寺報 清風












 小学2年の長女の夏休みが始まり、寺の境内のセミの鳴き声も一段と大きくなってきた。今年もお盆の季節が近いと知らされる。称念寺では毎年、墓地「一向浄苑」にて、墓経・万灯会が勤められる。勤行する私共僧侶は、衣を脱ぐわけにもいかず、とにかく暑くボタボタと汗が出る。ひたすら体力勝負である。そんな中でも、真夏の暑い盛りにお詣りに来られる大勢の皆さんには頭が下がる。ひとえに、自らの人生に今ある全ての苦楽が、先に亡くなられた家族や祖先の歩みのおかげで成り立っていることに手を合わすのであろう。

 人はお墓の前で合掌するとき、故人との思い出を振り返ったり、故人と心の内で語り合う。また、近況の出来事を報告する方もある。苦しい状況にあるときには、見守ってもらうことで人生が良い方向へ転換することを願ったり、またどうしたら良いのか問い尋ねることもあろう。奥さんには花束をプレゼントせずとも墓には生花を活け、日常の人間関係には不服や愚痴ばかりでも、なぜか故人の前では私達の素直な心が表れるものである。しかし故人も今はお骨となり、百年以上かけて土に還る途中にある。すでに命終えたことで煩悩はなく、私達が手を合わせることにより浄土の仏となり、そこで私達は何を願われ、どう導かれんとするのだろうか。

 前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え   道綽禅師『安楽集』

 真宗では読経しない経典ではあるが、『法華経』に「火宅の比喩」という、お釈迦様が弟子達に説いた喩え話がある。ある時、金持ちの屋敷が火事になり、燃え盛る家の中で幼い子供達が気づかずに遊び続けていた。唯一の入り口である門は狭く、皆を抱き抱えて逃げることもできず、父親は火の怖さや焼け死んでしまうことを説明するが、遊びに夢中の子供達は聞く耳を持たない。そこで、子供達が欲しがっていた玩具が外にあると嘘をつき、先を競って火宅から逃れさせ救った、という話である。もちろん、父親とは仏を指し、子供達は私達のことである。

 私達の日常である「娑婆」は、誰もが様々な悩みと苦しみを抱えて生きる世界である。表面的にはどんなに幸せな人も、必ずその人なりの苦悩がある。地中で何年もかけて成長し、成虫して精一杯鳴いて、その短い命を終えるセミに苦悩はない。人間にも、生まれた時から苦しい世界があるのでなく、私達の心(煩悩)が原因で苦悩する。調子の良い時にも不安になるし、有り難い出会いや生活に足る金はあっても不満が残る。常に今ないものを手に入れればより満足できると思い込み、そのことを求めて日々暮らしていることが、仏教では「流転」と呼ばれてきた。

 お釈迦様の歩みは、人生の苦しみを出発点として始まった。有名な「四苦八苦」という言葉があるが、皆さんはその意味をご存じだろうか。四苦とは、生・老・病・死の、いのちの現実のことである。老いる苦しみ、病気や死の苦しは、誰もが逃れられない。生も苦しみとされたのは、生まれてきたことにおいて国籍や時代、性別や親も何一つ私達が選べたものはなく、生きることに老病死を抱える苦しみが伴うからである。先日も、とある法事で90代半ばとなったばあちゃんが、「生きることが苦しい」と笑いながら言われていた。医療や介護も発達し、皆健康で長生きを求めるが、煩悩がある限り生きることが「楽」にはならない。

 更に八苦として、四苦に加えて四つの苦しみが説かれる。「愛別離苦」愛するものと離れ別れる苦しみ、「怨憎会苦」都合の悪いものにも会わなければならない苦しみ、そして「求不得苦」欲しいものが手に入らない苦しみである。最後の「五蘊盛苦」は、肉体や精神がはたらくことの苦しみだそうだが、私もその意味は未だによくわからない。

 いずれにせよ、各々振り返ってみれば、誰もが思い当たる事実である。けれども、人生が苦しみであるという逃れられない真理そのものが暗いので、なるべく明るく生きようとする。財産や名誉の向上に努力し、趣味や好きなことを楽しみ、美味い食を求め、病気や老化はできる限り遅らせる。これは私がそういう生き方を批判しているのでなく、「火宅の子」と表現される私自身そのものの姿である。年配の方々も「動けるうちに旅行」、「元気なうちが華」などと語った記憶があるのでないか。また、死に至るガンや心筋梗塞などの病気だけでなく、寝たきりや認知症で生き続けることも怖い。結論として、最期は苦しまずに死にたい、周りに迷惑をかけずに死にたい、とくる。授かったかけがえのない命を、「何のために生きるのか」と問われた答えとしては、あまりに浅くまた疑問が残る。

 朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり   孔子『論語』里仁篇

 仏教の歴史において、そのような人間の根本的な課題に対し、自身の尊厳をも見失う日常生活から離れて出家し、縁起と無常を心得て生きる「聖道門」の道がある。しかし苦しみの元である煩悩や欲望を減らすべく、禁欲生活を続けることは不可能に近い。親鸞聖人は自身のあり方を「非僧非俗」と表現した。ここでは「僧」とは出家、「俗」とは在家を指すが、日常生活の一切を投げ出すこともせず、しかし日常の迷いの自分にも溺れず、念仏することで煩悩に惑う自分を自分と知るのである。そこから自身の苦悩を引き受け、同時に人間を見失うことのない本来の願いに、安心して自分らしく生きた聖人の歩みがある。行事として伝承されてきたお盆のお墓参りだが、私達も本当の意味で、それぞれの生き方を見つめ直し、故人からの願いを共に聴いていきたい。


[文章 若院]



≪新・本堂の意匠(2)≫ 

 鬼瓦といえば、入母屋、寄棟であったりする木造家屋の屋根の棟の両端に取り付けられる装飾であり、真宗系の本堂では、最上部の棟端に象徴的に多く「経の巻」が取り付けられます。略して「鬼」とも呼ばれる。その形態は雑多であり、家紋、鬼面、獅子口、鴟尾(しび)であったりする。

 新本堂のいわゆる鬼瓦は、「カンタカ」とした。釈尊を出家に導いた愛馬の名がカンタカである。釈尊の出家の瞬間に思いを馳せ、真理への不退転の決意を託して「鬼瓦」に採用しました。

 釈尊は29歳の時に出家を決意されましたが、愛する妻子との別れに決意が揺らいでいました。そのとき愛馬・カンタカが高らかな蹄の音をたてて、出家を促しました。我にかえった釈尊はついに一大決心をされました。カンタカがいなければ、お釈迦様は出家せず、仏教も存在しなかったかもしれないのです。

 江戸時代に建立した現本堂の柱は、多く「角材」が多用されていますが、明治期以降の寺院建築では内陣のみに使用した「丸柱」が、外陣の間の柱にも丸柱を取り込むように変化してきた経緯がある。今回の用材は、原木からおおまかに4角状にして自然乾燥させること10年、次に8角の柱用に伐り出しました。

 ここまで加工は、製材機でいいのですが更に、16角形、32角形にした後に鉋(かんな)をかけて丸柱とする工程は、著名な宮大工といえども現在不可能ではないのですが、作業時間の短縮、労力の削減などで鉋を使いません。超大型の製材機器でいとも正確に、簡単に加工・裁断するのが近年の現場です。鋸、チョウナ、錐、金槌といった道具はすでに片隅に追いやられ、各種の加工機器をうまく使いこなすことが技、電動工具が仕事をするといったのが社寺専門の木工事の現場での有様です。

 堂宮建築の会社であっても、パソコンで入力しプレカット仕口でボルト、鎹(かすがい)など鉄金具が頻繁に多用されているばかりか、木をホゾで組む、いわゆる「木組」、「仕口」といった言葉は徐々に死語になってきました。

 そうした中にも構造の耐震と断熱といった仕様については、近年めまぐるしく向上した対応が見受けられますが、建物の特に木造の寺院建築物でいえば、長寿命であることが主題であったにもかかわらず、近年はここに配慮した研究・設計は、全く探りだせない現況です。

 電動機械工具で築き上げる現代の木造本堂ですから、逆に様々な手仕事の様相を表現するために内陣の柱に「綸子(りんず)」模様を彫刻することを目指しています。部材の支輪(しりん)にも「綸子彫り」を取り入れた文様としました。

 綸子模様は卍をもとに連続して配置した幾何学文様であり、建築物の各部種に多く使われてきた模様に一つであるが、近年それを彫った意匠を発注すれば作業時間を換算した請求書が提示されるので、ためらうことが多くなってしまったが…


≪設計士との打ち合わせ≫

 頻繁に、新本堂の設計について打ち合わせをしています。しかし2名の設計士にとって初物尽くしの取り組みとなっています。

@用材はすでに購入済みのケヤキとチーク材で配置してください。
A5種類の彫刻された天井板400枚を取り付けてください
B綸子彫りのケヤキ支輪板50枚を嵌めこんで。
Cさらに彫刻された朱壇(あかたん)の貫板50枚を
D蛙股(かえるまた)飾りを15個
E梁の鏡板に龍の彫刻8点を
F金障子は七宝組子が用意してあります。
G金襖用の七宝組子が4間分あります。
H内陣の框(かまち)飾り彫刻板50点
I釘隠しが30点
J欅の無垢板での欄間が7間分あります。
K本堂基礎部分の各種石材などは凡そトラック3台分です。保管してある4ヶ所の倉庫に出かけて部材の確認してもらいます。

 各種主なもの@からKを列記しても以上のようです。これらの大きさ、数量、寸法を計測して、設計士さんは図面に取り込んでいく作業をしていただいています。

 これほどに多量の準備済みの部材を基に設計依頼を受けたことは、お二人とも初体験とのこと。改めて本堂とは?理想の木造構造とは?どのような屋根構造、外観にすべきか?など未体験の課題を担って、丈夫で長持ちの本堂設計に取り組んでいただいています。設計期間はあと3ヶ月、10月末までです。


≪お盆を迎える≫

 お内仏の清掃がまず始めありき、まず埃を払って空拭きなどを。
@仏具のお磨き=真鍮の垢、汚れを落とす
A打敷を掛ける=絽、紗などの夏用のものを
B仏華=槙の木を芯に、ほおずきを添え花とする
C切子灯篭があれば吊るす。

 次は仏法の聴聞=お盆法要に参詣する。加えてお盆の期間13日〜16日には、お墓参りを…
 一向浄苑のお盆は以下の通りです。
@8月13日(月) 墓経:午前7〜9時 万灯会:午後6〜8時
A8月14日(火) 墓経:午前7〜9時 万灯会:午後6〜8時

 13、14日には、午前に「墓の申し経」の受付があります。両日ともに午前7時から9時まで。これら2日間、夕方の午後6時から8時過ぎまでは、「万灯会・申し経」の受付が設置されますので、御志を納めて番号札を受け取り、お近くの僧侶に札を渡して読経を申し出てください。

 これらのなかで13日の万灯会は、開始当初の午後6時頃が最も混雑します。少し遅い時間帯の7時前後にお越しくださると幸いです。

 日没とともに一向浄苑・全域に点灯された「角灯篭」のローソクの灯りが、ほど良い雰囲気を醸し出してくれています。


≪書写の会≫

 親鸞聖人のおことばに直接ふれ、書いて学んでいただくことを目的としています。筆記具は、@毛筆、A鉛筆、Bペン等、各自が筆記具を選択できます。

 第1回 9月1日(土)
 第2回 10月6日(土)
 第3回 11月3日(土)
 ※毎月第一土曜日を予定 午後7時から 会場:門徒会館

 題材は「正信偈」の楷書のお手本を使用する、新講座です。会費は、材料代2千円です。参加は自由ですので、皆様誘い合わせてお出かけください。







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2012年8月号

お盆のお墓参り
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳