寺報 清風










  生きることと死ぬことには、人間の根源的な深い問いがある。人は誰でも死ぬ。また思い通りに死んでいくことはできない。何時かも順序もわからず、どのようにその命を終えるのかは知り得ない。誰でもわかっていることのようだが、そのことを事実として真剣に考えたことがあるだろうか。またその事実をして、悔いなく生きているといえるだろうか。

 ところで皆さんも幾度となく、通夜や葬儀に参列されたことがあろう。家族だけでなく友人や先生、お世話になった、ご縁のあった方々が、かけがえのないその命を終えて勤められるものである。誰しもが思い出を振り返り、今生の別れを惜しみ悲しむだけでなく、命の尊さや儚さ、故人の尊厳や願いについて、その儀式のなかで様々なことを厳粛に感じ考えさせられる。

 また参詣することで、故人や遺族についてだけでなく、自身にも投影し、生きることと死ぬことを深く見つめる機会となる。「人は必ず死ぬ。私もその一人なのだ」と自覚することから、生きていることそのものに感謝し、今ある私を支えてきた人々やご縁の大切さを感じることができるのだ。

八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを智者とすといえり。 (蓮如上人『御文』五帖目第二通)

 しかしながら、私達は色々なことに慣れ「当たり前」にすることで、すぐに日常の感覚に戻るのが常である。先日、夕食の準備に忙しくしていた家内が「ママ、ママー」と呼び続ける子供に「うるさい!」と怒鳴っていた。授かった子供が無事生まれてきてくれた時の感動や、繰り返し優しく「ママ、ママだよ」と教え続け、初めてその声で呼びかけてもらった母としての喜びすら忘れてしまうのだ。明日があることや眼が見えること、あらゆる便利で快適な生活、そして戦争の痛みや放射能までもが当たり前となる。

 心静かに自分の歩みを振り返れば、私達はどれだけのことを当たり前として切り捨ててきただろう。失って初めて気が付き、懺悔や感謝する心が起きても、その思いはすぐに消え去り、逆にないものに対する不満や思い通りにいかない辛さ悲しさの方が、不思議と明確に感じられる。仏教では「無明」と表現される、なくなることのない煩悩(欲望)と執着のなせる私達の業であろう。
その自身を親鸞聖人は愚かな「凡夫」といただいた。

 人はご縁のなかで命を授かり、娑婆の縁が尽きて命を終える。私達は何か物事が上手くいくと、自身の努力や才覚を評価する傾向が強いが、人は生きているのでなく、生かされている。思い通りに生まれ、思い通りに死んでいくことができないことがその証拠であろう。このことは「無我」とも表現され、私達が基盤とする自分勝手に想定する「つもり」の世界はあり得ない。努力して何かをなし得たなら、努力することのできた環境のご縁が先ず与えられたのだ。全てが様々な縁に依るので、同じ状態は続かず「無常」けもある。

 信仰を重視するキリスト教と違い、仏教では「目覚め」が大切である。今ある現在の全ても時と共に変化し、自分だけでなく周りの大切な人達とも、明日にも永遠の別れがあるという無常の事実に目覚めた時、私達はそれぞれの今日一日をどう深く生きることができるだろう。私達は「懸命」や「必死」といった言葉を日常的に使うが、生死を受け止めてこそ真摯に生きること、本当に大切なこと、そして自身の奥底にある願いが明らかになる。共に合掌して「南無阿弥陀仏」と称えることで、生涯「当たり前」にし続ける私達の闇の深さを聴聞していきたい。


[文章 若院]



≪日曜おあさじ講師紹介≫ 

 佐藤義成さん:長浜教区満徳寺住職、同朋会館教導。住職との兼務で35年間の県立校での理科の教員生活を終え、現在では本山・東本願寺に全国より聞法しに来る方々に、優しい笑顔で懇切丁寧にわかりやすく法話をされる人気講師。講題「真宗ということ」

 竹橋太さん:1962年北海道生まれ、宗門の仏教学・第一人者である小川一乗氏に師事し、教学研究所勤務を経て、現在は本山の本廟部出仕。教学に裏付けされた心打つ言葉で、お釈迦さまの説かれたことを明確にお話いただきます。講題「お釈迦さまのお覚りとは」

 聴講無料。駐車場あり。是非この機会に仏教についての学びを深めてください。


≪本堂建設事業は(建設委員会)≫

 4月に入って本堂取り壊し準備作業が開始される。進入路の確保、垣根の撤去、敷石の養生、作業壁の設置など、「太いケヤキ材」の一部(虹梁・柱)は取り外し保管した。また長期間に渉って準備してきた本堂用材(欅、チーク、三明の松、ブビンガ、桑など)を順次、岐阜県揖斐郡の「丸平建設」に搬入しました。大型トラックに積載、総計13台分でした。石材、彫刻用材などは引き続き当方が、暫く保管することとなりました。中旬より本堂の解体が始まり、約3週間後の5月上旬に終了。

 本堂が除去された場所にテントを設置。本尊を置き三具足で荘厳しました。5月11日(土)工事関係者が主催した『起工式』が午前11時より挙行されました。総代、建設委員、世話方、保育園児が参列しました。雅了会奏ずる雅楽の調べのなか「法要、焼香、鍬入れ」などの儀式が執り行われました。

 本堂工事は約2年です。明後年完成予定です。大事業も漸くに着手できました。










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2013年6月号

当たり前の日常
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳