもらわなければならない。弔問客に対するお茶出しと片付け、駐車場や遠方の親類の宿泊場所の確保、さらに近隣への配慮が必要となる。

 隣近所との付き合いが密接であった時代には、「世話役」としてお手伝いをお願いし、お互いに助け合ってお葬式がつとめられていた。しかし現在では、周りに迷惑をかけたくないという思いから、料金は高いが、全ておまかせで滞りなくお葬式を終えることができる葬儀会館のサービスが人気となった。関西在住のある僧侶が、かつては口癖のように「堪忍な、堪忍な」と繰り返された関係性を保つ言葉が、聞かれなくなった現在の「無縁社会」と呼ばれる私達のつながりのあり方を非常に心配されていた。

 寺(本堂)をお葬式の会場としても、葬儀会館での葬式と同様に、接待係や準備代行、マイクロバスに料理の注文など必要となる様々なサービスを全て、葬儀社に依頼することができます。しかしながら、設備面では不十分な点もある。@駐車できる車の数が限られる、A猛暑、厳寒時の空調設備の不備、B雨天時の対応のまずさ、Cロビーがない、といった点がお粗末である。

 それらにどう対処できるか?@知立駅前駐車場を利用してもらう、A冷暖房完備の門徒会館を会場としてもらう、Bテントなども寺の備品として準備する、Cロビーに代わる場所を設定する、などがあげられます。

 祭壇が必要でない理由は、もともと礼拝施設にはご本尊があることですから、そのご本尊(阿弥陀さま)を主にして構成します。仏花、打敷、供物など葬儀のための荘厳(かざりつけ)をすれば、これこそが本来祭壇に相応しいのであります。会館にあっては、お内仏(仏壇)が祭壇といってもいいでしょう。

 祭壇使用料、会場費などの無駄な出費を控えたい、質素な中にも落ち着いた厳かな雰囲気で、大切な個人を見送りたい方にあっては、お寺を会場とした葬儀を視野に入れられてはいかがでしょう。称念寺でお葬式をされた方達は、葬儀社との打ち合わせのなかで様々にあるオプションを追加して、それぞれの要望を組み込まれたようです。

 本年にはすでに葬儀が3度、称念寺で行われました。式後の声の中からは、寺での葬儀も御満足された意見が多かったようでした。今後もご感想、ご批判もいただきつつ、ご不満点などはおいおい改善することとしたい。

[文章 住職]


≪京都で流行るもの≫ 

 今年の750回御遠忌を記念して、人気漫画家の井上雄彦氏に制作を依頼した屏風「親鸞」が好評だという。御影堂から北に入った「白書院」の床の間の両側に、超大型の迫力のある屏風画が参拝者の目を引いていた。周知のように、井上雄彦氏は「スラムダンク」や「バガボンド」で知られる売れっ子漫画家で、幅広いファンが一目見ようと訪れている。

 展示は5月28日までの御遠忌期間中まで。入場は無料だが、整理券が必要。会場では、屏風の撮影は不可。もちろん触ることは厳禁だ。屏風のグッズが人気でよく売れているらしい。東本願寺はこの収益の全額を東日本大震災の義援金に充てることにしている。今後、種々の機会に参観ができよう。


≪愛犬のとむらい≫

 5月とある日、T家で飼われていた犬が老衰で亡くなった。17年間という長寿命のオスだった、とのこと。そこで「お経さんのご縁を」という申し出があった。次のような形式とさせていただいた。翌日のおあさじの始まる前、箱に収められた犬を、本堂の浜縁に安置した。定刻7時、お鈴がなる。外陣に座ったTさんは、勤行中に焼香された。弔いを終えた愛犬の亡骸は、火葬場に搬送されました。


≪特別公演「じょんがら一代」 ギリヤーク尼ケ崎≫

 東日本大震災後には、全国より義援金、支援物資が集められ、復興支援がなされてきました。しかし2万余人の死者及び行方不明者に対しては、救うこともできず、遺体収容すらままならない事態が続きました。称念寺では「東日本大震災被災者への祈り」として、尊い生命を奪われた多くの方々に対し、追悼の集いをさせていただくこととなりました。

 情念の大道芸人・ギリヤーク尼ケ崎さんは、「祈りの踊り」をテーマに、被災地である気仙沼にも公演に行かれました。昨今メディアでも注目されることも多いですが、すでに御年81になれ、ペースメーカーを胸に、代表的な演目である「念仏じょんがら」で魂の叫びを表現されます。ギリヤークさんの最初にして最後の御縁ともいうべき貴重な公演となりますので、是非ご参加いただきますように。

日時:6月25日(土)午後4時〜
称念寺境内にて(投げ銭歓迎)







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2011年6月号

祭壇のないお葬式
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳