寺報 清風







            共に人間になる処

 人生を振り返ると、その最も古い思い出は何であろう。私は3歳の頃だろうか、通った徳風保育園の部屋の床に座り、柔らかいプラスチックの玩具を繋げて遊んでおり、傍らに担任の先生がいた、という記憶である。回顧するも小学校入学前の記憶は朧げに幾つか残るだけで、つまりは誕生から生きた6年間の人生が脳裏に残っていない。これは大変、不思議なことである。そも祖先となる命が地球上に誕生し引き継がれた自身の遺伝子DNAの前世だけでなく、幼少期に周囲の大人に育てられたこと、遊びや食事、病気をしたり、この「私」を根元から形成した体験を、最早すべて忘れ今を生きているのだ。中学高校と過去が近づくに連れ想い出せることは多くなるが、細部まで鮮明に蘇る些細な出来事があったり、悪夢や失敗した苦い思い出も多いもの。以前、幼馴染の女子に、成人してから呑んだ折「保育園のプールではみんな白いパンツ履いていたのに、あんただけ黒い水着を着てたよ」と嗤われ恥ずかしい思いをしたが、そんなこと能く覚えているものだと、心の深淵の不思議さを再確認したことである。

 昨年4月の園長拝任にあたり、それまで曖昧であった、最も肝要だと思われた「保育理念」を改めて制定した。世界を経巡り、異なる職場や自身の家庭、僧の先達等からお育て頂いた人生観も影響し、熟考の結果「人が人間になる」を理念とした。そして、骨格となる内容の3本柱を据えた。その第一が「人は出遇いによって人生が決まる」である。日本の諺にも「三つ子の魂百まで」とあるが、欧米でも「What is learned in the cradle is carried to the grave(ゆりかごで学ぶことは墓場まで持ち込む)と、同様の表現が広く知られる。保育の場に於いて、環境や体験は人格形成に多大な影響を及ぼし、しかも生涯に渡り過去の出来事や習慣を変えたり取り戻したりすることは出来ない為、幼少期の長い時間を保育園で生活する子ども達を前に、遊びに食育に掃除にと重責が課される。共感や自信、希望や感謝や葛藤など情操の基礎が大切であり、面白いことは何度も繰り返したがる子どもに付き合い、懸命に語られる話にマスクを外し耳を傾け、汁物を温かいまま美味しく食べて欲しいと配膳の順序を考えたりと、保育士には凡ゆる場面での丁寧さが肝心となる。幼少期の虐待が連鎖するように、与えられた愛情や優しさ、真心が後の人生に灯るのだ。その根幹が人との出遇いであろう。

 今から100年ほど前、インドの大都市カルカッタのある、西ベンガル州のジャングルで狼に育てられた野生児の少女が2人、キリスト教のジョセフ・シング師により発見された。家族がないので誕生日も名前もわからず、年下の女の子は推定1歳半、年長は8歳、それぞれアマラとカマラと名付けられた。狼の如く四つ足で移動し、手を使わず生肉を食べ、聴覚や嗅覚は鋭く、夜中には遠吠えをしたと云う。幼いアマラは保護された1年後、寄生虫が体内に巣喰い病気で死んでしまう。カマラは仲間の死に大変悲しんだが、シング牧師が妻と共に彼女を支え、更に人間としての二足歩行や言葉を教えようと試みた。しかし成長の元となる幼少期の発達が欠如し、尚と脈々「狼らしさ」が抜けず17歳でその命を終えた。罵倒する際の「お前はそれでも人間か」などという表現からして、人間を感情豊かで道徳的存在として捉えている私達は、生物として皆、人の姿形をして生まれるが、改めて人間とは何か、自分とは何か、宗教や教育また児童心理といった学問的分野の枠を超えて、根源的に出遇いの意味を私達に投げかけている。

 理念の内容の第二は「問いが人間を育てる」とした。いつも答えを求め、自分だけのモノサシで傲慢に人や物事の善悪を量り独善偏狭に満足するばかりの私達に欠落しているのが問い、或いは問われることだ。私の娘達の悩み事も学校での人間関係、具体的には「私はこう思うのに、あの子は何故そうしないのか」と、思い通りにならない周囲の自分以外の人に関することが多い。屹度、私達大人の人間関係の苦悩にも通底するだろう。「人は皆、外見も考え方も違うから」と諦観めいたところで、ときに自我を発揮し「彼奴はいない方が良い」などと、自己の都合で物事を考え信じ、異なる他者を悪と裁く煩悩は絶えない。しかし、皆違うからこそ一人ひとり違う個性を尊重することは、関係性を生きるに不可欠である。無論、子供が親の云う通りに育つことなどない。園で子どもが嘘をつくこと、悪戯や意地悪も、懸命に人間らしく生きようとするプロセスであろう。その一方でヤンチャな暴れん坊や皆と違う行動をする等の個性を敢えて認めることが難しい。だが本来、子どもは意思を持った一人の主体である。だから声を荒げダメなことを正しく指導する先生ほど危うい。失敗した子どもに怒ることは、本当にその子の為になっているか、自分の仕事が増え億劫なだけでないか。逆に小さな人の、殊にその素直さに胸迫る日々がある。教える立場、大人に従う立場という仮の関係性は、問いをして常に根底から揺さぶられる。而して私達保育者が迷い悩むことで、子ども達と共に生き、共に育ち合う関係性が芽生えていくのだ。

 最後には「全てのいのちは無条件に尊い」と、蓋し悲痛な願いである。誰しも苦痛がある時は楽になりたいし、不幸より幸せを求む。固より経済中心の社会では現実としてお金、此れも無いより有るに越したことはないし、勿論食事も美味い方が好い。弱いより強い。莫迦より賢い。遅いより早い。暗いより明るい。古いより新しい。醜いより美しい。解し易い二項対比は園でも始まり、言葉や身体能力、お絵描きも平仮名も走るのも、楽器の演奏までも、できないよりできる方が良いと褒められ、後の受験や出世、競争や差別へと累々と展がる。相模原で起きた障がい者殺傷事件の犯人も、病気より健康の価値を選んだ。障がい者は生きる意味がないと殺傷した彼が人間かと問えば、寧ろ死を悼んだカマラ以下であり「鬼畜にも劣る」と云えようが、現代では出生前診断や安楽死等の新たな課題を前に「苦しみたくない」などと、問題の本質は彼の思想の根源が私達と何も変わらないことであろう。それが、比べる心である。良い悪いと、その心をいつも離れられない私をはじめ職員、子ども達、保護者を含め人々を見守り導く、黄昏前の陽光の如く暖かに包み込む願いであってほしい。他者への尊敬を忘れないことで、自分はどう世界に対峙し、どう生きるのか、そう人の生涯を貫く真の主体性が育つ場処となろう。

[文章 若院]


欄外の言葉

 ゴキブリにもゴキブリの先祖がいる  武田定光

 上も下も無いことを「本当に尊い」という  海法龍


≪若院の伝道掲示板≫

 「私」のそとの 世界は圧倒的に 広く大きい

 比べる心は 尊さを見失う 悲しい心

 病気で死ぬ 当たり前のことが そうでない私


≪日曜おあさじ 講師紹介≫

 今年度の日曜おあさじの講師には、北陸は加賀市より佐野明弘先生にお越しいただきます。長らく僧の道に迷い続けた若院にとって、お師匠とも云うべき先輩であり、何度も寺に身を運び教えを乞うてきたが、今回初めて称念寺に来られます。本文で紹介した徳風保育園の保育理念を念頭に、法話をしていただくようお願いしました。換気、消毒、ソーシャルディスタンス等のコロナ感染症拡大防止対策を徹底しながら、ともにご聴聞いただきますようご案内いたします。聴講無料、お数珠のみお持ちください。


≪コロナ禍にあって取り組んだこと・本堂の内陣「床板=松材」の塗装≫

 新本堂造営に当たって仏具・荘厳に関しては、M仏壇店に発注した。約10年前からのお付き合い。工事終了後にも何かと協力いただいている。ご門徒さんの仏壇の洗い、仏具の修理、仏壇の移動、搬入などなど。またと東海地方の寺の修復などでは、職人さんたちとの交流がしばしばあって、今も続いている。

 漆塗りの作業を指導いただき、道具を借用し、「床板」の塗装に挑戦した。結果は、不合格。にわか仕立ての塗師の出来となった。プロ職人による、下手な作業(私)の手直しは、反って難しいこととなってしまった。(この修正作業は、私にとって漆塗りの眼目を学ぶ経験となった)朱塗りの、豪華な板内陣が、出来上がった。

YouTubeを知る

 パソコンでホームページを検索する、文章を書く、メールを送ることぐらいしか出来ません。ユーチューブを知って驚きました。これほどの発信があることに驚きました。(今頃知ったのか?笑われてしまいますが)数珠の持ち方、仏具の並べ方、お勤めの仕方などなど。大谷派のみならず各宗派など、何でもござれです。本堂での関わりでいえば、四方盛り、梨地仕上げ、象嵌、蒔絵、七々子打ち、拭き漆仕上げ、羅網について、青磁とは、深彫り等々。ともかく知識の宝庫でした。せんもんせいに専門性に優れたものも多くあって、それらを精査すればとても良い情報になります。
①ちいちの会=仏花の研究会
②声明徒然草=金沢・安養寺さまの講座
③大谷派各講師(佐野明弘・池田勇諦・一楽真先生などなど)のご法話を探り当てて閲覧しました。

 病後の通院が続く中、リハビリを週2回継続しています。毎朝の「おあさじ」では、声の体操として整え励んでいます。午後ぐらいになると「背骨」が痛みだします。運動不足の状態が、感じさせられますこの頃です。

 自己中心の怒り、腹立ち、嫉み、妬む心多くの私(罪悪深重)の中に 佛 照らしまします。

[文 住職]






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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳