寺報 清風






         先達の下がる頭


 先日、神戸の友人が副住職を務める寺の永代経法要に参詣した。一昨年の称念寺の日曜おあさじでお話いただいた、私の元上司である木名瀬勝さんが法話の講師であった。彼が過去に勤めた桑名別院で出遇った、良く聞法されたばあちゃん達が何を語り、生き、そして亡くなっていったのか、というお話があった。何十年も念仏の教えを聞き人生を歩む方達は、どんなに深い会話をされるのかと聞いてみたら驚いたことに、日常の愚痴やたわいない悩み事ばかりであったとのこと。けれども、いつも最後には誰からともなく「それでもかたじけないね。南無阿弥陀仏」と言い合い、寺を後に家路についていたそうだ。

 関西人の「かんにんね」も耳にしなくなったが、古語である「かたじけない」も現代ではあまり使われなくなった。しかし、その意味は味わい深いもので、恥ずかしい、身に沁みて有り難い、もったいない、そういう心を合わせたものだ。私自身、最近起きた家族の関わる問題で、切り刻まれるような地獄の苦しみに身を置いた。越えられない絶望は本当に辛い。そんな時、私の心に思われてきたことは、現実となった目の前の苦悩をなくせないか、またどうすれば都合良く解決できるのか、そんなことばかりであった。

 あらゆる人のどのような過去も現在も、40億年の命の歴史を背負い、誰も代わることのない人間として今ここに在ることの尊さは、法話で自身も語ってきながらも、その身に「かたじけない」と手を合わすような心を持ち得なかった。今思うのは、これは努力して自力で得られるような感覚ではないということだ。

一人には一つの世界がある。決して、たった一つの世界に何十億の人間が住んでいるわけではない。 武田定光

 先述の神戸での法話のあとに質疑応答があった。70歳前後と思われる参詣者の一人が質問をされた。「私は無信心だが妻について寺に来た。人生の苦悩をどう引き受けていくか、そんな話は意味が理解できない。何故なら、子供も結婚して独立し、妻が私より長生きしてくれるだろうし、私はいつ死のうと怖くない。何不自由ない生活を送る現在の私には、悩みなど一つもない。仏教云々でなく、考え方一つが大切なのでないか」と語られた。すると、他の同世代の男性も同意し、同じような発言をされた。福島や熊本の被災者だけでなく、いつの世も必死に助けを必要としている人達がごまんとおり、将来の子供達にも遺恨を残す原発や環境の問題、北朝鮮・中国・韓国との関係、テロリズムから差別・格差・年金、また皆が迷い悩む人間関係の現実を共に生きる者として、なんと無責任で自分勝手な人がおられるものだと少し腹が立った。

 木名瀬さんも、その場では響き合う機縁が見出せず柔らかく応答されていたが、歳を取り悩みがないなどと平気で言えることは実は恥ずかしいことなのだと、後で個人的に教えていただいた。後日、私は豪州の大学時代の友人スコットとの14年ぶりの再会のため東京に出掛けた際、昨年度の日曜おあさじに来ていただいた盲目の僧侶・田口弘さんの坊主バーに飲みに行った。質疑応答の男性の話を田口さんにすると、「あなたは自分の身勝手がどれだけ周りの人達を悩ませ悲しませてきたのか、今まで全く気付かずに生きてきたのですね」と私ならはっきり伝えますとおっしゃっていた。確かに、他人に迷惑をかけずに生きてきた人など一人もいない。日常でも、周囲の人が良かれと思う言葉や行動が、私の苦痛になることがある。仏教の教えを聞くことは、相容れない他者の姿に自分を見出す眼を拝借することでもある。私も同じなのだ。だから「私は周りに迷惑をかけずに死にたい」というよく聞く言葉も、何かずれていると最近感じるようになった。

人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。 村山聖
※ 伝説的な真剣師・小池重明と同時期に、病気を抱えながら将棋の世界で活躍し平成10年に29歳の若さで命を終えた天才棋士。

 悩みだけでなく、悲しみも大切だと思う。自分に起こった気持ちを通し、同じく悲しみを感じる人を前に、初めて触れられる安心への気付きがある。看病される優しさが心に沁みるような、純真な子供の笑顔に迷い心が洗われるような世界だ。悩みも悲しみも人間を立ち止まらせてくれる。死ぬまでグルメや趣味を追求し、テレビやスマホと共に楽しむだけで人生を終えるよりは、愛する人との死別に向き合ったり、臨終の際「ああ、私も命を終えていかなければならないのだな」と素直に想ったりして、自分なりに大切に生きた人生を振り返るほうが余程、自分が自分として生まれてきたことの意味の深さに触れられると私は思う。そこに自分も、自分以外の人も、あるがままに生まれてきて良かったと思えるような願いがはたらく世界を浄土とし、その場所から私へと「かたじけなさ」の根元を呼び覚ます存在を仏とし、真宗門徒の先達は手を合わせ念仏してきたのではないだろうか。私の修業はまだ始まったばかりだ。

[文章 若院]

 自分がこんな人生を歩むとは思わなかった  北條義信

 二度とない時を生きていることを知らずに生きている  荒山淳



≪日曜おあさじ講師紹介≫

6月25日(日)午前7時
  講師 江本忍師 (大分県・長仁寺住職)
  講題 共に光の中住い
  著書 『願生の火が点く』、『いのちの夜明け』他 (江本常照著)

 
新本堂の落慶法要を終え、初の法座である今年の「日曜おあさじ」には、大分県より江本忍さんに法話を依頼しました。3月に若院が東本願寺で初めてお会いし、2日間を共に過ごしました。田舎の寺で畑を耕しながら住職をされる、坊主頭の優しいお顔からは想像もできない真剣な眼差しと言葉に魅了されました。江本さんは、学生時代には先輩に殴られ顔を踏まれ人間不信となり、後にサッカー選手を目指すもボールが目に当たり網膜手術となり挫折し、生きる意味を探し求めた禅寺からも自殺を危惧され出されてしまい、死に場所を探して放浪の旅に出たという。しかし縁とは不思議なもので、死ぬ前に一度見たいと思った東京行きの深夜バスで、たまたま隣に座った女性と知り合い結婚し、就職した大阪の難波別院や東本願寺で師との出遇いを通して仏教の教えを聞くようになりました。

 34歳の時に大分県の実家に帰るのですが、人生の問題は尽きません。なんと中学2年生の娘が妊娠し相手が逃げてしまったのです。しかし、人生の損得でなくお腹の中の命を見つめ出
産と子育てを支える決意をされました。現在でもアスペルガーの生涯を抱える息子さんの家庭内暴力の問題を抱えての人生に「どこまでいっても私は未完成のまま、無駄なことは一つもない」と頭を下げておられました。私達の人生でも各々が背負う色々なことが、大切な問いとして人生の糧になるのだと改めてご門徒の皆さん方と一緒に聴聞させていただきたいと感じ、その場で是非にとお願いさせていただきました。聴講無料、どなたもご参詣ください。


≪建設委員長・加藤金太郎氏≫

 本堂再建にあたって建設委員長に就き、率先してその任にあたって御助力をいただきました。本堂造営前の準備時期より、特に工事半ばでの施工会社倒産時には、再始動するために棟梁、大工、監督の確保のため、滋賀・岐阜県にたびたび出掛けて関係者を説得してくだされました。氏の篤い言葉によって、再び棟梁以下の協力を得ることができました。後に上棟式を終えて数か月後の1年半前に、突然の脳梗塞にて入院。以後は入退院を繰り返す中に、3月25日の落慶法要には車椅子にて参詣席に就く。回復され再起を願うも4月16日、ついに命終・還浄される。

 これを受けて本山(東本願寺)からは、弔詞・特別善行表彰が伝達される。18日に通夜、19日に葬儀・還骨の初七日。いづれも新本堂を会場として執行。法名は「造堂院釈金剛」とす。


≪法座のご案内≫

● 前住職祥月法要 7月27日(木)午後3時より
   法話:市野智行師 (名古屋市道誠寺若院・同朋大学講師)

● 盂蘭盆会 8月10日(木)午前8時・10時
   法話:堀田護師 

● 秋の彼岸法要 9月23日(土)午前8時・10時
   法話:小谷香示師


≪浄土の美意識≫

 矢来内の天井には、東大寺の古欅が取り付けてあります。約150年前の『二月堂』の修復事業の折の記念品です。須弥壇の裏の天井にも東大寺の『大仏殿』修復の折の古欅が納められています。約300年前の事業のもの。径が2尺もある板盆です(兵庫県の何某さんより寄贈された)。

 再建前の本堂に使用されていた装飾品で、再利用したものも多くあります。向拝(ゴハイ)の梁の上にあった『梁飾り』(幅2メートル×2)は、本堂の屋外の部分の南北の面の梁の上部に分けて取り付けました。『蛙股』の彫刻(鯉・亀・雲・雅楽器)は金箔仕上げを施し、蛙股に納めました。旧本堂に飾ってあった『お籠』は、裏廊下の上部に吊るしました。約300年以上前のものであろうと思われますので、手を加えることなくそのままの状態で納めました。

 祖師・御代前の梁の『龍』一対、内陣の『麒麟、唐獅子』も、補修をして装飾のため取り付けました。


≪収骨室について≫

 葬儀を終えて荼毘に付されて、遺骨となって戻り、中陰壇に置かれます。その折、遺骨は大小二つの箱に納められます。大きい骨箱は、墓に納められますが、小さい六角形の骨箱の遺骨は通常、本山(東本願寺または大谷祖廟)に収めます。真宗の門徒が、死後に親鸞聖人がお休みになっている場所に、私たちの終の棲家として捉え、はるばる京都の地に遺骨を収めてきた習わしがあります。明治期に現在の「真宗本廟」が造営なった折よりこの形態が生まれました。

 小さい骨箱の遺骨を称念寺に収めてください。お預かりした遺骨は、一部のお骨は御本山に収めます。報恩講を勤めた後に東本願寺に持参します。残りの一部は、新本堂の阿弥陀さんの宮殿の台座である須弥壇下の地下、収骨部に合祀してお収めさせていただきます。

 今後、お彼岸やお盆など年中行事の際、収骨の受付場所を設置してお預かりしていく予定です。第1回の受付は、8月10日「盂蘭盆会」の折、午前6時~11時に受け付けます。申し込みの詳細は次回寺報にて。第2回目は、9月23日の「秋の彼岸法要」、午前6時~11時。遺骨、一体につき二万円をお願いします。


≪第3回 中国の大学で講演≫

 江蘇省の省都にある『蘇州科技大学』にてお話しする機会があった。5月16日、17日、大学にて講題は「親鸞さまと莫言さん」とした。受講した学生たちは日本語を専攻されている3、4年生。授業を見せていただいて、学生たちの語学の聴力・会話力・語彙などの能力には甚だ感心することしきり。翌日その生徒の前で講演す。肉食妻帯が許される特異な寺の在り方、念仏の教えをのみ真とする真宗、加えて文豪・莫言さんとの出会いと交流について紹介した。1時間の熱演、続いて質疑応答をも加えた。一部の教員の人達も聴講に加わっていた。

 話の中で使用する名詞、述語などを黒板に列記して解説した後、本題に入る。プロジェクターを使用しての画面も、聞き手、見る側にとっても理解に役に立ったようだ。好評裡のうち終えた学食でのランチは、特に美味であった。この秋にも日中文化交流のため、科技大学に再度の訪問を準備することとした。







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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳