寺報 清風







            先達としての宗祖


 先日、妻との会話のなかで、中学1年の次女の授業参観に出掛け、その教室の前面の壁に張り出された教訓を教えてもらった。それは「みんながみんなを受け入れる、①何を言ってもバカにしない、②仲間はずれにしない、③日頃から仲良くする」というものであった。また「友達をバカにせず、一人一人の心や命を大切に」と後ろ側にも掲げてあった、と。日頃から家庭で学校生活の諸々を語り合っている親子二人の姿は見ていたし、感じやすい思春期の女子の人間関係の問題に向き合い、驚くほど優しく気遣いができ多方面に気を使いながら真っ直ぐに生きようとする次女を私も知っていた。

 母として娘の味方をしながら、どうしたら良いのか、安易な助言はいじめにもなるし、自分の想いに蓋をするのか、その中間に答えはあるか、自分ならどうするか、いわば厳粛な禅問答である。浄土真宗には、滝に打たれたり欲望を切り捨てる戒律や修行がないことに、先般法話に来られた英国人僧侶のピーター先生が「ただ生きることが最も大変な修行なんだ」と語られたことが思い起こされる。妻は私に「あれは子供にとってキツイよね」と、確かに正しい模範訓ではあるけれども、好き嫌いや身勝手な思いを封印するなど、大人の自分でもできない現実があるんだと語ってくれた。聴聞もせず人は善に苦しむことに気が付いた妻に、私は大変な驚きとともに有り難く、久々にだが素直に頭がさがった。

 私も妻とは違う場面で、例えば毎朝マンションから寺へ向かう車中、今では小学3年の三女だけとなった一緒の風呂の時間、寺の前を通りかかり「意味わかるか」と自分で書いた伝道掲示板を見せる時など、限られた時間ではあるが父親として語り合ってきた。中学3年の長女はすでに精神的に独立しお金以外相談などしてくれないので置いておくが、下の2人を観ながら「経験も浅くこんな小さな身体をして難度海で溺れているんだな」と感じていた。子供達が何が正しくてどうしたら良いのか、本当は何が悪いことかと善悪に迷い、「自分はこう思うのにどうしてあの子は」と自我に基づく人間関係の問題に苦しみ、そこに生きる自分の居場所を確保したい、傷つきたくないと必死で自分の心を守ろうと、意図せず他者を傷つけていく。大人が各々の人生で向き合い続けてきた、根本命題たる同じ穢土に立っているのだ。

 この人間に備わる自我と煩悩その不道理に目覚めたのが釈迦であり、釈迦をして気付かせた阿弥陀というはたらきと救いが南無阿弥陀仏として伝えられてきたのが仏教の歴史である。ところが命懸けで聞法してきたつもりの私自身が、最近その聞法をして方向を見失っていた。私も大分危ういが、言わば名利からの伝道。信心一つ定まらないまま法話に出掛け、流石に頑張って欲望を叶えましょうとは説かないが、僧侶が我が身のエゴを語りつつ、善き者として、如何にも真宗風の美辞麗句を織り込み、悲しまずにおれる泳ぎ方を上段から説明し、聴衆が「役に立つ良い話だった」と笑顔で帰っていく。講師は再度呼ばれ名も売れ謝礼をもらい万々歳という有様、殊更ヨガや落語よりはと憧れの人気講師を目指す法話テクニック講座まで各地で流行する惨状だ。須く無明の闇でなく無明が破れたかのように「おかげさま」、「生かされている」、「違いを受け入れる」、「他力を生きる」、「間違うことができる」、「小欲知足」、「和顔愛語」、「生死一如」、「自我の殻が破れる」、「自分らしさ」、「いのちの尊さ」、「寄り添う」、「今をいただく」、「解放される」、「感謝の念仏」、「ありがとうとごめんなさい」、「虚しくなくなる」、「人の話を聴く」、「共に生きる」、「満足して死ねる」、「人となる」、「如来を信じる」、「生まれた意味」云々、我が身に引き当てそれらは本当かと疑い続けたのが親鸞聖人の生涯を貫いた問題意識でなかったか。歎異の精神は何処へ。悲しくもこうとしか生きざるを得ない、仏に背き救われようのない悪人をこそ摂め取り捨てない本願でなかったのか。

 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。『歎異抄』

 学校の教師や職業法話師の欺瞞を批判しているのでない。私達の生きる社会の前提が、正義や希望なのだ。乱暴する子に「やめなさい。相手の気持ちを考えて」以外に何と言うのか、悲しんでいる人に「大丈夫だよ」と、これが分別。私自身「いじめられっ子に寄り添え」と教えながら、一方で子が家に帰れば「勉強して競争に勝て」と人より上を目指すことを信じ勧め、わかっていないまま「理想はわかるけど現実はね」と言い訳ばかり。今朝も長女に「朝からスマホ見るな」と、「自分の考えを押し付けないで」、うーん「そやな、ごめんね」と悩み答える程度の日常である。そうでない。念仏一つだと、念仏でしか人は救われないのだと繰り返し御文も叫んでいる。誤解を恐れず率直に表現すれば、道徳はできない人を無価値であると否定し、また道義に反する者を排除する、「悪い奴は死刑だ」と。つまり人間の為に人間が考えた倫理や人権教育(ヒューマニズム)、必ず役に立つと妄信する教理や善こそが危ういのだ。

 その最たる代表格が戦争放棄を掲げた日本国憲法第9条であろう。確かに阿弥陀仏の願は平和を示唆する言から始まるが、親子夫婦ですら傷付け背き合う人間の事実を照らすならその通りだ。しかし絶対的権威から敗戦国民に強制された、二度と反乱し歯向かうことのない足枷である経緯はともかく、戦争に対する正義としての最善の理知など、軍拡主義へ向かう国際情勢や関係国の利害、宗教や思想の原理信仰、時の世論や景気、独裁者一人の決断ですら、縁により必ず行き詰まる。また不義とも反って地獄を生むだけでなく、自衛隊問題を含め凡夫の社会に法として適用された時点で矛盾する観念でしかない。しかも国内という恥ずべき限定をして逆に世界に誇ってみたりとその本質すら曖昧な規則であり、決して「畢竟依」とはならないのだとアメリカ同時多発テロ事件後の米国に暮らした私も心底痛感したことだ。

 この人類にとって驚くべき人間とその世界に対する眼差しは、決して800年前に生きた親鸞が創始したのではない。その伝記から知られるように、釈尊は自身の暮らす地獄餓鬼畜生のない平和な理想郷を信じ広めたのでなく、城の外に出てそこに根源的な問いを見出した。印度、中国、日本の高僧がその原点を深め伝え、自身も流罪にあってなお、人は業縁により「害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」との言葉を残されたのだ。その後も「戦うべし」と決断した蓮如や一向一揆、教如の時代にも戦と幾千万もの真宗門徒の血と犠牲をもって届けられた、唯まことだから「ただ念仏」の教えである。親鸞以前の日本では、第31代用明天皇の息子として生まれた聖徳太子が、初めての女帝である第33代推古天皇の時代に、国政を血脈の権威である天皇より摂政に移し『十七条憲法』を制定した。自らも物部氏を滅ぼした激烈な戦を経て、太子は世間へ向け第一条で「和らかなるをもって貴し」と、だが人間は必ず枉れる(間違う)から第二条では「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」を宗とし、更に第十条にて「我是すれば彼は非す。我必ず聖に非ず。(中略)共に是れ凡夫ならくのみ。(中略)我が失ちを恐れよ」と宣言したのだ。

 真実教の響きは、現行憲法9条でなく十七条憲法にこそある。出会う縁のなかったサンガを尋ねる希求をして、日本最初の仏教徒たる聖徳太子を尊び、七高僧に比べ太子に最も多くの和讃を、「日本国帰命聖徳太子」と書き奉じたのが親鸞であり、そう阿弥陀堂内陣に荘厳されてきた。かつて「一億玉砕」を謳った先の大戦に加担した本願寺教団の歴史を反省すべく、安倍晋三を悪人と蔑み憲法学者や高木顕明を祀り上げ、一体人間の何が変わろうか。掲げた宗祖としての親鸞の上に立つのでなく、地へ降りた先達としての宗祖に遇うのだ。長い間その本廟に於いて、教学者を含め宗門総出で、自力の分別心をして、偽でなく仮であるが故に問いを失った、最も非宗教的な「非戦平和」を真の宗と見誤ってきたその事実にこそ、人間の無明の深さを共に確かめるべきではないだろうか。

[文章 若院]


欄外の言葉

 どこまでいっても自己弁護で終わってく私たちがいる  海法龍
 
 安心する居場所を求めることが社会では逆害となる 木名瀬勝


≪若院の伝道掲示板≫
≪8月の梵鐘≫ 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり(『平家物語』)。毎年、8月6日の午前8時15分(広島原爆投下)、8月9日11時2分(長崎原爆投下)、そして8月15日正午(終戦記念日)に称念寺の鐘が鳴る。響流十方。止むことなく、遮られることなく、植物も虫も鳥も、日本の戦死者も日本人に殺された人々にも、まことの響きが56億7千万年後の未来まで流れ至る。過去の悲しみと人間の存在を念じ、鐘の音をして仏願に遇う。


≪住職リハビリ日記3≫

①脊髄・圧迫骨折の治療としての薬の服用、週2回のマッサージと、灸治療を受けている。2、3時間起きていると痛みが増してくるので、少し休むこととしている。軟骨が委縮して身長が6センチほど縮んだ。

②大腸・ストーマ生活が8か月目となった。3日ごとに入浴した折に取り替えている。毎朝“おあさじ”に参加することを日々のスタートとしている。また日に1件ほどの“お参り”に出掛けることを生活日課としている。週1、通院して検査などを継続。

7月9日
 大腸CT検査、注腸(バリウム注入)検査を行う。9個のポリープが見つかった。翌週、入院。ポリープを除去、病理検査結果は良性。よって7月28日(日)に再入院、翌29日、ストーマ除去の手術日程が決まった。お盆までの約2週間の病室生活が待っている。またの手術・術後などを思うと、気がめいってしまう状況になる。

[文章 住職]


≪門扉の修繕≫

 山門の扉が痛んで外したままの状態が、10年ほど経過していた。修復材料が漸くにして確保できたので修繕に取り掛かった。戸板に使用する木の板を、希望価格内のものを探し続けて。1枚板のケヤキ材、枠には鉄刀木(タガヤサン)材。銀杏紋・綸子の彫刻などをあしらった。(株)フクモクが施工。


≪会館・トイレのリフォーム≫

 会館は築35年、和便器であったので、“洋便器”にリフォームさせていただいた。近年の生活形態が激変することを実感した。7月下旬から一部使用可能。8月中旬に完了予定。施工は永田建築さん。


≪お盆の荘厳≫

 仏具のおみがき、清掃、夏用の打敷を掛ける、提灯を架ける。ちょうちんは、一般に使用される盆提灯でもよいが、できれば大谷派用の切子灯篭が好ましい、切子は値が張るが、20年30年大事に扱えば使用できるので。仏花の芯は“槙の木”を立てて、ほおづきを添え花として飾ると季節感があっての仏花となる。

一向浄苑の申し経

 8月13日(火)、8月14日(水) 両日ともに午前7時から9時、午後6時から8時まで。13日の午後は受付が混雑しますこと、ご了承ください。
※ 自宅のお内仏の前でのお盆のお勤めは、主に初盆をお迎えする方にご案内しています。お墓でなく新本堂納骨堂にお骨がある方は、家族と共に盆経会へご参詣ください。





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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳