寺報 清風











 保育園のパートで働く妻の代わりに、子供達の夏休みの宿題の面倒を見ることになった。小学生2人分の日誌、工作、読書感想文、生活作文などである。工作は「ピタゴラスイッチ」風のからくり装置を割り箸で作りたいとの希望で、仕掛けの製作も難しく得意気に私が作ってしまった。また子供の読解力や表現力が極端に低いので、結果的には作文の類も大分と手伝った。私は完成した作品や文章の模範を示すことで、少なからず学びになるだろうと思った。だが実際問題として、親が必要以上に関わることは、良いことなのか悪いことなのか、わからなかった。間違いや失敗の体験から得ることは多い。また私の友人に中学の3年間、担任の教師が代わる度に同じ読書感想文を提出した強者もいれば、私自身も手持ちの参考書の感想文や自由研究を半分写したりした記憶がある。面倒な課題に向き合い要領を学ぶことも大切であろうし、何れにしても有耶無耶な思いが残った。


よきことをしたるが、わろきことあり。わろき事をしたるが、よき事あり。(蓮如『蓮如上人御一代聞書』)

 そんな折りに、8月6日に鐘の音を聞いた子供たちが不思議そうにしており、尋ねると意味を知らないようであった。称念寺では毎朝6時に梵鐘が鳴るが、毎年8月6日の午前8時15分、9日の11時2分、そして終戦記念日の正午にも鐘が鳴る。その日、原爆投下で何が起きたのか、小学校ではしっかり教えられておらず、そこで夏休みの宿題より大切だと思われた『はだしのゲン』(中沢啓二作)の漫画全10巻を買い与えた。戦中から戦後にかけての広島を真っ直ぐに生き抜いた少年の物語で、私も小学生の頃に読み生涯忘れることのない作品だ。数十年にわたり子供の平和学習に使用されてきたが、近年には過激な描写で閲覧制限が議論された作品でもある。久しぶりに読んだ私は、主人公の遭遇する地獄絵図に何度も涙し、身勝手な人間の愚かさを一緒に考えた。少年ゲンが妹を助ける為に習った「正信偈」や「白骨の御文」も、大人になって改めて読み力強く印象に残った。読む褒美とした500円の喜びの他に、ウチの子供達が何を感じるのかはわからないが、今の時代に当たり前となってしまった平和の大切さといのちの痛みを知って欲しいと思った。

 2003年にフランスでベストセラーとなった『茶色の朝』(フランク・パヴロフ著)という本がある。普通に暮らす主人公の日常が、妙だと感じながらも徐々に全てが茶色になっていく。ある朝、茶色以外のものは許されない社会となり初めて痛烈に後悔する、という寓話である。ファシズムや全体主義の本質を表した外国の本であるが、先述の漫画の戦中時代だけでなく現代の日本をも象徴する。絶大な影響力のあるメディアを統制する特定秘密保護法がすでに制定され、日々ニュースでは沖縄基地の問題、憲法9条改憲や安保法案の制定、そして中国の軍備拡大と覇権主義などが表面的に知らされる。加えて福島の惨状がありながらもなお推進される原発政策、依然残された核燃料廃棄物の問題、影の薄くなってしまった拉致問題、1000兆円を超す国債や今後の年金等々。民主主義でありながら多くの人々が何かおかしいと感じているのにもかかわらず、日々の暮らしを営む間に次々に物事が一部の権力者により決定されていく。しかし目先の経済が発展するのならそこに安住するのも悪くないと、やり過ごすことの恐ろしさが寓話のテーマとなっている。

 漫画を読んだ子供から「パパ、戦争っていつか起きるの?」と聞かれたので、「そうや。いつ起こってもおかしくないぞ」と答えた。太平洋戦争は国家神道を国民に植え付け、現人神である天皇を頂点とした皇軍の聖戦であった。主張する側だけの都合、時代や環境により変化する正義ほど信頼できないものはない。私達の日常にも多いが、自らを正当化し他に押し付け、異なるものを悪として排除することは慢心である。大乗仏教は全ての人に開かれた教えであり、よって特定のイデオロギーや思想に傾倒しない。ただ念仏すべしと教えを受け止めた親鸞聖人は、人間とは、自分とは何かを深く尋ねていかれた。「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」(共に『歎異抄』より抜粋)と語った親鸞は、あらゆる問題の根源を人間の煩悩と自我の業縁に見出した。アジア侵略の際に宗教を利用した日本人の過ちを忘れ、無宗教となったことをあたかも美徳とする人も少なくない。真宗は凡夫の弱さ愚かさを常に照らし、念仏の教えに出遇った人々が各々自身を問うてきた。その問いのはたらきを失えば、今度は宗教的権威の代わりに経済至上を掲げ、国中が目先の名利を求め自らを滅ぼすときは、それほど遠くないのかも知れない。

[文章 若院]


人生に絶望なし いかなる人生にも 決して絶望はない (中村久子)

 近年葬儀はセレモニーホールで行われることが主であります。時に、少数であるが拙寺の会館を会場とすることもあります。過日、自宅で行われる葬儀があった。何年ぶりのことだろう、ともかく稀有なこと、これには感動させられた。お仏壇を祭壇と見立てた前で、通夜から初七日までが執り行われました。葬儀ホールよりも厳粛感に満ちていた、何よりも故人がご縁をいただいた時から日々お荘厳し、馴染んできたお内仏とのお別れの場でもあるからだ。その方の家で、身近な親族とともに偲びつつ、心落ち着かせてお勤めさせていただいたことを記す。

注:自宅で葬儀を執行する折、一部の葬儀屋さんが諸道具の搬入、手配などすべての協力が受けられます。


≪本堂工事の再始動≫

 社寺建築「丸平建設」が自己破産したため工事が中断されて、早7か月が経過した。その間に社寺建築会社K社、次にO社が引き続きの本堂工事費用を積算して建設委員会に請負金額を提示しました。予定額を越えたため、これらの請負額が受け入れられなかった状況から、アスカ設計事務所から改めて減額できる直営方式による施工が委員会に提案されました。

7月14日 O社による請負額を委員会が拒否した。
7月31日 直営方式による実行予算書を作成する。木工事担当の森棟梁、現場担当の辻監督も参加した。
8月8日 役員会を開催し、古橋設計士より直営方式の実行予算1億3千7百万円を説明、承認。
8月10~12日 棟梁、本堂工事現場で準備作業に着手する。
8月20日 建設委員会を開催する。予算1億3千7百万円プラスマイナス5%を基礎目安との案件を協議した後、直営方式を採択しました。

注:棟梁の森等さん(旧丸平建設)は、倒産後に某建築会社に就職されていましたが、このたび称念寺の工事再始動の声を聞き及んで工務店を退職。改めて本堂造営の任を担っていただけることになりました。辻幸司監督さん(旧丸平建設)も倒産後に別会社に勤務されましたが、8月から本堂工事の指揮をとっていただくことでお願いして直営方式のスタッフとしてスタートします。

8月24日 各種化粧材・構造材などの製材加工を開始した。
9月2・3日 支給材などを加工作業所に搬送。
9月24日 称念寺の現場にて作業開始定。
9月25日(金)  「再始動の法要」をお勤めする。午前7時から、工事現場に三つ折り本尊を安置して3具足を設置する。法要の次第は正信偈・短念仏・三重念仏・和讃(七宝講堂道場樹)、添え本願、回向にて。お勤め中に沈香を炊き焼香をする。7時20分終了予定。

諸工事の安全を願うこの法要で再スタートし、明年9月末を木工事完了の目標とします。

[建設委員会より]


 工事会社の破産宣告を受けてからの長期間、残務処理、再始動への手配などで身も心もズタズタになりました。倒産による被害額も多額となり開創700年記念の新本堂事業の計画の一部は、削除・変更せざるを得なくなりました。何はともあれ事業の主体である新・本堂造営工事の再開にこぎつけたことで、少し安堵できたといった状況に変わりました。今後とも、拙寺全般に暖かいお支えをお願いします。合唱  寺族一同


 お経の教えは私の姿を映し出す鏡のようだと言われます。
経教はこれを喩うるに鏡の如し (善導大師)
仏のみ教えに目をそむけたくなるようなわが身の姿に出会うという意味があります。このご縁は、仏さまの願いに気づき仏さまの眼を賜る大切な時と場所をいただくことなのです。お彼岸を迎えて、心しずかに南無阿弥陀仏とお念仏を称えましょう。

落つる日に 影さへうすき 案山子かな (白雄)

梯子 一つ 上へあがりぬ 松 手入れ (山崎 ひさを)





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2015年9月号

夏休みの課題
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳