寺報 清風







            コロナの狂騒

 中国での新型コロナ発生とその感染拡大は世界中の社会を混乱に貶めた。当初、私は「情報と不安のパンデミックだ」と深刻に捉えなかったが、世界保健機関の対応と連日の報道で、見えないウィルスの感染状況の推移に悶々と毎日を過ごした。知立市内の「組聞法会」を含め仏教界の行事も粗方中止となり、子供達の外出自粛で生活も激変した。また4月より園長を務める保育園でも、日々変化する状況に厚労省や県からの指示も混迷し、街中ではマスクや衛生用品が買い占められた。世界中の人々同様「何気ない日常も当たり前でなかった」と足元を見つめ直す機縁であった。私達が当たり前にしてきた拠り所はもとより堅固で安全でなかったし、苦悩の中身は都合の良いことだけを享受したいという煩悩であった。寺の門徒の多くが人数を減らし消毒し、法事など法要を丁寧にお勤めされたことに感銘を受けた。だから「コロナで人生観が変わった」という人には、これまでの人生観が間違った「邪見」であったのだと共に確かめ合った。

 状況により我が身を正義に見立て異なる者を批判した。全国的な学校の臨時休校措置では保育園が除外され、国や官僚の「子供の生命より経済優先」という姿勢に私は憤慨したのだ。園ではどれ程気を付けても三密は避けられず、感染者が出れば集団感染は免れない環境であり、完全に都市封鎖された諸外国の状況からすれば公共政策の暴挙でないかと感じた。しかし後に緊急事態と休業要請が宣告された社会でも、さすがにパチンコや居酒屋、年間行事や音楽イベントは期間限定で自粛できても警察や自衛隊は必要だし、インターネット関連企業、ゴミ処理、電力会社、感染症に対応すべき病院や薬局、情報源となるテレビにラジオ、生活に欠かせない郵便局、消防署、銀行に市役所、スーパー、コンビニ、新幹線や電車、電話にガソリン、ガス水道から運送業まで私達の日常を支える業種で、営業を停止できない仕事が沢山あると知らされた。であればこそ社会福祉法人としての責務は、保育が必要な乳幼児を預かる役割なのだと教えられた。

 その後もニューヨークやイタリアの惨禍と世界中の混乱を報道で知り、逆に感染から集団免疫を獲得すると方向転換したスウェーデンや、いち早くを「コロナと共に生きる」を掲げたドイツ、中国の初動に賠償請求する西欧諸国の転嫁など、どう受け止めて良いか自分でも全くわからなくなった。テレビでは人を数値で量りつつ「命か経済か」の論議がなされ、しかし経済が元で命を絶つ人を想定し是非がわからないまま混乱した行政と同じであった。人間の想いは身勝手で虚仮であるという、仏教の教えの根幹どおりであった。種々雑多な生命が生かされ共存するこの世界において、ただ健康に悪いというだけでコロナに対し「共に」と表現しつつ「戦争」だの「戦い」だの、強烈な自我を反映した意識の問題には早くに気がついた。ゴキブリも蚊も、目に見える害虫すら絶滅させることなどできまい。人間は環境を征服できない。実際に医療の崩壊した現場では、人に対しても「命の選択」が行われた。人工呼吸器を装着した糖尿や心臓病など多重に疾病を抱えた老人から、新規に感染した健康な子供に機器を医師が付け替える。この選別を誰が何を立場として非難できようか。こうした阿鼻叫喚の現実に、ナチスドイツや相模原障害者殺傷事件を重ねて内観したのは私だけではあるまい。人は常に正しさを求め答えを見失う。遠く釈尊が目覚めた「人間の愚かさ」を原点として引き受けられないまま現代社会に生きる我が身の事実であろう。

 ただ「家にいるだけで人が救える」と恵まれた人のみ通用する欺瞞も半ば常識となり、「自分だけは罹りたくない」と自粛を強制する者が増え、すでに希薄となった人間関係に更なる距離感ができ、コロナ感染者への差別偏見も見受けられた。安倍政権を批判する人々が補償金に喜び、感染死の可能性が低い若い世代が在宅を強要され、感染検査の不備から蔓延は低く見積もられ、単なる風邪だとする学者もいたり、更に届かないアベノマスク、医療崩壊危機、追跡調査やプライバシー問題など世間は混沌を極めた。また若き親鸞が『三部経』の千回読誦を止めて以後、キリスト教もカルトも仏教諸宗派もコロナ終息への祈りや祈祷を捧げ、聖武天皇が大仏を建立し天然痘終焉を祈願した奈良時代と変わらないことにも驚いた。冷静に考えれば、交通事故死が多いからと高齢者の運転免許も禁止されまい。免疫が低下した病人がインフルエンザで死ぬ危険があるからと社会全体は休止しない。対策とは人間の理知、これで「大丈夫」などという理屈は存在せず、必ず限界と矛盾を内包する。貫徹しない倫理で右往左往する私とは何かということを聞思してはどうだろうか。きっと過去に大騒ぎした狂牛病や放射能と同じく、コロナの狂騒も私達は忘れ去り慣れていくのであろう。

 唯一はっきりしたのは「大切な人を守るため」の裏側にあった「コロナで死にたくない」という損得勘定である。志半ばで死ぬのは損だと、新型コロナは人の本性を炙り出した。昨今の枕経でも、遺族から「故人の死因がコロナでなくて良かった」と差別的な弔辞を聴き私も同感した。先月は私の幼馴染の同級生の死に、両親と妻と小学生2人の子供を残し「可哀想に」と周囲が嘆いた。最もらしい比較のなか、死に方や寿命に基準や点数を付ける私達の生命への物差しこそが問われてきたのが仏教の歴史である。ワクチンや治療薬が幸せの条件なのか、運良くコロナに罹らなかったら悔いがないのか、コロナで死んだら懸命に生きた価値がなくなるのか。病気で死ぬことが問題なのでない。出会うべき人に出遇い共に本当に生きたと言える人生を生きていますか、と「空過(むなしくすぐる)」が問われてきたのだ。だからこそ宗祖聖人も蓮如上人も疫病と飢饉の連鎖で多くの人々が、子供も罪人も平等に意味なく命終した時代に「おどろくなかれ」と伝えられた。私達の生きる不条理な自然と諸行無常の世界は、そも人間の自力の都合に合うものでない。感染蔓延が防がれ致死率も低く、一旦収拾した事態に不安を脱した私達の更なる傲慢と本来的なコロナの相を、仏の眼は変わらず慈しみ悲しんでいよう。

[文章 若院]


欄外の言葉

 今ここにいる自分からは逃げられない 木名瀬勝

 砂漠だからこそ自分の中に水を求める 高柳正裕


≪若院の伝道掲示板≫

 批判や愚痴 怒ってばかりは 正しい人

 生まれも死も 選択の余地なき 在るがまま

 人は皆 本当の自分に 出遇いたい

 調子の良い時に 見えない世界が 本当の世界

 求め過ぎは 手に入らない 苦しみを生む


≪日曜おあさじ 講師紹介≫

 藤本愛吉さん

 昭和22年生まれ、愛知県三好出身、農家の7人兄弟の6番目に生まれる。高校卒業後に様々な職を経て、京都にある僧侶を育成する道場である全寮制の大谷専修学院へ。卒業後そのまま同学院の職員となり23年間勤める。現在、全国で法話をしつつ、三重県津市の正寶寺住職として仏法聴聞に励まれている。

※ 本堂では十分に窓を開放、4基の換気扇で換気し、参詣席が密集しなよう配置してお勤めします。参詣される方々は各自マスクを着用いただき、御堂入口にてアルコール消毒をしてください。風邪症状や体調の悪い方は参詣を遠慮くださいますようお願いします。


≪梵鐘・喚鐘・鏧の時刻≫

 寺の梵鐘は常時、朝6時に撞いている。ご門徒の堂衆3人が、曜日を決めて任に当たっておられる。この中のお一人がご高齢で、辞任を申し出された。後任を依頼することとしたが、簡単には受け手がいなかった。協議の中で色々な提言などがあった。結論は、時刻の変更にたどり着いた。この7月1日(水)からは、朝7時に梵鐘を撞くこととした。従来は6時に梵鐘、次は約1時間後の7時に本堂の喚鐘が、続いて「おあさじ」が始まるとしてきた。早朝6時の鐘は、寒中払暁の折などの鐘撞きなどは、布団からなかなか抜けがたい私では勤められない。ご苦労さま、難儀なことご苦労さまと寝床の中で思いはせてきた。常時定刻に打つことのハードルは高い。老体かつ、不規則な生活習慣がある私では荷が重すぎる、などなど…

 よって岡崎市・大谷派三河別院方式に準えて変更するとした(注:別院は6時30分から進められている)。以後はおあさじ参加者も交えて任に当たるとした。7時に梵鐘7打、7時3分に半鐘、7時5分から「おあさじ」をお勤めさせていただくこととしました。この変更によって、おあさじに入られる折、申し出があれば、鐘を撞くことが可能です。

 現在の梵鐘は豊川市、(株)中尾工業鋳造、時に昭和22年8月と。寄進人として45行X4名のご門徒さんの名が刻字されている。当時の氏名を読み取れば、あなたの父、祖父などの名が記載されたやに思います。従来の名鐘は太平洋戦争時に、残念ながら「供出」しました。戦艦に、航空機などの兵器などに充てられてしまったのでしょう。戦後いち早く、時の院主(第22代)祖父・了憲さんの発意で造り、念仏の響きとともに、響流十方・正覚大音の音をお届けしてまいったことです。

 さて称念寺の鐘の音は、何ヘルツであろうか。喚鐘の音は?などなど疑問を持った。おあさじは「平鏧(ひらきん)」の2発を聴いてから帰命無量寿如来の調声に続いて、正信偈が勤められていく。平鏧の側面には黄鐘・444Hz、その反対面には寄進くださった方、西町の故・Hさんの名前が刻字されている。正信偈の音律は、いつでもラの音、444ヘルツに合わせてスタートします。雨の日、晴れの日、寒暖の差あれど、鏧はいつも変わることのない基準音を醸し出してくれています。

[文章 住職]


≪一向浄苑の墓地管理費≫

 新型コロナの影響で、飲食業はじめ様々に経済への影響が懸念されています。寺も法務の執行状況は、大層厳しい状況下にあるが、浄苑使用者の個々に向けてささやかな対処です。本年度の浄苑の「管理費」は0円とさせていただきます。ご寛恕いただきます。


≪東日新聞の記事≫

令和2年3月13日(金)寄稿
【知立・称念寺と莫言】
(1)はじめに

 平成24年(2012)のノーベル文学賞は中国の作家・莫言が受賞した。日中関係が悪化している時期だったため、日本のメディアは欧米に追随してバッシングに終始していた。

 莫言が『北海道の人』という随筆を書き、その中で北海道旅行の折、現地の人と交流した記録があること、また石川啄木の歌を中国語に翻訳して紹介していることなどの報道に接することはなかった。実際にそのような報道はなかったのだろうか?もし、そうだったら、とても残念なことである。

 彼が引用した石川啄木の短歌は「しんとして幅広き街の、秋の夜の、たうもろこし(とうもろこし)の焼くるにほいよ」であった。ただし、石川啄木の「俳句」として紹介している。ノーベル賞作家でも短歌と俳句の区別がつかなかったようだ。日本人はもっと日本の文化を外国に伝えるべきだと筆者は痛感した。

 同じころ、筆者は知立の友人からメールをいただいた。知立の称念寺の山門のところに掲示板があり、そこに「莫言のノーベル文学賞 受賞おめでとう」と、受賞を讃えるメッセージが記されたという内容だった。写真も添付されていた。愛知県にこうしたお寺があることを知ってうれしくなった。そして、いつか知立を訪ねたいと思っていた。

 平成30年2月筆者が一時帰国した折に、知立の友人の案内で岡崎に住んでいる先輩と一緒に訪れることができた。

小池安利 (遼寧工業大学 日本語講師)


 梅干しと友達は 古い程良い(諺)
 古くからの友人のほうが信頼できることをいう






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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳