寺報 清風







            信心の分水嶺(中)


 よきひと(師)より教えられた「私」という、主体としての出発点が間違いであったこととは、教育により科学的知見と分別ある私が、信ずるに値する教えを探し求めたという求道の姿勢である。自身が開教使時代に海外で向き合った、様々な人種と宗教が混在しながらも、個々には強烈な自我と、規定された公の善悪(ポリティカル・コレクトネス)が共有される米国の真宗界で展開された「アメリカ仏教(American Buddhism)にその典型的了解を伺い知ることができる。

 渡米した日本仏教諸宗派のうち、圧倒的に支持され全米に定着した禅仏教(Zen)を取り込み、西本願寺では北米総長が真宗と合併させた「禅真サンガ」を擁立し、大谷派でも念仏道場であるロサンゼルス別院やシカゴ仏教会で座禅が指導されてきた。日本にも瞑想やヨガ、マインドフルネスに傾倒する僧侶が多い現状と同様、信の要たる「ただ念仏」がわからず頼りないので、平和や平等の思想そして形骸化した儀式や勤行を含め、あれこれ付加価値に迷い続けるのだ。キリスト教の「信仰(Faith)」とは異なる根幹の「信心(Shinjin)」とは何か、浄土真宗とは何かと、経典類の英訳と同時進行で学術研究も盛んに行われたが、大多数の国内僧侶が混迷しているのに「日本人による浄土真宗は日本語でしか理解できないから」と改めてアメリカ仏教が確立されるに至った。フロンティア精神を残すアメリカニズムの真骨頂でもある。そも米国に初めて仏教を紹介した巨人・鈴木大拙師が禅僧であったこともあるが、聴聞を始めたばかりで知識も信心も中途半端なまま、そうした環境が派遣僧となった私の現場となった。

 周知の通り、世界中の移民により形成される大国アメリカでは、レイシズム(人種差別)は悪として凡ゆる場面で忌避される。だが歴史教科書の記載のとおり、「人種のるつぼ」とは云え実際には「サラダボウル」、つまり一つの器に一緒に入ってはいるが個々の具材が溶け混ざり合うことがない。文化や職業、言葉遣いまで同様だが居住様式に顕著で、奴隷としての歴史を引き摺る黒人が住む治安の悪い地区、隣国からの不法移民も多いメキシコ人地区等々、因みに私がLAで住んだ街グレンデールは比較的安全なアルメニア人居住区であった。ロス別院が在る日本人街「リトル・トーキョー」は、既に米国で市民権を獲得した日系アメリカ人には、大戦中ハワイ州を除き約12万人が敵性外国人として「強制収容所」へと収監された歴史があり、「ファッキン・ジャップ」と呼ばれ人種差別を受けた彼らの拠り所であった。名誉回復のため祖国に尽くす形で日系人部隊の後の戦争での活躍は伝説ともなり、戦後日本の製造業を主とする経済発展や、当地での侍や寿司など文化の普及と政界への進出など様々な現地日系人の尽力により、有色人種の被差別枠内でもランクが上位となった日系人に対し、昨今バイデン大統領から謝罪されるにも至った。しかし依然根強い差別意識が蔓延する社会では、親鸞という800年前に生きた、何処の馬の骨ともわからない日本人を教祖には立て辛く、例えばレクサスの品質のように、新規参入には明確な説得性が希求されたようである。

 アメリカ仏教とは何か。それは米国に於いて、原始仏教に真宗的要素を追加した仏教である。念仏を行とした聖道門仏教、念仏して善人を目指す仏教とも云えよう。アメリカ仏教としての浄土真宗は開祖をお釈迦さまとし、「八正道」に信順する仏教徒としてのアイデンティティーが確立された。既に50年代からのビートニクスやヒッピーに代表される既成概念への抵抗運動(カウンター・カルチャー)の精神的基盤となった、ビートルズやスティーブ・ジョブスら著名人も傾倒した東洋の神秘として、原始仏教とりわけ禅仏教は広く好意的に認知されてきた。その教えの内容を概観するに、北米開教区の東西両本願寺で教学的な権威であるバークレー毎田周一センター所長である羽田信夫氏の了解に集約されている。

 氏曰く、「他力とは私達に影響を及ぼす神秘的超人的な力ではない。他力とは仏法(ダルマ)、仏法とは縁起または無常の真実である」、と阿弥陀仏の本願を除外し定義する。目に見えない「おかげさま」も日本人には馴染み深いが、その概念がなく英訳できない社会背景で、「本願(他力)のはたらき」と云っても「Working of the Primal Vow (Other Power)」などと英訳された時点で理解不能であろう。人間の誕生から科学に相反し衰退し始めたキリスト教に、原点たる神(God)の存在証明の矛盾に他の宗教に転派する人々も多く、受け皿として阿弥陀仏とその国土である浄土は除却されたようである。また曰く「自力とは、縁起の真実たる他力の無知」であり、真実を知ることで「他力の人(a man of the Power beyond the Self)を共に目指そうという教義である。

 この論理は非常に分かり易く、大学院で博士号を取得した学生二人を氏は例に挙げる。学生Aは、一生懸命に努力した自分の功績であると自負する。反対に学生Bは学校や先生との出会いに恵まれ、且つ支えとなった家族や友人らのおかげだと考える。縁起の真実に基づき自分を理解する後者になるべきだという教えなのだ。無論「我執を離れ煩悩を捨てる」ことは聖道門仏教の基本である。約38億年前の生命誕生からバトンタッチされ現在を生きる私まで届いた命なのだから「あらゆる命はまま尊い」と知るべきであり、横軸にも繋がりを生きる命だから「あなただけの命でない」、また「二度と繰り返すことがないから尊い」のだと命尊重論者となる。更に傲慢さで感謝の気持ちを見失うので仏教は「ありがとうとごめんなさい」と結論される。仏教的人格者とでも云おうか、自己中心の生き方を離れ、感謝、謙虚、反省、喜び、おかげさま、あるがままと、一時の単なる個人的な感情を信心の目的としてしまい、殊に漢字文化のないアメリカ人には呪文としか感じられない「南無阿弥陀仏」を唱える意味にも疑義が拭えないのだ。

 振り返ると驚くべきことに、日本国内の真宗寺院での法話でもこの種の論法は多用され、「仏教は生き方を説く」として自我の外側に気が付いた詩人・金子みすずや、四肢を失いなお輝き生きた中村久子が、その代表的存在として繰り返し紹介されてきた。私を含め内心傲慢な者ほど謙虚を美徳とし、表面上は上手く装うので更にややこしい。また、悪人こそが救われるという「悪人正機」もやはり信心の課題であった。悪人は当初「Evil Person(邪悪な人間)」と翻訳され僧侶だけでなく門徒にも違和感があり、後に凡夫として「Ordinary Person」つまり一般的な「凡庸な人」との英訳が定着したことで、凡夫本来のの意味とその自覚が失われていることも日米同様であろう。生きる為に命を奪う罪悪で地獄行きを覚悟した昔の漁師や狩人に引き比べ、食材の美味しさの為に如何に殺し食すかと悩む現代では、そのような曲解も必然なのかも知れない。

 他力の人を目指す仏道は尊い。だが「あなたは本当にできているか」と問われる一点に於いて、執着と煩悩が消滅したという自信がなければ答えに窮す。出発点たる「私」の問題から始まり、聴聞に於いては「私」に還る。これが全生活を懸けて「我が身をとおす」と伝えられてきた、真宗に生きた先達の歩みであったのだ。

[文章 若院]


欄外の言葉

 死ぬまで煩悩があるから、ご本願の火は死ぬまで燃え続けてゆく  江本常照

 「私は悪くない」と、弱いところを補強して自力を固めている  高柳正裕


≪親愛なる敬兄・寺内タケシ≫

(ギタリスト・作曲家)1939年(昭和14年)生れ、、名字と卯歳を懸けて「Terry寺内」とも呼ばれる。土浦市出身。通称「エレキの神様」。本年の6月18日に還往された。訃報を知り落涙に伏す。行年83歳。

①徳風保育園55周年記念「園歌=風の中に」発表コンサート、レコードEP盤・LPを出版(1980年、昭和55年)。

②本堂で宗祖親鸞聖人700回忌「音楽法要」、女声合唱団を結成し仏教讃歌をエレキサウンドと共に叙情的に、真宗宗歌・恩徳讃などプログラムとした(1985年、昭和60年)。

③宗教古都・奈良の絹の道(シルクロード)博覧会にあたって、時あたかもNHKドキュメント『シルクロード』が大好評、喜多郎サウンドが大ヒット、これに対して寺内さん奈良万博で何を問いかける?交響曲「アジア」が答えとなって誕生した。この仏教東漸をテーマに曲を提言したもの(1988年)。


≪作曲家 寺内さんの、私の一押し≫

1 交響曲「アジア」
2 三人鼓女流れ唄
3 いとしのエリーナ

 ロシア・北欧45万人コンサートなども有名であるが、世界数十ヶ国公演なども知られている。一度だけだったが台湾コンサート「追っかけ」として楽屋控室に駆けつけた。当時、足の骨折治療中で、松葉杖をついた姿に驚かれた。公演終了後には新幹線・高雄駅まで送迎の手配をしていただいた(2009年3月)。

 名古屋の定期コンサートには私が来ることが想定内だが、京都、伊勢、奈良、高山、福井、東京などなどは、突然に知らせることなく駆け付けたことの、40数年間の交流がしみじみ思い起こされてくる。

 レコード大賞企画賞・編曲賞を受賞する。ライフワークとして「ハイスクールコンサート」など1500校以上訪問し、若者に人生の歩みを熱く語りかける姿が印象的だった。

[住職]

ようやくにしてワクチンを2回接種できました。一安心。
暑さ厳しい中、ご自愛を。





               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。


















発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳