寺報 清風











 盆過ぎにフィリピンを旅した。米国滞在中に京都本山への出張が何度かあり、これまで貯まった日本航空のマイレージが今年で期限切れとなる。そのマイレージと交換できる無料の航空券が、中国かフィリピンまでであったからである。フィリピン旅行と言えば、セブ島などのビーチリゾートが人気であるが、私はルソン島北部の山奥を目指すことにした。

 8月17日の朝、知立駅から空港バスに乗る。見慣れた風景が輝いて見える。中部空港から成田へ行き、マニラ到着は午後10時半過ぎであった。非常に治安が悪いことからあらかじめ予約しておいたマニラ繁華街のエルミタ地区にある宿へチェックイン。アジア特有の町の混沌と喧噪、匂いに嬉しさを覚えながら3時過ぎまで飲み歩く。フィリピンには有名なサンミゲル社のビールが各種あり、濃い味でアルコール度約7%のレッドホースが特に美味い。

 2日目には山岳地方行きのバス停、時刻、運賃などを調べた。ついでに地元の人々の生活を感じたかったので、タクシーではなく電車に乗って街を散策した。高層ビルも多いが貧富の差が激しく、水たまりの多い薄汚れた路上にネズミが走り、ホームレスの赤子が裸で寝ている。地元の人の集まる屋台を覗き、日本ではレストランでも味わえない特上の安い飯を食べ歩く。カジノでは早速2万円ほど負けて早々に引き上げた。次の日の朝、新聞を読むと山道の崖からバスが落ち、42名全員死亡の記事がある。アジアの山岳地帯では珍しくない事故である。

 滞在3日目早朝、ルソン島北部の中都市バギオに向かった。バスで7時間ほど国道を行く。バギオは山間の標高1500mに位置し、アメリカ人が設計した、その中心に池と公園がある緑豊かな街である。小高い丘にはピンク色の大聖堂が見え、人の顔立ちも含め、街の雰囲気がマニラとは全く違う。雨に濡れたが安宿ではお湯も出ず風呂は断念。翌日は快晴、早朝バス停に行き、更なる山奥にあるサガダを目指す。出国前に、雨期(ルソン島では6〜10月)の土砂崩れのことが心配されたが、すぐにその意味がわかる。

 バスは延々と山道を行く。山側谷側ともに切り立った崖である。片側一車線の道は、そこら中で土砂が崩れ、座布団ほどの大きさの落石が散在し、谷側の車線が崖下に崩れ落ちてしまっている。これはヤバいところへ来たと少し心配になった。寺を継ぐことを決め、結婚してからは旅(バックパッカー)の命題は「必ず無事に生きて帰る」としてきた。ヒヤヒヤしていると、隣の席のフィリピン人が気持ちよさそうに寝ている。私もだんだん慣れてくる。延々と崖の中央を走ること約5時間、急に深い霧が出て、雨が降りだす。この頃にはすでに1分、30秒おきに山側の車線が土砂で埋まっている。

 突然バスが停車し、その先は渋滞。土砂で完全に埋まった道路が封鎖されている。だが引き返すにはまだ早い。こんなこともあろうかと水と、ポケットには飴玉3個とアーミーナイフが入っている。バスを降りバックパックを担ぐ。谷側には急流の川が見え、まず急斜面を降りる。不安定な吊り橋を見つけて反対側の山に出て、山岳民族の小道を歩く。道幅が60センチ程で両側が深いので、歩くことに集中。川沿いに登って行くと再度吊り橋を見つけ、土砂で崩れたがけを越える。バスを乗り換えなんとかサガダにたどり着く。1泊400円の適当な安宿に入る。熱い紅茶を飲みながら読書をし、日が暮れていった。

 サガダはメインの通り沿いに家や宿が何件かあるだけの小さな村である。非常にきれいな山あいに、先の尖った石灰岩の岩壁が突き出ている。前日の夜に酒を酌み交わした村の若者に案内してもらう。サガダ滞在中は小汚い雑貨店の軒先で、役所勤めや無職の若い連中と酒を飲むことが私の唯一の日課となった。静かな山村であるので夜9時以降は村人・旅行者は外出禁止であり、私たちはひっそり営業している店で夜な夜な安酒をあおるのであった。村の中心から20分も歩くと、山の岩壁に吊るされた棺桶がいくつも見えた。ハンギングコフィンと呼ばれる村の名所である。青空には真っ白な雲、緑の山々があり、青白い岩壁の棺桶群は、荘厳でとても綺麗であった。そこには死を忌避せず、威風堂々とした死後の人間の姿があった。


一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。 (『御文』蓮如上人)


 フィリピン人はキリスト教カトリック信者が国民の8割以上を占め、火葬をせず棺桶のまま墓地に埋葬するのが通例だが、ここサガダでは村はずれにある巨大な洞窟や鍾乳洞の壁にも天井まで無数の簡素な棺桶が積み重ねられ、故人の幸福な転生を願ってきた慣習がある。洞窟か岩壁かを選ぶことができ、かつては自身の棺桶は各自作ったという。古いものは5,600年前の丸太をくり抜いて作られたものから、木板を釘で打ち付けた比較的最近のものも見られた。自らの棺桶を作るということは、生ある者はいつか縁が尽き命終えていかなければならないことを、各自が受け止め生きた村人達の精神文化があったのではなかろうかと私は思った。

 涼しい山間部に位置する平和なサガダの土地を、都市部の富裕層や外国人が買いたがるが、発展や変化を望まない村人達は売ることはない。村人達は無職の者も多いが、山にはコメの棚田が広がり、道では鶏や犬と一緒に子供達が遊び、サガダでの変わらない暮らしを誇りとしていることが良く理解できた。私はといえば、居心地の良い山村で、牛の臓物や犬肉を食べ、酒を飲み、風呂にも入らず、つかの間の放浪を満喫したのであった。

[文章 若院]



 ≪帰敬式 受式者の募集≫

 帰敬式は『おかみそり』ともいい、仏・法・僧の三宝に帰依し、親鸞聖人のみ教えに自らの人生を問いたずね、「門徒」として新たな人生を歩みだすことを誓う大切な儀式です。受式されますと仏弟子としての名前である法名(釈○○あるいは釈尼○○)が授与されます。三河別院(岡崎市)の「報徳会」の日程中に受けられます。詳細については、お寺までお問い合わせください。



 ≪心の豊かさ≫ 

 「心の豊かさ」という言葉をよく聞きます。容姿や財産よりも、人は「心の美しさ、豊かさ」が大切だという。しかし、どういう状態になれば心が豊かであると言えるのか、問われても答えにくい。問い詰めていくと、「愛に満ちた家族」、「健康な身体と豊かな暮らし」、「仕事が順調で余裕のある生活」など、結局金や物に恵まれた豊かな生活に基づいた心の満足や余裕を指している。

 「貧すれば貪する」貧乏であれば心が貪欲になる、という諺の裏返しには「衣食足りて礼節を知る」ということと諭されていた。ところが、経済復興とともに近年、衣食が見違えるほど豊かになったのに、先人より無作法となり、礼儀作法を弁えない人(私をも含め)が多いのは、どうしてでしょうか。

 家族愛を育てる条件が非常に悪化しています。子育て放棄、老人の孤独死など、家庭環境の悪化などが悲惨極まりない現状を耳にする。日本のモノやカネの豊かさの裏には環境の汚染・破壊があり他国の資源・食料の買いあさりにも限度があります。世界の自然破壊・資源枯渇・大気汚染が進めばたちまち私達の豊かさも吹き飛んでしまいます。飢えや寒さを知り、人々の弱さ苦しみを知る念仏者こそ、人々に真のやさしい手を差しのべられよう。

 彼岸会は、仏法を聞きひらいて、浄土の諸仏となった先人の願いを確かめる仏事です。「暑さ、寒さも、彼岸まで」というが、お彼岸は20〜26日。はたして涼しくなってくれるのであろうか?



 ≪お取越≫

 門徒の皆様のお内仏で、『報恩講』を勤めていただくことを『お取越』といいます。拙寺の報恩講の前の10・11月に、お伺いします。お世話方の方より、日時をご連絡いたします。ご通知しない一部の地区、市外の門徒さんなどは、直接寺に申し込みいただくことになっています。平素は、年忌・祥月・月経などで読経させていただきますが、年に一度の『お取越』、大切なご縁としてください。

 私たちは、生きていることを当たり前にして、ひたすら願望追求に走り回って、何か大事なものを忘れて、むなしく過ぎてきたのではないか。今まで支えにしてきたものが壊れたり、重い病気や死がやってくれば、たちまちに真っ暗になって、生きてゆくことも死んでゆくこともできなくなる私ではないか。

 亡き人は仏となって、「そんな生の行き詰まり、死の闇を、お前は何によって越えてゆくのか」と厳しく問いかけつつ、その実「早く仏法を聞き、念仏して南無阿弥陀仏のいのちを頂いてくれよ」と呼びかけて下さっているのです。どことなく感じる人生の空しさ、不安は、足もとから私を「仏法聴聞」に呼び出す催促ではないでしょうか。


 彼岸みち いま踏切の あきしかな  (久保田万太郎)






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2010年9月号

岩壁の棺桶
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳