寺報 清風







            お盆のお手伝い


 私の家はお寺です。お父さんがお坊さんで、私もお坊さんになろうと思い、去年の夏休みに京都の東本願寺で得度をしました。
 得度はお坊さんになるための儀式です。得度をする前には、岡崎の三河別院というお寺で、お経を読む試験がありました。試験の前には、家でお父さんとお経の練習をたくさんしました。その試験ではきんちょうしたけれど、合格できたので京都へ行きました。

 東本願寺はとても大きなお寺です。その本堂のとびらを全部閉めて、まっ暗な中で「おかみそり」という儀式がありました。男の子のお坊さんたちはみんな、頭をつるつるにそっていましたが、私は和紙とひもで髪の毛を結びました。黒い衣と黒い袈裟を着て、頭を3回カミソリでなでてもらいます。たくさんの新しいお坊さんたちがいて、いつ自分の番が来るのかドキドキしました。
 無事にお坊さんになり、その三ヵ月くらい後に、お寺の大きな法要に出ました。今回は黒色の衣に、むらさき色のきれいな袈裟をつけました。この袈裟はお父さんの友達が、小さい頃に着ていた物をプレゼントしてもらいました。本番が始まる直前にも、作法をお父さんに色々教えてもらいました。初めてだったので、すごくきんちょうしました。

 今年のお盆は、まずお寺のお盆の法要に出ました。初めてピンク色の衣を着てお参りしました。今回は2回目なのであまりきんちょうしませんでした。前回は長い時間、ずっと正座だったけど、今回はイスで時間も思ったより短かったです。イスでお参りするのは初めてで、せんすを床に落としてしまい少し失敗したけど、来年はがんばりたいと思いました。

 またお盆は、初めてお墓でのお参りにでました。お盆のお墓参りは初めてで、お経の練習も直前にしかやっていないので、最初は少しきんちょうしました。8月13日の夕方は、風と雨が強くて大変でした。お参りに来た人たちと順番にお墓の前で、お父さんのとなりでお経を読みます。お墓でのお経は、いつものお経より短くてかんたんでした。
 本当は黒い衣を着て袈裟をつける予定だったけど、お父さんが雨で汚れるとだめだからと、輪袈裟を貸してくれました。お父さんの袈裟は少し大きかったので、新しく私のサイズの輪袈裟を二つ注文してくれました。自分で生地ともようを選んだので、とても楽しみで早く届いてほしいです。

 雨が降っていたので、かさをさしながら本を開いて、下半身も本もぬれました。お墓の中の道は、すごく水たまりが多く歩いて通るとき、たびがびしょびしょになりました。お墓では2時間以上、ずっと立ったままお参りを何回もやり、疲れましたが楽しみながらがんばりました。
 お墓に来た人たちは受付をして、家族のお墓の前でお参りをします。しんせきのお墓も連続でお参りする人もいて、3回も連続でお参りした人がいました。またお墓には、同級生も来ていてびっくりしました。私はその同級生の家族のお墓の前でも、お父さんと一緒に短いお経を読みました。

 お墓には、お手伝いのお坊さんたちが何人も来ていました。高校1年生の男の子のお坊さんもいました。その人は1回目は大人と二人でお経を読んだけど、2回目からはずっと一人でやっていて、すごいなと思いました。私は今年はお父さんがいないとできなかったけど、中学1年生くらいでは、がんばって一人でお参りできるようになりたいです。

 私は13日の夕方しかお参りしなかったけど、お墓のお参りは朝と夕方があって、朝は6時から始まります。私は1日目しか出ませんでしたが、お父さんはいつもお盆に2日間、朝も夕方も続けてやっているんだなと思うと、すごく大変そうです。来年は私も朝のお参りにでてがんばろうと思いました。

[文章 釈尼有紗]


 これは昨年本山にて得度した、小学5年となった三女の夏休みの作文である。上の二人の姉とは異なり、友達の影響や周囲に流されず、彼女は幼少時から自身の願いを胸に刻み歩んできた。それが、強く優しい空手家と衣を着る僧侶になることであった。勿論、宿題のテーマも自身で選んだものだ。その真っ直ぐな姿勢は、文章の至る所に見受けられる。

 私が放浪の旅を始めた頃、貧困に喘ぐアジア諸国の路上の子供達の笑顔や目には、驚くほどの輝きがあった。戦後の経済成長を勝ち得た日本人が失ったものだ。何故だろうか。生きる力とは何か、自分らしさとは、幸せとは何か、そうした問いへと繋がった。背丈は小さいながら、既に黒帯を目前に練習に励み、憧れ続けた僧侶にもなれた彼女の眼の輝きは、未だ失われてはいない。だが平等な命を点数化し比較する社会に、思い通りにならない現実への諦めに、いつか奪われてしまうのだろうかと懸念する。

 欄外の言葉は、世界に翻弄され混沌を極め続けるアフガニスタンで、長年医療に従事しつつ、旱魃に喘ぐ民衆と共に井戸を掘り、灌漑用水路の建設に人生を捧げた中村医師のものである。国際社会の暴力や民主主義、進歩主義の愚かさを見据えた、その活動と姿勢はただ賞賛に値する。しかし令和元年、ジャララバードにて銃撃により殺害された。いかに多くの人々を助けようとも、川の上流の水が取られれば下流の人は腹が立つ。そう人間の善行の限界についても考えさせられた。

 私は3人目の子育てに於いて、それまでしてきた、親の願いや都合で勉強や習い事を押し付けることもせず、子供自身のやりたいことを陰で見守り支えることで、初めて父親の本当の役割をさせてもらえたと思っている。親子関係では、親の善悪のものさしが地獄を作り出す。子への純粋な願いや心配、期待こそ危うい。だから最近は「大人の言うことを、聞く聞かないは子どもが決める」ことが大事だと思う。養ってやった、苦労して育てたと、恩着せがましく教えたところで、感謝や尊敬の念は押し付けられない。精神は、生き様や背中を通して伝わるものだからである。

[追記 若院]


欄外の言葉

 何でも決めつけないでよい。何故なら人間はいつも変わっていくから。 藤本愛吉

 「共に生きる」とは美醜・善悪・好き嫌いの彼岸にある本源的な人との関係性である。 故・中村哲


≪若院の伝道掲示板≫


≪参詣者なしの彼岸法要≫

 デルタ株の新型コロナウイルス感染拡大につき、愛知県でも緊急事態宣言が発令されています。称念寺の春秋の彼岸法要は、亡くなった方の「永代経懇志」として、永代供養への寄付金を納めた方々の法名軸を掛け、毎年のお参りをしてきています。彼岸入りの20日から6日間、本堂の南余間に「祠堂芳名」の軸を掛けます。今回初めて「内勤め」として、参詣者なし・法話なしで、僧侶のみ勤行をお勤めすることとしました。状況を鑑みご理解いただきますようお願いいたします。


≪住職より≫

 8月中旬は降雨の日が続いた。事前準備が11日、そして13日から16日までの4日間がお盆。曇天もあったが時に激しい雨、全国各所に風雨・大雨注意報が出た。13・14の両日に恒例の“墓前の読経”を勤めた。初日、朝7時スタートであるので30分前にはスタンバイ。強い雨が降る中にもかかわらず参拝者は度々見える。降りしきる雨の中、傘を差しつつ①鈴と②経本を持って始めた。

 これまで約50年、お盆の墓経において“雨対策”をして臨んだことは記憶にない。異常気象によるものか?または地球温暖化によるものか?

 孫娘(小5)は昨年得度したので、初めて僧分として参加するよう懇願した。経本を開けて、偈文を誦むことを、事前に稽古して“墓前のお経”が読めるようになっていたのだが、くしくも現場は雨模様、傘を差さなければ仕方ない…。

 もう1名の若僧(高1)、去年この万灯会に初めて参加した。しかし、真夏の猛暑の中ですぐさま熱中症でダウンした。途中退場した苦い経験をしている。今年こそとして身構え練習を重ねてきた墓経。状況は降りしきる雨、経本も濡れる、うまくページがめくられない、膝下はもうビショ濡れ。これらの状況を察知した私・他3名のベテラン僧は、助っ人として駆け付けた。非常事態の墓経・万灯会の2日間であった。

 例年の混雑ぶりの様子は全くなかった。参拝者数は半数以下であったが、激しい降雨にもかかわらず、故人を偲び墓前に参る人々の姿にも、頭が下がる思いを強く感じたことであった。後片付けは、16日午後6時から、ここにおいても降雨。スタッフ1名が翌日から風邪を引かれてしまった。各位に深々の謝意を申し上げます。

 約1年半にわたるコロナ禍にあって、葬儀を“自宅”にて執行することとした方数名がおられた。近年全く見受けられなかったことだ。セレモニーホールでなく、普段の生活の場である自宅での“仏壇”の前にて棺を置き、儀式を執行する形態。20年以上前までは、当たり前の風景であったのだが。自宅の仏壇の前に、お棺を並べる。とても落ち着いた雰囲気であり、厳かな中にお勤めすることが出来た。

 また寺の本堂での“葬儀”や法要が徐々に増えてきた。コロナ感染拡大は治まることなく、2度目の秋を迎えました。人の行き来が制限されて、少人数でお勤めすることが多くなりました。極ごく地味な荘厳の中、安価な費用で行うこともお勤めであろう。


≪仏具の逸品≫

 お内仏(仏壇)に三具足=燭台・香炉・花瓶があります、姉の3回忌の法事に出かけた。仏具を点検がてら改めてよくよく見たところ、燭台の亀の上に鶴という一般的な形ではあったが何と、亀の背中に【子亀】が乗っているではないか?ビックリしました。この形状を、今まで見たことがありません。本場の京仏具店など著名な仏具店に尋ねてみたが、そのような鶴・亀は、知りません、といった答えばかりであった。知古の松本仏壇の社長にお会いして、本堂の中尊の燭台を、亀の背中に子亀の形状を製作依頼した。

 市内一のA仏壇店が閉店した。今冬1月初旬のことでした。以後、仏具の修理・購入・仏壇の買い替え等の相談が寺に来だした。幸いに本堂新築におり、内陣の荘厳にかかわった『松本仏壇製作所』が快くその対応に応えて下さっています。厄介な、また些細なことまで快く対処していただいています。遠方(大阪)ですが、この地方に月に一度ほどは足を運んでおられます。その折に寄ってくださいます。助かっています。

 【おはぎ】と【ぼた餅】がありますが、実は同じものだということはご存じかと思います。春のお彼岸の頃にはボタンの花が咲きます、秋のお彼岸の頃にはハギの花が咲くことからぼた餅=春、おはぎ=秋の呼び名が使用されてきました。五穀豊穣のモチと、邪気を払うとされるアズキを使って、お供えとしてきました。

 曼珠沙華=ヒガンバナが咲くのもこの時期です。地中にあって球根だけで生き、何もないところから突然花が咲き、花が枯れてから徐々に葉を出し、春に枯れるまで充分な栄養分をためて、また秋の開花にあたるという不思議な花のこと。

 残暑お見舞い申し上げます。彼岸法要は僧侶のみでお勤めいたします。





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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳