寺報 清風











 お盆には門徒さんから「盆提灯を買った方が良いですか」とよく聞かれる。基本的に提灯はいらないが、すでに家にあったり人に頂いたりしていれば、飾っていただいても構わない。正式には、浄土真宗には「切子灯籠」という盆飾りがある。ご縁があれば是非買っていただきたいが、数万~十万円超という高額のもので、住職も私も無理に勧めることはない。たかが提灯ではあるが、形にはそこに表現された意味や願いがある。今年のお盆を迎えるにあたり、その意義を少し整理してみたい。

 広く一般的に、お盆は先祖を大切にする宗教行事だと理解されている。一部地域では、迷わず帰れるよう火を焚き先祖の霊を迎え、精霊棚で故人にお供えし、送り火で冥土に帰す習慣がある。川や海への「灯籠流し」があり、キュウリや茄子に4本足を付け祖霊のための乗り物まで用意する風習もある。早く帰宅してほしいとキュウリは馬に見立て、逆にゆっくりと帰ってもらうための牛が茄子だ。お墓へ参るのも、故人に再会する気持ちの方もいれば、霊魂が家に帰っている間に掃除をしたりする「留守参り」を意図する人もある。更に「施餓鬼」といい、先祖以外の成仏できないでいる餓鬼もが供養の対象になっていることもある。盆踊りともなると、踊り食って飲むというお祭り騒ぎに終始する方も多い。皆さんはどのような気持ちで毎年のお盆を迎えてこられただろうか。

 そもそも先祖崇拝は、中国・漢民族の宗教である老子を始祖とする道教の習慣である。日本の「お中元」のもととなった道教行事「中元」が、旧暦の7月15日に行われてきている。一方、『仏説盂蘭盆経』は釈尊の弟子の目連尊者が、餓鬼道に堕ちた母を供養した説話の経典である。実際に、釈尊在世のインドでも「安吾(アンゴ)」と呼ばれる、雨期に僧達が集まり学びを深める期間があったが、目連が供養したという安吾の最終日が7月15日であった。そして道教の先祖崇拝と『盂蘭盆経』の故事を合わせた中国の行事が日本に伝わりお盆となった。

 しかしこの経は釈迦が説いた「仏説」とあるが誤りで、古来先祖を祀ってきた中国で創作された「偽経」であり、しかも読むとその内容は父母の恩に報いる孔子の儒教の「孝心」が説かれている。お盆はその期限が大変ややこしく、真宗の門徒間でも誤解が多い。

 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり (『歎異抄』第5条)

 お釈迦さまの説かれた仏教の教えに、人間が死後に霊魂となる話もなければ、また釈迦が先祖を追善供養したこともない。上記の親鸞聖人の言葉も、亡き父母への親孝行や供養するため手を合わせたことは一度もないという、大変厳しい線引きである。誤解を招き易いが、亡くなった家族を大切にしないということではない。事実として、私達のいのちは、父母、祖父母をはじめ、地球上に於ける命の誕生に始まり、先祖代々引き継がれてきたものだ。縁あって人間として生まれてきたからこそ、苦労しながら人生を生き、喜び悩みながら今ここに私が在る。けれども亡き家族に感謝するに留まらず、仏を前にして初めて明らかになる人間の本質的な愚かさに頷くことが肝要となる。「一切の有情」とは命の相であり、家族や友、動物や虫、植物の命に至るまで思いを越えて躍動する生命、同じく必ず死すべき命を生きている。自身の命の尊さ、他の命の重さを忘れ、互いに尊重することを見失っているのが人間であろう。

 すべからく物事は基礎を大切にすべきだ。お盆とは古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ullambana」の漢訳で「盂蘭盆」という言葉に由来し、逆さまに吊るされる「倒懸」を意味する。切子灯籠の形は、まさに人間が逆さまに吊るされ着物が垂れ下がり、横に付く飾りは乱れた髪の毛を表し、しかも上部には死を連想させる黒いカラスがいる。もちろん、逆さまで苦しむ姿は目連の母や先祖でなく、この私自身のことだ。聞法して自身の生活を振り返ると、法話のとおり、毎日のように自分の価値判断であらゆる物事に善悪や上下を決めつけ、良かれと思い家族や周囲に押し付け、互いに居場所を奪い合っているあり方に気付かされる。若く健康な自分が自分だと思い込み、実際の老いて病む我が身を受け止めない。私もいつ死ぬかわからんと言いながら、明日もあるとかけがえのない今日をなんとなく過ごしている。いつまで霊魂の供養がどうこうトロいことに迷っておるんや。私が身をもって示した死を前に、他の何者も生きられない自分の人生を真剣に悔いなく生きてくれ。私が喜ぶのはお前が南無阿弥陀仏の教えに出遇っていってくれることや、という諸仏となった故人の願いが私には聴聞させられる。

[文章 若院]



«新本堂工事の再開≫

 中断した新本堂工事を再開すべく役員会、建設委員会は対応を検討してきました。複数社にあたるも残り工事の請負工事費が思いのほか高額で苦慮してきました。拙寺本堂の「木工事」は一般的な本堂設計図面より、各段上の耐震、長寿命対策の工夫などが各所の設計図面に取り入れられて表記されています。そうした難しい施工については、一部の社寺建築業者(堂宮大工)さんには請負に躊躇する場面が多くありました。

 6~7月にかけて岐阜県「O社」が請負金額を提示することとなっていました。7月17日(金)には「O社」請負金額が出ました。これを受けて、拙寺の住職、役員数名、設計士がO社を訪問。更なる値引き交渉、一部の工事を除外などして、総請負金額を下げるべく折衝していました。

 21、22日に住職は関西に向かった。著名な大工Kさん(現代の名工の一人)との会談場面があった。知人Mさん、S寺の住職も参加し強烈なアドバイスがあった。真剣に寺の本堂再工事が始動できるように願っている人達との熱い声の飛び交う2日間であった。大工棟梁、現場監督をまず決めて「直営方式」でことにあたることがベストであるとの結論に至った。この助言を受けてすぐさま打診して手配に入った。これには設計士古橋氏の助力が大であった。22~23日にかけて棟梁、現場監督の設置が受諾いただけた。

 24日(金)役員会に続いて午後7時から建設委員会が開催された。協力スタッフからの説明を受けて「直営方式」で本堂工事を再始動させることを全会一致で議決できました。社寺建築会社「O社」はこの2ヶ月、再始動の工事費積算の労苦に尽々なる謝意をもって準備し続けていたにもかかわらず、破談となった経緯を報告しました。残念ながらご縁がなくなったO社社長さんの口から、再始動にたどり着いた建設委員会に温かい言葉をいただいたのが胸に突き刺さった。

 木材加工の始動:8月盆過ぎ
 工事現場での木工事:10月から(境内にて)
 工事の終了予定:明年9月

 上記のよう予想される工程が発表されました。次号の寺報に詳細、決定事項は順次お知らせできるでしょう。


«梵鐘»

 梵鐘の鐘は、第2次世界大戦の戦時下において金属製仏具と共に供出された。終戦後の昭和22年の夏、豊川市の株)中野鋳造製作所が造ったもので、同年10月に梵鐘が「正覚大音、響流十方」と届けるようになった経緯が、鐘の側面に刻字されている。爾来、門徒さんの有志が毎朝駆けつけ境内の鐘楼に上がり、正6時に梵鐘音が「9打」、68年間にわたって撞かれ続いている。現在は原田、清水、田中さんの3氏によって振り分けられ役目が組まれている。

 ここ数年来、8月だけは昼間にも特別の日を設定しました。6日は広島原爆投下時刻の8時15分に、9日は長崎投下の11時2分に、そして15日は終戦記念の正午に「平和への希求」の音声を届けます。


 門徒のお盆には、お内仏の仏具のおみがき、夏用の打敷、仏華をあらためます。切子灯籠があれば設置しましょう。真宗門徒はお盆の俗信には惑わされず、お内仏の前に座ってご縁をいただいた私の命、お育てくださった亡き人の謝恩を偲びつつ、家族そろってお内仏にお参りしたいものです。

 盆用意 すべてととのひ ふと虚し  (長谷川浪々子)





               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2015年8月号

真宗の盂蘭盆
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳