寺報 清風












 梅雨も明け、暑いお盆の季節が近づいて来た。今年のまだクーラーのいらない頃、網戸にしていた離れの入口付近にある石灯籠の下側に巣を構えようとしていた蓑虫が、食用にか長い間しつこく襲って来たアシナガバチに対し、その上半身を起こしてピクピクと懸命に動き怒りを表現し抵抗していた。同じ生き物でも、自然界での生存競争の厳しさを感じると共に、小さな蓑虫にも「生きる」ことの真剣さがあるのだと知った。今ではその場所に立派な蓑を作り、中で越冬しガに成虫する準備をしている。

 私の寺務所でもある離れの入口では、連日のように蚊取り線香を焚いている。以前米国でチベット仏教のダライラマ14世が蚊と不殺生の戒律について質問され、一応手で追い払うようにはするが、刺されたら「殺す」とは言わずにジェスチャーでポンと腕を叩いて答え笑っていたという話を聞いたことがある。浄土真宗に守るべき戒律はないが、蚊がなるべく屋内に入らないようにする。肉食しながらも、ゴキブリ同様できるだけ生き物を殺すことは避けたい。子供にも採ったチョウチョ等昆虫は逃がしてやるよう教えている。しかし、子供達も学校帰りに離れに寄ることから、周辺のハチには市販の「ハチ激取れ」というトラップを仕掛け対応している。

 今年は気象庁による梅雨明けの発表前に、たまたま早朝に出仕した寺の境内ではセミが鳴き始め、改めて私は「地中に何年も住み続けるのに、よく季節が的確にわかるもんだ」と感心した。以後、真昼の強い日差しを避け、朝方や夕暮れにはセミ達の鳴き声が良く響く。『正信偈』にもでてくる中国の曇鸞大師の書かれた『浄土論註』という書物に、「蟪蛄(ケイコ)春秋を知らず、伊虫(イチュウ)あに朱陽の節を知らんや」という言葉がある。セミは春と秋を知らない、どうして今が夏だと知ることができようか、という意味だ。これは譬え話で、セミが私達のことで、自身のあり方を知らしめる他の季節は様々に考えられる。

 称念寺では8月初旬に盆経会の法要が勤められ、この1年の間に亡くなられた方々の初盆を各家庭でお勤めし、また一向浄苑(墓地)では毎年恒例の墓経も2日間にわたりお勤めされることである。毎年多くの方々がお墓に仏花を供え、ロウソクを灯し線香を焚き、手を合わせに来られている。普段から寺に参詣するご縁が薄い方々や若夫婦子供達をも含め、娑婆に生きる私達にとって、同じく命を授かり縁尽きて先に命を終えていかれた人々との接点がそこにある。先述のセミの譬えでは、故人の死に向かい合うことによって現在ある私の生きることが明らかになる、と示唆される。

 現在より約20万年前に出現し、約2万4千年前に絶滅したとされる旧人のネアンデルタール人は、その人骨化石からヨーロッパからアジアにかけて分布していたことがわかっている。旧石器時代に暮らした彼らは、洞窟に住み、狩猟や動物の解体に石器を使用し、炉の跡地もあり積極的に火を使って生きていた。1950年代に、アメリカの考古学者ラルフ・ソレッキがイラク北部のシャニダール洞窟を発掘調査したところ、遺骨の周囲に少なくとも8種類の色鮮やかな花の花粉が発見された。そこから現代の私達と同様、ネアンデルタール人が死者に花を手向け、死者を悼む心があったと言われている。その詳細を私は知らないが、きっと彼らも自身の生きる命とその死は感じたのだろうと思う。

 現代の私達は、お釈迦さまの教えから、日常生活では感じることが難しいことが色々と教えられる。まず、私達一人一人の人生全ては、様々なご縁と先に生まれては亡くなっていった無数の先祖から引き継がれてきたおかげである、ということ。また人間を含むあらゆる命は必ず死を迎え、しかも生も死も私達の思い通りにはならない。しかし私もあなたも、誰も代わりのいない、広大な宇宙のなか地球という星に人間として生まれた、過去にも未来にも唯一無二の存在なのである。

 大切な人を先に失うこともあるし、また大切な人を残し自分が先に死んでいかなければならないこともある。ご縁のなか年も取るし、病気にもなる。だからこそ私達は、故人同様死すべきこの命をどのように生きるのか、そのままの私で本当に生まれてきて良かったとどこで言えるのか、問われてくるのだ。煩悩に迷い苦悩し、違いを持つ周りの人々を自身だけの善悪で判断し、その日常には一期一会の出遇いの感動はあるだろうか。また今年の盆も皆さんと共に合掌し、お念仏「南無阿弥陀仏」のなかにあるいのちの感覚と自身の学びを深めたい。

[文章 若院]



≪建設委員会≫ 

 6月21日(金)の委員会は本堂再建を請け負った社寺建築会社=丸平建設の本社を、設計士さんとともに視察・訪問しました。工場の各所に拙寺の各資材が搬入されていました。ケヤキ材は、屋根つきの倉庫に大切に扱われ整然と保管されていました。福建省の松(三明松)やアフリカ材(ブビンガ)は、板材として反りを防御しながら、桟に挟んで高く積み上げられていた。チーク材(ミャンマー産)の太い原木の1本は、加工中でした。大型の製材機に載せられて、のこぎりマシンが高速回転する歯で、いとも正確に造作なく10ミリ単位で外側から順次そぎ落とし、また四角の梁材にする工程を見学、説明いただきました。

 原木1本が柱材になるのには、約3時間ほど掛かる様子でした。チーク材の原木70本は、露天の土場に並べてあり出番を待つ状態です。とても広い工場にあって、称念寺の建設用材が各所に配置されているのを確認しました。

 引き続き社長・監督さんの引率で移動、丸平建設さんが施工実績の本堂(岐阜市内の大谷派=T寺)を訪れました。住職さんから、担当されてた野口さんという宮大工の技量についてお褒めの声を聴かせていただきました。拙寺の建て方の筆頭棟梁は、その“野口好治さん”が担当して下さいます。知立から岐阜県揖斐郡の会社まで車で、往復約3時間の行程でした。


≪製材加工について≫

 柱・鴨居・貫・土台などに充当させる製材はこれから先、まだまだ1年ほどの期間を要します。その間2週間に一度ほどは設計士さんを同行して、部材取りした材を確認するために丸平建設に出向くことと予定しています。その都度、加工現場の製材・加工する超大型の電動機器の切断作業の様子に、ただただ驚嘆するばかりでした。


≪地質の検査≫

 7月18日から検査機が搬入された。本堂を建てる地質を改めて調査にかかった。搾掘は、地下21mまで行うという。データを見てから埋設パイルの形状が決められる。この秋にかかる基礎工事前の進行表の一場面です(紙面掲載写真「地質検査のボーリング」)。


● ソテツの生垣がある。新しい葉っぱが出始めたのできれいに古い葉をすべて刈り込んだ。そしたら一か所から花の芽がでてきた。ソテツは、雌雄異株であるという。どうやら‟雄花”らしい。花は、松かさのでっかいもののような形状、さてこの後どんな変化を見せてくれるか期待している。


◎土香炉を求めて

 ご本尊の前の中央には、かならず「香炉」を設置します。香炉には、①土香炉(ドゴウロ、陶器)と②金香炉(真鍮のものが多い)とがある。平素に常用する土香炉は、青磁といわれる器である。京仏具の一流店のカタログで30万円と載っているが、しかし「三田(サンタ)製」に似せて作られた品でしかない。この土香炉を新たに購入するとして調べたり、仏具の専門店などに教えてもらったら戦前にあった「三田青磁」の古美術品が最高でしょうと示唆された。

 本堂用の口径7寸の三田(兵庫県の地名)の香炉が、あるご縁で拙寺にやってきた。明治・大正期の特徴でもある龍と雨の柄のものであった。この図柄を雨龍、ルビは「あまりょう」と読むのも知りえた。お代は19万円(予想額の半分以下)、約100年ほど以前の透かし土香炉であった。少々珍しい焼き物でもあります。

 雨龍は細かい表現であるので焼き入れ時に、ニュウが入った失敗作が多いのも特徴と言われています。たかが香炉鉢ですが、香合・打ち敷きはじめほかの「お道具」にも職人の匠の力が伝わってくるものが仏具関連には多々あります。

 三田青磁の香炉は寺院用でなく一般家庭の仏壇用の品物として多くが製造されてきた。古い仏壇を使用している方々の中にはこの土香炉が見つかるかも知れません。香炉の底裏に「欽古」の銘があったならば特に価値が高いものです。


 炎暑しのぎがたいこの頃ですが、どうかお体にお気をつけて・・・








               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2013年8月号

夏を知らない蝉
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳