寺報 清風







            家族の死が開く門


 毎日、夜に寝ては朝起き、あれやこれやと仕事や家事に駆け回り、損得計算しながらお金をやり繰りし、思い通りにならない境遇や人間関係に苦悩しながらも、なるべくより良い人生を、一度きりの人生なので、自分なりに良いと考える選択をしながら生きてきた。無論あの時は間違いを犯したと回顧する場面もあるが、基本的に、腹が減れば美味しい食事を求め、病気になれば医者に行き、周囲の人達にも笑顔があれと願いながら、二度とない貴重な時間をテレビやスマホで無駄にしつつも、人に認められることや心中の欲求を優先させ自分を大事にしてきたので、きっと、私以外の世界中の人々も、多かれ少なかれ、同じように生きてきたのだと想う。しかしながら、生活の実感としては、何かを成し得た瞬間以外は満足感も継続せず、理解できない他人の姿勢や考えに腹を立て、滞り続ける漠然とした不安や虚しさは拭えないままに、酒を飲んでみたり、旅行など愉しい事を計画したり、常に煩悩に振り回されてきたという方がより的確である。

 それでも、私達の人生の内実には、微笑ましい思い出となる出来事があり、内心嚙み締めた小さな喜びや大切な人との出遇い、笑ってしまうことや、悲惨な現実には打ちひしがれ、泣いたところで変わらなかった悲しい別離もあり、だが生きてきたからこそ色々と経験し、またその全てを自分なりに乗り越えてきた私が、今ここに在るということも事実である。そして其の人生全体には、過去にも未来へも、世界の何処を探しても同じものが無いという無上の尊さがある。けれども仏教は、「アレもコレも色々体験した。私はあそこへも行き、あれも食べ、色々なことがあった」という人生を「空過」だと、ただ、むなしく過ぎた人生なのだと、そう捉える。その根底には、世界中の誰にも私という存在(人生と想い)全体が理解され得ないという厳然たる孤独があり、そして「諸行無常」という真理がある。愛したり大事にした人が苦悩の原因に変わったり、老いたり病気をして自由が失われたり、たとい自分の健康に問題なくとも大切な物が奪われたり、現実の状況が苦しいまま逃れられなければ生きる価値が見失われ、時代の常識や環境も移り変わり、その懸命に積み上げた人生の意義が脆くも崩れ去る局面がある。そうしたご縁の代表が、命終つまり「死」であろう。

 約2500年前、お釈迦さま在世のインドに、キサーゴータミーという名前の女性がいた。彼女は貧乏な商人の家に生まれたが、縁あって財のある家に嫁いだ。結婚した当初、夫以外の者は貧しい出自だと彼女を嫌悪したが、やがて身ごもり息子が産まれてからは、皆に大事にされたと云う。全てが順調な幸せの絶頂で、可愛いその赤子が歩き出した頃、突然死んでしまった。彼女は我が子の死を受け入れられず、小さな死体を脇に抱え、絶望に涙ぐむ眼で「息子を生き返らせる薬はないか」と人々に懇願した。村人達は、この哀れな女性が以前に死を見たことがないのだと理解し、死んだ子供が生き返る手段はないと説明したが、彼女は納得しなかった。

 ある賢明な人が、彼女に声をかけた。「あなたが求める薬を知る人を、私は知っている。彼を尋ねるがいい」と、彼女は教えられた通り、釈尊に会いに行った。「どうかこの子を生き返らせる薬をください」とお願いすると、仏陀は「わかりました。死者を出したことがない家に行き、白カラシの種をもらって来なさい」と応えた。彼女はサーヴァッティという村の家々を訪ね歩いた。最初の家の戸口で「この家に白カラシの種はありますか」、「あるよ」、「この家では息子や娘、おじいさんやおばあさんが死んでいないですか」、「それはない。死んだ者は沢山います」と言われ、種を手に入れることができなかった。

 このような制約をもって何軒も周ったが、夕暮れになり彼女は気が付いた。「私は、私の息子だけが死んだのだと思っていた。なんと村全体で、生きている者より死んでいった人たちの方が多いのだ」と。この母は「厭離の心を得た」とされるが、おそらく「人は誰でも死ぬ。そして死は思い通りに迎えるものでない。死ぬことは、悲しいことではあるけれど、死を悪いこととしてしまえば、死すべき生まれた命自体が悪となってしまう。全て出会った人と死別するのが人生であった。そうか、生きるってそういうことなんだ」と目が覚めたのだと想像する。死んだ息子の遺体を火葬場へ置き別れ、そして釈迦の元へ戻った彼女はその事を伝えた。すると仏陀は、人生に於いては、まだ欲求や目的が満たされずとも、ある日突然に洪水がさらうように死は訪れるのだと説き、『生滅を見ずに百年生きるよりも、生滅を見て一日生きるほうがすぐれている』と詩を授けた。自分の息子だけが死んだと考えていた彼女は、その自我中心の罪に気付かされ、その場で出家して後に最高位の阿羅漢になったと阿含経典に伝えられている。

 先般お盆の時節に、この1年間に亡くなられた方々の初盆を一緒にお勤めさせていただいた。周知の通り拙寺の盆には、多くの門徒さんが墓地・一向浄苑にて墓参りをされるが、初めての盆を迎える際には丁寧にお内仏の前で遺族と共に手を合わす。お参りする先々で故人の物語やその背景を聞かせていただき、キサーゴータミーと同様、一人とて同じ生き方、死に様はないと心底教えられた。色々な人が在るなど当たり前だと言われればその通りだが、その寿命も死因も、遺族にも優しさを惜しまれたり、反対に不器用な頑固を疎まれたり、また故人がどんな風に生活して、何が好きだったか、願ったこと、苦しんだこと、そして最期にどんな状況で亡くなっていかれたのか、逆説的に師が静寂な楽をもたらした事例まで、善し悪しを超えて皆ちがう。その事実の輝きに改めて驚かされたのだ。

 祈祷しても高価な壺を買っても、国内では毎年、140万もの人々が命を終えてゆく。共通して、人は思い通りに死ぬことはできない。過ぎ去った、共に過ごした時間は、二度とない尊いものであったと後から知らされる。特に急逝で存分にお別れができなかった場合は悔恨が絶えない。もう今日からは、明日死ぬかもしれないと、目の前の人を大切にしたりして今を生きられれば良いが、またできずに今を見失う。私はどう生きたら良いかという課題の希求から始まり、故人の死に向き合い、不変なる命の相に気付かされ、「私もその一人であったのだ」と方向性が逆転する。そこに、墓標にも刻まれてきた「倶会一処」、共に遇い合う帰依処の入口が私達に開かれるのではないだろうか。

[文章 若院]


欄外の言葉

 過去にあったものはすべて未来に展開するようになっている 武田定光

 身で聞くという私一人の聴聞がサンガや歴史に支えられている 佐野明弘


≪若院の伝道掲示板≫

≪秋のお彼岸≫

 真宗門徒のお彼岸は、我が身を通して仏法を聞き開いて、浄土の諸仏となられた先人の願いを確かめる仏事です。彼岸の入りは9月20日、お中日が23日、彼岸明け26日。拙寺の秋彼岸法要は23日(祝・金曜日)の午前中です。


≪講師紹介≫

佐野明弘 師

 加賀市光闡坊住持。もと禅宗で出家し修行して悟りの世界を目指したが、縁あって念仏者であった北陸の真宗の僧侶との出遇いを経て現在に至る。ユーチューブを含め、全国津々浦々で精力的に法話をされつつ、念仏の教えに照らされたいのちの深さを丁寧に伝え続けられている。


≪ジャズライブ@三河別院≫

 知立市内にも全国的に有名なジャズ喫茶「グッドベイト(西町)」がありますが、岡崎市は「ジャズの街」として、毎年「岡崎ジャズストリート」という音楽イベントが開催sされています。真宗大谷派(東本願寺)の三河地域の別院である三河別院にてプレイベントが、宮前博臣バンドによるライブが行われます。10月1日(土)午後2時から。入場は無料ですが先着100名、同日正午より本堂前にて整理券配布。


≪報恩講≫ 

11月21日(月)18時より
法話:畠山 浄 師(七尾市)
法話の後に簡素な懇親会を予定しています

11月22日(火)午前8時・10時
法話:畠山 浄 師

11月23日(祝・水)午前8時・10時
法話:海 法龍 師(横須賀市)

 11月には最も大切な法要である報恩講が勤まります。10月中旬より順次、各家庭での報恩講「お取越」もご案内いたします。








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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳