寺報 清風












 まずは紙面を借りて、日曜おあさじの講師・田口弘さんの紹介から始めたい。皆さんは「坊主バー」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これまで様々なメディアで注目されてきたが東京、大阪、名古屋など主要都市に点在するだけなので、よほど興味がないと訪ねたことがある方は少ないであろう。坊主バーとは、坊さんが中心となり運営やサービスを行う仏教酒場のことで、田口さんは平成12年より営業する東京四ツ谷にある元祖「ボウズバー」の会長さんである。

 昨年11月に一人で訪れると、私の座ったカウンター席の隣りで彼が客の女性の悩みを聞いておられた。首都圏では仏教と接点のない、若い会社員や女性らが酒を楽しみつつ、人生の悩み相談にも訪れているのだ。様々な宗派の僧侶がスタッフとして働き、店の奥にはお内仏(仏壇)が安置され営業時間に毎日2回、田口さんが読経と法話をされている。法話のお題が求められ、その前日にパリ同時多発テロがあり100名を超える犠牲者があったことで、私が「イスラム国のテロをどう受け止めたらよいか」と質問した。すると田口さんはその日、フランス大使館に赴き門前で正信偈をお勤めされていた。何もできないながら、犠牲となった方々の痛み悲しみを胸に勤行したそうだ。そして私の聞いている浄土真宗という仏教では、イスラム国の人々を含め全ての人を排除しないのだと話されていた。是非次回の日曜おあさじでお話を聞きたいと思い、その場で法話の依頼をさせていただいた。

人間は家内安全を祈る心がテロリズムを生む心であることには無自覚だ 武田定光

 昭和36年に生まれた田口さんはと、左の目が見えず右目も弱視であった。小・中学に通った頃は、給食にチョークの粉や絵の具を入れられたり、物を隠されたりと毎日のようにいじめられた。いじめる同級生をバカにし、逆に見返してやろうと猛勉強し第一志望校に見事合格、卒業式では答辞を読み「いじめに勝った」と有頂天になったそうだ。しかし進学校では落ちこぼれ挫折した。努力すれば人に勝てると信じていたが、叶わずに死に場所を探していた時、ある真宗の僧侶との出遇いがあった。

 幼少の頃から目が治るというインチキ宗教の勧誘が多く、絶対に宗教だけは信じないと決めていた。しかし、これまでの悩みを話すと「寂しい人生ですね」と言われ、彼が「せっかく一流校に受かりいじめた奴らに勝ったのに、勉強が追いつかずもう自慢できるものがない。私は寂しい人間です」と答えると、その僧は「そういうことではない。君の生き方が寂しいんだ」と諭された。勝ち負けのために人は生まれてきたのでない。愚痴を言っても目は良くならない、ならなくていいんだと教えられた。そうした言葉がご縁となり後に得度し自らも僧侶になるも、30歳で右目も失明してしまうが、再度立ち上がり現在の坊主バーを始められた。寺は何処かと聞くので「愛知県の知立というところです」と答えると「わかります。最寄り駅まで迎えに来てください」という。田口さんは面倒で点字を学ばなかったが、俗にいう「鉄ちゃん(鉄道マニア)」なので全国何処へでも一人ででかけられるようだ。

 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 『正信偈』

 龍樹菩薩が世に現れて、有る無いに執着する人生の見方を悉く破り棄てられたの意

 人は見な幸せになりたいと願うが、私達の幸福感覚は比較によることが多い。勝つか負けるかが全てだと思っていた田口さんも、何度も言われ一番腹が立ったのが「あんたより辛い人は沢山いる」という言葉だ。日々の生活で苦悩し「あいつよりマシや」と自他を慰める、誰しもが持つ悲しい心である。私達は徹頭徹尾、有る無しに執着する存在だ。人は特に、無いことに苦悩する。釈尊が説いた人生の四苦八苦にも「求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)」がある。生活感覚から言えば、まず金さえあればを苦悩する。若さや美貌、健康、学歴に名声、友人、跡取り、趣味、あれもこれもと根深い煩悩は絶えることがない。逆に有ることではその大切さに気がつかないことが多い。健康も家族も故郷も失って初めてその有り難さに気がつくものだ。自分が頑張ったなら、他の頑張らない者を見下してしまう。過去にも未来にもかけがえのない、自分らしさ、自らの命さえ、自分の都合や傲慢で評価している。親鸞聖人は人間を徹底的に見つめ、誰もが様々な煩悩に迷い、自他を傷つけ合い排除する凡夫であることを認めあわなければ、本当の意味で自他に出遇い共に生き合えることができないと教えを受け止め念仏した方であった。悔いなく尊く生きるということは、決して有る無いに依るのでなく、私とあなたが今ここに在ることの尊さを見つめる、仏の眼差しを聴聞しつつ見出していくべき私の一大事だ。

日曜おあさじ法話 
6月19日(日)午前7時から
講師 田口弘さん
講題 念仏者の「お仕事」


[文章 若院]



«災害支援 熊本地震≫

 5月中旬に被災地を訪れた折、東日本大震災の死者1万8千余人に比べ熊本地震は60人、悲痛な表情の被災者らを前に「まだマシや」などと決めつけていた自分が大変恥ずかしく思わされた。現地では若手僧侶が帰る家を失った人々への炊き出しや、倒壊したままの本堂や家屋の瓦礫撤去に苦心していた。行政や大組織では行き届かない被災地支援の只中で、目の前の困った人に献身的に寄り添う姿があった。人手も足らないまま、具材の購入や重機のレンタルなど資金繰りも十分でないので、是非彼らを直接的に支援していただけるよう募金のお願いを申し上げます。合掌

●ゆうちょ銀行 記号1712
  口座番号 32115481
  口座名義 東本願寺熊本会館仏教青年会


 いっせいに 喉もと反し 燕の子 鷹羽狩行

 人間が人間を正しく評価することはできない。 真城義麿


≪本堂工事の進捗状況≫

 堂宮大工による木部の造作は本堂全体の約8割を終えて、残り2割までといったところまで進められています。内部の敷居、床などはすでに施工が済んで、全箇所が養生されています。天井はそれぞれの間によって図柄の違う彫刻が並べられます。

 内陣(仏間です)の中央6坪は、空をイメージした漆仕上げの折り上げ天井の上に黒一色の格天井、左右の余間2坪×2の天井は、漆塗り一色の図柄板が取り付けられます。外陣の中央3坪は奈良・東大寺の主柱に使用されていた「古欅材」を嵌め込みました。明治36年に大仏殿修復工事にて。

 外陣の余間部分2坪×2は、朱漆の菱格子が設置されました。大間=参詣者席は中央(3間×3.5間=21畳分)は、花鳥風月の図を彫った径60センチの無垢「紅木(ホンムー)」を並べました。取り付け木地は茶色の研ぎ出し漆仕上げとした。大間の両余間部分(2間×3.5間=14畳×2)は、朱と黒の天井彫刻板を、市松模様で配置した。

 3月からスタートした屋根工事は60%ほど進行中。5月下旬に鬼瓦に相当する「カンタカ=材はFPR」1対が、最上部の南北の隅に取り付けられました。続いて主棟、下がり棟、隅棟などの形状の下地として施工された杉材に、覆うようにして「ステンレス」鋼板が被さって瓦状に葺かれていきます。まだまだこの後1ヶ月ほどは「素屋根」内で、屋根作業が続けられていきます。新本堂の屋根には瓦が一切使用されていませんが、気に留めなかったら瓦でなく「ステンレス」屋根とは気づかないかも知れません。

※ 珍しいステン本葺きの様子は足場のある現時点、手すりを伝って上がれば安全にその詳細を目にすることができる。6月19日は素屋根内の上部を公開します(午前10時まで)


«源信忌 6月10日≫
 
 幼くして父を失い、比叡山に登り慈恵大師の門に入る。念仏と著述にあけくれ、なかでも『往生要集』6巻は浄土思想の根本を大成した名著であり、称名・念仏往生という浄土教の先駆をなすものである。門流に法然、親鸞や一遍などがでている。西暦1017年、76歳で入寂。

 涼しげに たつる蓮華や 源信忌 松瀬青々





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2016年6月号

有無の見
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳