10月から例年の「お取越」をお勤めさせていただいている。お取越は、親鸞聖人の命日である11月28日をもって勤められる「報恩講」の法要の家庭版である。
称念寺では、お取越の予定は住職が地区の日程を定め、「お取越案内状」とした黄色い紙に日時を書き入れ、予定日の5〜7日前くらいに各地域の世話方さんに渡される。早急に配布していただく世話方さんには恐縮だが、また各家庭には日程の数日前に届くことになるので、非常に慌ただしい。お取越は大切なお勤めであることから、仏具のおみがきを済ませ、お内仏には仏華を立て、打敷を掛け、朱ローソクと「赤本」を用意し、できればおモチのお供えをするよう案内されているからである。慣れた方だと、案内状が届けられる前に心の準備をされており、「そろそろウチだ」と待ち受けておられる。
毎年10月初旬、お取越は長篠と山屋敷から始められる。この二地区は特別で、町内のお取越の係の方が、各家庭のお勤めの有無を確認して、日程・順番・昼食の当番などを決めていただくことになっている。この順番は当日まで寺にも知らされず、住職か私が最初の家庭にお詣りし、その後は係の方の指示に従って順番にお勤めしていくこととなる。また、自分の家庭だけでなく、近所の家々のお内仏にもお詣りするため、一件お勤めしてはまた次へと、坊さんと檀家の人々がゾロゾロと道を歩いて行く。係の人に長年引き継がれてきたノートが複数冊あり、かつては日に20件程も予定されており、賑やかにお取越が勤められていた名残を窺うことができる。
近年は両地区ともに10件弱となったが、それでも係も他の方々も、僧侶とともに正座して、連続して何度も正信偈をお勤めすることは大変なことである。しかし近所とはいえ、人様の家の仏間まで上らせていただくことも新鮮で、またお内仏の荘厳の仕方や作法など、年配の方々より教えられることも多い、良い伝統であるとも思っている。
長篠と山屋敷のお取越が終わると、お取越案内状の予定に従って、宝町、本町、西町、中山、山町、堀切、弘法、重原…と地区ごとにお詣りする。平生の月詣りなどは、1時間ごとに予定されるが、お取越は30分が基本線となる。最も忙しい日には、午前6件、午後6件、夜数件ともなる。昨年はお寺での報恩講の読経でノドを潰し、1ヶ月程しゃがれ声になったが、お取越の時節は長時間の正座でヒザが痛くなる。
玄関をくぐって挨拶をし、最初にお菓子とお茶を出していただくことも多い。が、それほど長く話はできない。早速、ローソクと線香に火を付けていただいて、正信偈が約8分、引き続き念仏と和讃でまた約8分、回向が30秒に、御文が「聖人一流」で1分半、これで合計18分となる。より長い「御正忌」の御文では更に3分増となる。東本願寺から出版される『同朋新聞』を渡して、次の家への移動を含めての30分である。1年ぶりにお会いする方もあり、嬉しくてつい時間に遅れていってしまうこともある。
ところで、お取越のお勤めでは『真宗大谷派勤行集』、いわゆる「赤本」を使用する。お馴染みの「正信偈」のお勤めはともかく、その後の念仏と和讃が、ページがあちこち飛ぶことから、「どうして?」との疑問の声も多いので、ここで簡単に説明させていただきたい。
念仏讃(南無阿弥陀仏の繰り返し)は、声の低い「初重」、少し音程が上がり「二重」、最も高い「三重」の三部に分かれている。毎朝のおあさじで勤められるのが、念仏の間に通常は「六首引」といって六首の和讃が入る。
つまり初重念仏@、和讃第一首、初重念仏A、和讃二句目、初重念仏Bから二重念仏@に、和讃三句目、二重念仏A、和讃四句目、二重念仏B、続いて三重念仏@、和讃五句目、三重念仏Aに、和讃六句目(結讃)となる。
お取越では「三首引」として和讃が三首のみ入るので、初重念仏@、和讃第一首、初重念仏Bから二重念仏@、和讃二句目、二重念仏B、三重念仏@、和讃三句目となる。しかも「赤本」では、「三朝浄土の大師等」の和讃が、後ろの方に掲載されているので、ページが飛んでしまう。最後の回向「願以此功徳」の部分も、少し節が違うことに気づかれる方も多い。
昔から「真宗門徒の1年は、報恩講に始まり報恩講に終わる」と言われ、報恩講の時期は真宗門徒にとって年末年始であるかのような、独特の時間感覚を体現してきた。
お取越とは、私流に言えば、「今年もまた様々なことが起こったが、自身の人生のご縁を引き受けて、おかげさまでなんとか1年を過ごすことができました。来年も、諸行無常の思い通りにならない人生を、この生老病死の苦を抱えたいのちを、一日一日精一杯、できるだけ大切に生きていきたいと思います」と、親鸞聖人へ報告をさせていただく場である。より良い明日へと前ばかり向く、あるいは現在への不平不満に下を向くなか、合掌して振り返ることで、感謝の気持ちを持たせていただくご縁でもある。
[文章 若院]
≪おつとめの稽古≫
お通夜の会場で、親類の法事の席などの法要が『大谷派』の儀式であれば、正信偈で始まる「おつとめ」に参加を呼びかけられる場が多々ありましょう。参会者ともどもテンポを合わせ心こもった声明が響きわたると、とても穏やかな雰囲気をかもし出してくれる。寺での行事=特に報恩講、ここでも近年は、全員参加型のおつとめが望ましいことです。ひいてはご家庭でのお内仏(仏壇)の前でも、お勤めくださる姿勢が求められています。
報恩講を迎えるにあたって、おつとめの稽古が開催されます。全く自信のがない方を大歓迎します。住職(伴僧さんも)にあっても、プロである本山堂衆の人たちの声明テープ・録音CDなどを聞いて所々修正をします。ついつい慣れ親しんで「自己流」になっている節回しを改めるために。習得済みと思われる方も「練習」に参加されてはいかがでしょう。
日程:11月17、18、19日の3日間 時間は夜7時より1時間 於 門徒会館
持ち物:お念珠 (勤行本は寺にて用意あり)
≪金子みすず展のお知らせ≫
名古屋松坂屋の本館7階にて、11月25日から12月6日まで開催されます。一般の入場料は700円ですが、「無料招待券」を入手したので、ご希望の方はお申し出下さい。主催:毎日新聞社
わたしと小鳥と鈴と=美しい命の響き
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は わたしのように 地べたを 早くは走れない
わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は わたしのように たくさんの歌は 知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい
≪いい言葉が、いい老後をつくる!≫
『老いを愉しむ言葉』という書籍の帯に書かれていました。保坂隆氏の著書、同書には豊かに生きるための、珠玉の言葉がたくさん紹介されています。その中から一部を拾ってみました。
- 生活(結婚)を末永く導いてゆくものは、普通の意味での恋愛でもなく、また情痴の世界でもなく、それらを経た後に来る慈悲=人間のあるがままの姿への愛情であろう(亀井勝一郎)
- 他人に喜びを運ぶ人は、それによって自分自身の喜びと満足を得る(W・ディズニー)
- 興味があるからやるというよりは、やるから興味がでる場合がどうも多いようである(寺田寅彦)
手伝いの 馴れ初め同士や お霜月 (佐々木綾華)
人起ちし 座のぬくもりへ お講膳 (山下春)
あなたも報恩講に 私も『お座』に
過去の寺報・清風は
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