寺報 清風












 いよいよ私の父・称念寺住職の念願である新本堂の建設計画が始まった。過去に全国の新築本堂の数々を視察し熟慮した結果、理想的な「丈夫で長持ち」の本堂は木造であり、かつ十分に乾燥したチークとケヤキを使用し、その用材を繋ぐ「仕口・継ぎ手」部分は伝統工法に依る、と父は結論した。10年前から、内陣の主要な柱となるケヤキ材を専門家と共に吟味して購入し、さらに軍事政権下のミャンマーに渡りチーク材を買い求めてきた。本堂の建立は、数百年に一度の寺の大事業であり、傍で見る父の苦悩やプレッシャーは大変大きいようである。

 称念寺が開創されたのは、今年750回忌が勤められた宗祖・親鸞聖人の没後50年の鎌倉時代の1312年、東海道の「池鯉鮒」が江戸時代に馬市・宿場町として賑わった遥か前のことである。開基・道性(ドウショウ)法師が念仏の草庵を建てた、三河全体でも数少ない生粋の真宗寺院であり、本願寺直末の寺であると伝えられる。中町にあった称念寺は、宝永2年(1705年)2月の「知立大火」の類焼により焼失し、現在地に移転しその地は「新地」と呼ばれた。寺の嫁さんは「坊守」と呼ばれるが、住職は寺や墓地を護持運営し、永続させる責任がある。現在の本堂は築200年余を経て劣化し、第23代住職である父に、寺の存続を懸けた本堂再建の使命が与えられた。

 今回の事業での最大の懸念は、やはり寄付金についてである。元々の事業計画と予算案は、リーマンショックや東日本大震災以前のものであった。また称念寺のお檀家にも、各々様々な事情があり、日々の生活向上に先立って、お寺の本堂に十分な寄付金を付けることは誰しも難しい。しかし日本全体が豊かになって、本当に大切なものが見失われているとも言える。本願寺の歴史を見ても、御影堂再建の際には財政難に直面し、その都度「何故お寺が大切なのか」が問われ、全国の門徒が仏教の教えを後の世代に伝えることの意味を確かめてきた。真に教えに出遇った方々によって、寺院の歴史は支えられてきたのだ。

 先日、小学校1年の長女が先生から通知表をもらい、全体的に「中の上」であった成績に落ち込み、その日は夜まで暗い顔をしていた。これまでも日常の生活で、親に怒られもしたし、徒競争でも下位になったことはあるが、相対的に比較して点数を付けられたことは初めてのことだ。やはり私達は、できの良し悪しに関わらず、一人の個「かけがえのない人」として認められたい。年配の方々でも、たとえ記憶力が落ち体力が衰えても、それぞれの尊い歩みがあり、若い頃のように頑張れなくても「そのままでいい」と見守られることが大事である。

 私達の社会では、競争や比較、そして結果が重視されることが常である。自分の都合だけで喜んだり腹を立てる「凡夫」である私が、自身の尺度で他を比較し評価することが、どれだけ人を傷つけるのか。人が亡くなった後に、故人が長寿で良かったとか、若かったから残念であるとか、これも私達の勝手な評価である。どの人も誰も代わりのいない、かけがえのない人生を懸命に歩んだ厳粛な事実が見失われ、良し悪しや勝ち負けといった比較が中心となっている。

 このことは自身の生き方にも反映される。テレビでは毎日、健康や美容で私達が幸せになれるかのように宣伝されている。しかし、どんな健康な人も、老いて病気にもなり、最後は一人命を終えていく。逆に健康の大切さは失ってみてわかるものであるし、ガンになって初めて真に生きる道が開かれる人もある。寺が相続されなければ「人間とは何か」、常に「もしああだったら」と、現在のどうにもならない自分の生き様を引き受けられない私とは何か、ということが問われることがない。また、核家族が増えた社会に法事がなくなれば、子供達は祖父母とのつながりすら気付かないかもしれない。生命の誕生からつながる私一人の命の重さ、親から子へと託された願いの深さがわからないまま、一生を過ごすことは本当に悲しいことである。

 仏教の「諸行無常」という言葉通り、明日や明後日も儚い命を生きていることは、自分勝手に想定しているだけで絶対でなく、人生は私達の思い通りにはならない。将来に違う人間像、成長した自分を求め希望を持って生きることも大事だが、死ぬまでないものばかり求め続けることは「空過」であると、親鸞聖人は問いを持たれた。縁によって大切な人に出遇い別れ、やり直すことのできない人生を抱えながら、色々な人が集まり教えを共に聞く場所として寺の本堂がある。私達の孫の孫の代までが、辛い苦しい時、また絶好調で傲慢になっている時、仏の教えが伝えられお念仏し、人生を深めていく場所としての新本堂の意義を今一度確かめていきたい。


[文章 若院]


≪建設委員会からのお知らせ≫ 

 先般お届けさせていただいた「寄付金申込書」のはがきが、郵送され始めました。すでに寄付金を納付いただいた方々もおられます。これからのご門徒さんも、「寄付金申込書」を郵送くださるようお願い申し上げます。お届けの期限は11月末日とさせていただいています。


≪募集≫

 帰敬式は、おかみそりともいわれ「仏」「法」「僧」の三宝に帰依し、親鸞さまが明らかにされたみ教えに自らの人生を問いたずね、真宗門徒として新たな人生を歩みだすことを誓う大切な儀式です。受式されますと、仏弟子としての名前である法名(釈○○または釈尼○○)が授与されます。三河別院の報恩講にお詣りして、おかみそりを受けましょう。
 ※日時:平成24年3月8日(木) 10時〜 帰敬式
  受式冥加金 2万円 (お申込みはお寺まで。締切1月20日まで)


≪とある参詣者≫

 ある日のおあさじが終わった場に、お見かけしない方がおられた。お茶を出しながら「どちらからのご縁ですか?」とお尋ねした。ご自身を紹介くださった。ブラービ音楽事務所の代表・今治禮子、平原誠之を率いてコンサートを各地で設営している人である、と。そういわれても今治、平原さんを私は知らない。数名いたいつもの参詣者も知らない、初めて耳にする名前であった。「失礼ですが、平原さんとは?」と問い直した。私が「平原」を見出して世に登場させました、私(80)自身もかつては知られたピアニストでしたが…、といった内容であった。彼の演奏は「魂」を奏でる奇跡の調べ、各地に熱烈なファンが多くいます。最近では彼のピアノ演奏を聴いて感動した谷村新司さんからコラボレーションの話が来ています、などなど。

 前夜コンサートを終え宿泊した翌朝に散歩、今治さんが寺に立ち寄った、ということでした。昼前、平原誠之さんがお寺にお越しになった。渡されたポスターなどで活躍ぶりを知った。後にネットでも情報を得た。とにかく驚愕の人だ。花束もいただいた。緊張感を抑えられないままに、私は機会を得て必ず演奏会に駆けつけると伝えていた。チラシの裏面にアンケートが一部紹介されていた。

※このコンサートは生涯忘れられない。100人のオーケストラを上回る感動である。
※音楽界の「親鸞」です。これほど感動したのは生れて初めてです。感動という言葉を今後は簡単に使えなくなりました。

 普段にはないが、時に今治さんのように全く存じ上げない方がおあさじの場に座られることが稀にある。時に中国人、タイの方だったりしたこともありました。


 親鸞忌 身を粉にしても 報ずべし






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2011年11月号

新・本堂の建立
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳