寺報 清風













 過日、住職より「今度の寺報は聴聞ということについて、第1面に短めの原稿を」との注文があった。いつもは思い付いたことを自由に書くので、2、3日もあれば原稿を仕上げてきたが、今回はテーマに縛られしばらく悶々とした。

 「聴聞」とは、直接的にはお寺や法要に足を運び法話を聞くことを意味し、また聞いた教えを日々の生活で味わい直すことも含まれる。私自身、様々な場所に出掛けて、念仏の教えに生きる先輩方の声を聞かせていただいている。修行や戒律のない真宗で聞法することは肝心要であるが、改めて自分の聞き方の姿勢について考えさせられた。

 私は大変自我が強く、京都で過ごした高校時代には自他共に認める自己中心的な性格であった。良く言えば個性豊かではあるが、他者と違う自分らしさばかり求めていた。自分で好きな自分でありたい、また他の人にも認められたい。そのような思いから常に競争に勝てる強い、より良い自分になろうと努力した。同時に他人に対しては身勝手に評価を下し、以前法話で聞いた言葉だが「上を見てはあん畜生、下を見てはこの餓鬼が」と、人様の批判ばかりしていた。

 その優越感や慢心は孤独を招き、劣等感や不安は自身を苦しめ、迷い続け、すがるように『歎異抄』の解読本に救いを求めたのが20代半ば。寺の長男に生まれ10歳で得度もしながら、自らの苦悩に応じた教えが聴こえてくるには長い時間を要した。

 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 『仏説阿弥陀経』

 そこには「悪人」としてしか生きられない自覚をし、悪人こそが救われると説いた親鸞聖人の躍動する言葉があった。「わが身をたのみ、わが心をたのみ、わが力を励み、わがさまざまの善根をたのむ」ことを自力の道とし、人はどうしてもそこから逃れられないのだ、と。善人になろうと努力すればするほど「邪見驕慢悪衆生」(『正信偈』)、自分の善悪の物差しだけが正しくなり、傲慢さから人を裁き、軽蔑し、差別してしまう。私達の日常も、振り返ってみると学校や仕事場での人間関係、家庭における夫婦、親子の関係をはじめ、そういう思いの連続ではないだろうか。自我を自覚できないほど、毎日が愚痴や批判に満ちる。日々の食事から天気に至るまで良い悪いと評論ばかりし、思い通りにならない不如意の人生で、その自分の思いが問題であるのだ。

 他の言葉を聞き想いを聴くことは、「自分さえ良ければ」の世界では成り立たない。その象徴的な例が私の高校時代で、授業中に耳栓をして自分の受験勉強に集中しており、先生に怒られても悪びれもせずにいた。利益や効率で正当化した結果が耳栓であり、都合の良いこと、納得のいくことばかり聞きたがる私の耳は現在も塞がれたままだ。中国韓国の人々の憤り、福島で苦しむ人達の苦悩、妻や子供の生き方の違い、先祖や縁あった故人の願い等、様々な声なき声がどれだけ聴こえているだろうか。しかし「だからなるべく自分の思いは抑えて人の話を聞く耳を持ちましょう」ということではない。私達は問題点を見つけるとすぐに改善を考えるが、死ぬまで煩悩が消えないように、生ある限り自分中心の価値観からは離れられない。学ぶほどに無智を知らされるのが聞法である。

 自己がわからない人は 他人を責める
  自己がわかった人は 他人を痛む   安田理深

 親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」としながらも、周りの人々と共に生きあえる世界をいただいた。お念仏一つで救われると説かれたのは、念仏を声に出して唱えたら救われるという意味でなく、本当の自分を深くいただき直した宗祖が歩まれたのが念仏の道であったのであろう。聴聞するとは、生涯にわたって教えを聞き続けるべき身を生きているということを何度も「南無阿弥陀仏」から聞かせていただくことが大切である。


[文章 若院]


≪マイケル・コンウェイ氏の紹介≫ 

 1976年米国シカゴに生まれ、97年にノースウエスタン大学を卒業。青年期に苦悩の解決を求め、大谷派の傑僧暁烏敏の弟子が開いたシカゴ仏教会を訪れ仏教の教えに出遇う。2003年より京都の大谷大学修士課程で学び、11年には文学博士号を取得。現在は大谷大学の非常勤講師、東方仏教徒協会(EBS)に勤務し、大乗仏教を欧米に伝えることに尽力している。


≪本堂再建 基礎工事が始まる≫

 4月に入ってから旧本堂が建っていた場所で連日作業員が出入りしています。測量がなされ、地面より約1.5mまでの土砂を掘り下げて除去、多量の土をダンプカーに積み上げ搬出していった。境内に大きな堀が生じたような光景に変わった。

 深く掘った地面下に太い杭が打ち込まれていった。事前の土壌検査は良好で問題ないとしたが、基礎が肝要であるとして設計士は、基礎枠の下に地中杭を打つことを設計段階で取り入れた。地中に52本のパイルが打ち込まれた外回りが新本堂の平面になる部分として見て取れた。

 掘り下げられた最も低くなった地面には、防湿ビニールシートが全面に敷かれていった。そのシート上に捨てコンクリートを流し込み、乾いた数日後から異型鉄筋が組み上げられていった。錆止め対策でエポキシ塗装がなされているため異型棒は綺麗な緑色となっていた。配筋を縛り止める針金は、これまた錆対策でステンレス線で結束され白く光っている。

 型枠が取り付けられた後、コンクリートミキサーがやってきた。みよし市内の工場から約30分かけてやってくる。型枠にコンクリートの打設という工程はまず地下室、次に2週間後にフロアーなどと都合3回に分けられて進行した。コンクリートには長寿命対応のため、現場で特殊溶剤(シュリンクガード)が添加された。その工程は要確認として、施工監督、設計士さんが点検する視線のなか立ち会う姿があった。この第一の工事は6月中旬まで進められます。

 8月には本堂をすっぽり覆う第二工事として素屋根が設置されます。本堂をすっぽりカバーし風雨を凌ぎ、雨天時でも大工さんは難なく作業を進めることができますし、用材が降雨で濡れることを防ぎます。第三の工程として、9月には木工事がいよいよ始動します。建て方の大工諸氏が常駐し、立柱・上棟に向けての本格的な工事となります。徐々に本堂の姿が組み上げられていきます。

 第四期として屋根工事が始動します。屋根の形状をシコロ葺きとし、棟から下って中途までは本葺き、その先軒までは一文字葺きと設計されています。材は総ステンが採用されるので、屋根の重量が大幅に軽減されます。現在でも多くは日本瓦が使用されて重厚な美を醸しますが、あえて拙寺にはステンレスの本葺き形状のものを設計士さんが採用しました。続いて第五期として最終に屋外の石材工事を、同時に扉や建具および内装の工事などが予定されています。

 本堂工事が全て終わって受け渡される時期は、明年の9月頃と施工会社丸平建設(岐阜県揖斐郡大野町)から説明を受けています。引き続きご本尊を安置し内陣の荘厳や各種の仏具の設置の工事に移行します。

 田植えの季 わが雨傘も みどりなす  橋本美佳


≪新本堂の意匠≫

① 本堂余間の襖4枚に貼る図柄を制作した。石に彫られた漢字熟語を拓本にする形式に基づいて考案。出典は中国の山東省・泰山の中腹にある石刻「金剛経」より抽出した。約30年前には本物を目にすることがあったが、ここ10年世界遺産に登録されてからは入手不可能になった。よって自身で模写し、アレンジするとした。

 使用する字を原寸まで拡大し、経の文字を型板に転写し、80cm角の原版を制作。先生に指導を受けて書版の拓本採りを稽古した。拓本の色は通常は地味な墨一色であるが、今回は珍しい朱墨を使用して鮮やかさと華美を狙った作品。

 先生の指導は的確であったものの所詮初体験、私の作品はかろうじて合格かなという程度の出来栄えであった。4日間、何度も失敗を重ね、少しずつ会得していったが、非常に腰が痛くなる辛い作業であった。正信偈に「至心信楽願為因」とある7言に準えて、金剛経より「願意、至心、信楽、欲生(我国)」の8字を抽出し、初めて拓本にチャレンジしたことでした。

② 偏額の発注・仏具の修理を依頼している大阪八尾市の仏壇店㈱松本に「聴聞」の2字の額を発注しました。一部の大谷派末寺の本堂中央には額が掲げられています。それらの多くは山号が表記されています。ちなみに称念寺の山号は「一向山」です。拙寺の従来の本堂には額がありませんでした。新本堂の内陣欄間上には、莫言さんが筆耕を受諾し揮毫くださった書「聴聞」の2字です。真宗の本堂は、仏法聴聞を主目的とした道場であることから、「聴聞」の語がテーマとなりました。


≪大谷婦人会聞法会 参加者募集≫

 期日 9月3日(水)13時~4日(木)11時30分
 会場 岐阜グランドホテル 長良川温泉
 会費 1万円(交通費および3食含む)
 締切 7月27日 集合時間など詳細はお寺まで問い合わせを


 木も草も しづかにて梅雨は はじまりぬ   日野草城




               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2014年6月号

いただき直す自己
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳