寺報 清風











 仏陀釈尊の伝説の一つに「四門出遊」の物語がある。かつてゴータマ・シッダールタがシャカ族の王子であった時代、美しく飾られた城の中で丁寧に養育されていたゴータマが、いのちの厳粛な事実に向き合ったエピソードである。ある時お城の外に従者と共に出かけられ、東の門を出て老人に会い、別の日に南門を出て病人に会い、また西門を出て死人に会ったことによって、老いること、病むこと、死ぬことを避けられない身であることを知り、思いがけず自身の傲慢が崩れた体験であった。

 私達の社会でも、医学的、科学的に老病死を遠ざけてきている。だから現代に生きる私達も同様に、老病死を本当には知らないのでないか。人が何時死ぬのかわからないと頭では理解しつつ、今朝目が覚め生きていることに驚いた人もいない。一昨日も昨日もあり、きっと明日もあると今日生きている。私達は無常の事実でなく、「邪見」という自分の思いだけで物事を見て、今ここにある命とその死に慣れてしまい軽視すらしている。邪見から「驕慢」が生まれるのだ(邪見驕慢悪衆生『正信偈』)。

 これは同時に、対応や対策をもって外側から人間の問題を解決しようという考え方であり、仏教では「世間道」としてきた。人生の苦悩に対し医療や経済の発展、そして豊かさ、快適さ、便利さを求め、努力すれば何とかなると対処してきた。けれども私達の煩悩は尽きず、一時的に満足しても「より楽はないか」、「もっと美味いモノはないか」などと日が経ち不満になる。こうして苦楽を行き来することが「生死流転」と言われ、その全体が苦である。執着を離れなければ、決して満足することはない。同時に、若さ、健康、生命への執着を離れられない凡夫であることに苦悩している。

 老病死に加え、四苦の「生苦」も深い。何のために生まれてきたのか、生きていることの意味がわからない。誰しも充実した人生を送ろうと一生懸命生きてきたが、振り返ると親子でも夫婦でも本当に分かり合えず、自分の人生とは一体何であったのか、孤独や虚しさが残される。生きる限り「愛別離苦」も避けられず、大切な人との別れの穴が埋まらない。自分のことでありながら、本当に願うべきことは何か、何を求め生きるのかがわからない。何歳になっても「まだまだ」と生にのみ執着し満足して死にきれず、せいぜい人生を楽しみ「ピンピンコロリ」などと望むが、そんなことが私達の本当の願いだろうか。

 かつて南インドにラマナ・マハルシという聖者がおり、真の自分を探求する実践として「あなたは何者か?」と問いかけていた。私達であればまず自分の名前を言うだろう。同様に質問がなされる。そして職業などを紹介し自分が誰であるのか説明しようとする。同じ質問が繰り返される。最後には「私は人間です」としか答えようがない。けれども更に問われれば答えられない。これが「生苦」の内容である。つまり地位や関係性、知識や体験などをして自分であると認識しているが、それらは付加価値でしかない。同じ自身のいのちを、できるとかできないとか、調子が良ければ受け止め、悪ければ落ち込む自我意識が問題なのだ。例えば子供が母親を「お母さん」と呼ぶように、そのままの私を私として受け止めてくれる眼差しのなかに於いて、初めて人間が開かれ、人は今「私」を生きることができる。

 人間の知恵や努力では乗り越えられないことを、昔から「自力は無効だ」と言われてきた。ゴータマは最後に北門より出て修行僧に会ったことで、出家して修業した後に悟りを得て仏陀となられた。本当の自分、あるがままの私を生きたいと道を求め、「出世間道」である仏教を説かれた。浄土真宗でも、どうしても逃れられない苦悩を如来の光が照らし、その迷いの身に頷く時が来る、と教えられる。それは人間の存在と苦悩からでた仏の願いに触れたときに「そうであった」と知らされる。あらゆる存在に「迷いの衆生よ」と照らし出す呼び声が念仏であり、その声に「私のことでした」と親鸞聖人は頷かれた。辛いことがあるとすぐに「何故だ」と私達はその意味を持たそうとするが、いのちは元々意味を超えて生き展開している。身と土に於いて救おうと、私を呼ぶ世界に出遇っていくことが浄土真宗であろう。


※ 今回の寺報原稿は、7月16日に碧海教会(安城市)にて開かれた「2014夏季真宗講座」での佐野明弘氏(加賀市、光闡坊住持)によるお話です。この文責は法話の一部をまとめた若院にありますが、岡崎教区17組より講義録が出版されます。希望される方は後日、岡崎教務所にてお求めください。


≪新本堂寄付札について≫ 

 寄付金を記帳下さった額の集計状況は94%(26年7月末)です。境内の南駐車場に寄進者の掲示し、以下のよう寄付金額を表記せずに、新本堂の部材名を寄付金額に充当させて、寄進人名を並べていきます。

 500万円以上
  大虹梁 欅
  欅 四本柱(最も太い外陣の丸柱)
  虹梁 二間幅

 100万円以上
  欅柱 内陣
  破風アフリカ欅
  チーク九寸角柱(外回りの四角柱)

 50万円以上
  枡組・敷居
  支輪 彫刻(卍彫りに3文字入り)

 30万円以上
  桔木 頭貫
  壁貫 彫刻(天女・雲・龍型彫り)

 10万円以上
  天井板 金箔押
  天井板 漆塗(銀杏紋・山号紋)
  軒 垂木


≪仏具の修理≫

 従来使用してきた仏具は、八尾市の「松本仏壇製作所」に預かっていただいています。多くの仏具は「洗い」をして新品同様に塗り直されます。約200年前から使用されてきた仏具ですが、素材そのものが現在新品で調達した仏具よりも品質が良いと判断されました。

 「洗い」は金具を外して一旦バラバラに解体します。それらの漆を剥ぎ取って、木地から改めて塗装・金箔加工します。そして組み直した後に金具を打ちます。その作業場では多くの職人さんが、それぞれの専門職域が区分され担っています。

 「須弥壇」「宮殿」の漆はもともと黒色の漆仕上げでしたが「洗い」後にあっては色合いを変えて「白檀塗り」色を基調としました。その他前卓、聖人卓、登高座具など数多い仏具が順次修復される予定です。出来上がったものが報告されてくると、八尾市まで仕上がり具合を確認するため出かけます。


 泣き疲れたる 鈴虫と 共に寝む (檜笠 文)

≪お盆の仏華≫

 夏は添える花類が少ないことから、鬼灯の花実を見立てて添え花とした。極暑のお盆の仏華は、新は「槇」で立てて、添え花は鬼灯(ホオズキ)とすることが慣習になりました。お内仏前の盆提灯が各種あるが、できれば真宗系専用の「切子灯篭」を入手できます。


≪一向浄苑の万灯会≫

 8月13、14日の夕方6時から、順に墓碑の前に献灯していただいたなかで「万灯会の読経」をお勤めします。開始当初は混み合いますので、夜7時過ぎにお出かけ下さいますと、受付・駐車場(臨時)等も空くと思われます。また両日、午前7時半から9時半まで「朝の墓経」を受け付けます。


 風鈴の 音を点ぜし 軒端かな (高浜虚子)


≪本堂基礎工事の順延≫

 6月末には基礎工事を終える工程でした。しかし遅れが生じ7月19日の打設という、猛暑期間にずれ込んでしまいました。委員会は「暑中RC」打設を悪判断と下して、あえて最終RC打設を10月まで中止すると決めました。7月12日の建設委員会議の席上、設計監理士と施工会社に対して工事の遅延について猛省を促しました。事情は色々あったようですが、今後は進行工程表を尊守くださるよう詰く申し入れました。

 夏場のコンクリートを、特別に「暑中RC」と呼びます。RCはもともと「生き物」とも言われ、大層厄介なものとされています。なかでも夏場のRCは格別問題が多いことから、涼しくなる頃を待って打設するとした。7月18、22、24日の「打合せ」のなか、各業者さんから工事が順延となった謝意が届きました。加えて工事工程表の見直しの打合せを設定しました(8月1日)。丈夫で長寿命をテーマとした新本堂の工事ゆえ苦渋のなか、暑中RC打設は中止して秋期まで順延するとしました。

 基礎工事:9月、準備の再点検。RC打設は10月中旬、引き続き敷石等の設置。
 素屋根の工事:11月に設置を始める。
 本堂の建て方:12月から開始

 「木工事」は施工会社の作業棟の中で、柱・虹梁・頭貫・枡組加工等は、森等氏(棟梁・51歳)ほか3名が担っています。虹梁には雲、波などの図案から彫刻師の野々村仁氏(58歳)が担当、木彫り作業も順調に進められています。これらについても月1回、点検する立会の場に住職が出かけます。


● 推薦図書

 日中の海を越えた愛『恵恵(フィーフィー)』文芸春秋刊。定価1400円+税。恵恵、岡崎健太著。表紙の帯に、さよなら、健太あの日、私を見つけてくれてありがとう、と。感動の手記。

 20年来の老朋友・毛丹青(マオタンチン、神戸国際大学教授)さんが「仕掛け人」として関わった新刊。この本はNHKニュース9のなかでも大きく取り上げられました。また彼が、日本記者クラブで講演し紹介したことでも話題となった切ない愛の物語です。今週に向けて、日中合作の映画化が進行中です。

 恵恵は愛称。1977年北京に生まれる。本名は詹松恵(ジャンソンフィ)。99年関西学院大学に留学、05年大学院卒業。11年逝去、享年33歳。訳者は泉京鹿さん、久しぶりに彼女の翻訳文に出会った。言語表現力に感服することしきり。

 猛暑日が続きます。厳しい夏の本番はこれからです。十分に体調を管理ください。暑中お見舞い申し上げます。





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2014年8月号

「今を生きる」ということ
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳

教務所