寺報 清風











 上海から飛行機で3時間、渝州とも呼ばれる重慶市の空港に到着したのが、23時30分。市内の中心地へのアクセスは、リムジンバスで。深夜であったが探し当てて無事に乗車した。電気の明かりの少ない暗い道を約1時間、一転してギンギラの眩いばかりの繁華街・高層ビルが立ち並ぶ上清寺に着。そこからタクシーに乗車し、宿泊ホテルまでたどり着くことができた。チェックインをして房間に入ったが、時すでに午前1時。

 直ちに現地の24時間営業の旅行社に電話を入れる。大足一日ツアーを申し込んだ。参加費(昼食含む)は260元(約3千円)、ホテルのロビーに6時間後の朝7時、待っているようにと指示された、思いのほか簡単に予約ができた。これで今回の旅の主目的(石窟見学)が果たせることの安堵で、一挙に空腹感に襲われた。

 深夜2時、ホテルを出て近くの屋台に勇気を出して飛び込んだ。隣の席のテーブルの人たちが飲み食いしている食材を覗き、旨そうなものを選んで注文した。ここは四川省。重慶といえば激辛料理。案の定、唐辛子で真っ赤に彩られている菜品だ。辛さに驚きつつ、徐々に味覚が麻痺していくかのように、意外に旨いでないか…

 大足石刻まで約2時間30分、マイクロバスのツアー参加者は全てが中国人。曇天ながらも雨の気配なしで良好、だが外気温は蒸し暑い。添乗員が引率し全てを案内していくので、途中で迷子にならないように付いてきてくださいと指示された。10時半、宝頂山(寺号)に入場すると、乗り合い電気自動車にて5分ほど坂道を登って下車。いよいよ石刻の幕あき。最盛期は宋代(12〜13世紀=ちょうど宗祖の生涯の頃)といわれている。

 釈迦涅槃図は、全長31m、観無量寿経・経典の彫刻も緻密、慈悲に満ちた千手観音などの石窟(世界遺産)が代表的で有名。どれほどの時間をかけ、どれだけの人工でもってしたらこのような巨大な石刻が出来上がるのだろうか。どのようにして足場を組んで、上部を彫ったのであろうか。今にも岩壁から飛び出してきそうな大迫力を受ける。70あまりの石窟、そのなかの仏像の数、いったい何万体あるのであろうか?この造営のエネルギーは佛力?それとも仏教の寛大な教えから?


『観無量寿経』について

 観経の教えの中心は、心の雑念を払いのけて、精神を集中して浄土を心で観察する修行でありました。偉提希は釈尊の説法を聞き、ただちに極楽世界の光景を観て心から喜び、全ての迷いが晴れて悟りを得た後、人生の苦悩をそのまま引き受けて力強く生きる仏教徒となりました。

 仏弟子の一人である阿難に対しては、無量寿仏の名号(南無阿弥陀仏)を心にとどめよと説いています。

 後に中国の善導が初めて、『観経』は称名念仏を説くお経であると理解し、凡夫が往生できるただ一つの教えであると見出した。後の親鸞聖人の『正信偈』には、「善導独明仏正意(善導大師の一人だけが、仏陀の教えの正しい意味を明らかにされた)」と詠われている。

 観経の「王舎城の悲劇」は、食事を運び続けた生母をも幽閉し、食を断たれた父・頻婆婆羅は餓死し、息子・阿闍世は自ら王位を奪った。しかし阿闍世は後悔の念と罪の意識に苛まれ、全身にできものができ、死を予言されました。家臣の勧めで許しを乞い、釈尊に帰依して、後には教団を厚く支援されたと伝えられます。表面上は平和で何不自由なく暮らす私達も、かつての阿闍世と同じように、「自分が生きる為には、他人を犠牲にしても構わない」と思うことを、心の奥底で許してしまっているのではないでしょうか。


 大規模な石刻を彫る道具として、金属工具を用いたことから、この地・大足は古くから金属器の生産技術が発展した。現在もその伝統を伝えて包丁・ハサミの産地として知られているようだ。

 2日目、ロープウエイに乗って揚子江の対岸に渡る。河越しに見てみると、この地を別称『山城』と呼ぶ理由が見てとれた。坂道と石段が至る所にあり、歩いては登り、続いて急勾配の降り路、とても歩く気になれない地区も多い。エスカレーターやエレベーターさえも公共の道路の一部として使われているのだ。

 磁器口は、長江に面する水運の中心地として栄えた港。古い町並みの風情に富んだ古鎮の散策は、旅の緊張を解き放ち暫くは、やすらぎの空間に浸ることができた。


[文章 住職]



 ≪金障子・永代経のご志納≫

  廣瀬明雄さん 西町落合
  鈴木洋治さん 山屋敷町桐山


 ≪上海万博に行って来た≫

 旅の後半は上海、国際博覧会に行ってきました。行程の2日間、これに当てました。出かけたからには、1番人気の『中国館』に入場できるよう配慮してください、私が最も注目するのは『清明上河図』を観ることであると。開幕(5月1日)時点から、無理を承知で頼んでいました。

 「可以(OK)」が取れたと知らせをもらって、スケジュールに組み込んだ。現地の友人も私と同伴すれば長時間並ぶことなく、やすやすと『中国館』に入れることで2人が加わった。

 当日の午前11時(曇天・外気温すでに30度)中央ゲートから入場。その時点で、推定入場者数は約35万人とあった。各所ゾーンの人気のパビリオンは、数時間待ちの状況であるという。特に2番人気のサウジアラビア館は、連日7〜9時間待ちということで断念、次なるBマカオ館、C日本館も推定5時間待ちだと。よって最も人気薄のアフリカゾーンに焦点を絞った。

 会場そのものが大河(黄浦江)を挟んだダダ広い場所にあるので、目指すゾーンに行くのに大変だった。移動手段の電気バスなどもあるのだが、案内・説明が不十分。発車の時間が、行き先が、また経由地もよく分らなかった(炎天下、歩いて行くのは無理だ)。

 日中の暑さの中、どこもかしこも涼んでいる人が大勢見受けられた。クーラーの効いたパビリオン内でも腰を下して、大勢がドカッと座り込んでいる。

 車イスやベビーカーが優先される所のマナーにも驚いた。明らかに健常者が、幼児ではないでしょうと思われる子(小学生)が堂々と車イスなどに乗って並んでいる。入場するため順序良く並ぶために張られたロープを、潜って横入りする、文句を言っても知らん顔。コンサート会場では、前方の空間部分で声をあげ、走り回っている子供たち、わいわい大きな声で雑談している大人たち、携帯電話を場内で使用している人、入口から並ぶことなく出口から入る人達などなど。そうした光景、マナー違反はいたるところ、終日目撃させてもらいました。2日目の万博見物は意気消沈、キャンセルとしました。近々上海万博に行く方々へ。
「忍耐寛容最優先」お忘れなく!


 叱られて なお水遊び あきらめず  川島暖光



 ≪新本堂 建築委員会≫

 毎月1回の会議を開催し、諸問題を検討・整理しています。6月26日、視察(2回目)として、蒲郡市の大徳寺を訪問。本堂に参拝した後、まだ木の香り漂う堂内外を観察し、住持(副住職)さんより新築に至った経過、寄付金額、檀家さんの声、用材、建築規模、総事業費などを教示いただきました。


 消え際の 線香花火の 柳かな  鈴木花蓑


暑さ厳しい日が続きます。ご自愛ください。






               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2010年7月号

大足 石窟ひとり行く
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳