寺報 清風












 徳風保育園での産休の保育士の代わりに、9月から妻がパートに出始めた。2歳になった三女は保育園に預け、私も法務の合間に昼食の炊事や白衣足袋の洗濯をし、慌ただしい毎日を過ごしてきた。そして人生同様、過ぎてみればいつの間にか、今年も報恩講の時節を迎えた。報恩講の前後には、ご門徒さん方の家庭版報恩講「お取越」が勤められる。世話方さん達にご案内いただき町別、戸別にお勤めしていき、私には10月半ばから12月初旬まで休日はない。僧侶は盆が忙しいとの印象があるが、真宗の寺では、やはり最も大切な法要の勤まるこの時期がより忙しい。

 現在ほど娯楽のなかった時代には、親しみを込めて「ほんこさん」と呼ばれ、盛大に勤められていた法要である。私の幼少時代にも、満堂の本堂では門徒の方々が熱心にお説教を聞き、お庫裏では昼食「お斎」の準備に婦人方が動き回っていた。そうした場の雰囲気は、子供ながらに大事な法要が勤められていることが感じられた。報恩講は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日が11月28日であることから、その前後に勤められる。しかし、私達が亡くなった家族のご縁でお勤めする法事とは意味合いが違う。そのことは、昔から伝えられ続ける「真宗門徒の1年は、報恩講に始まり報恩講に終わる」という言葉にも表わされている。

 皆さんでお勤めいただく各家庭の法事には、大切な仏教の教えが多い。よく語られる「先祖のおかげ」も、その言葉の意味は深い。両親祖父母はいうまでもなく、誰しもその先祖は30代遡っただけでも10億人を超える。その誰一人が欠けても、私は生れてこなかった。それほどの願いを一身に受けている。生前に信頼され期待してもらった人からは、特別に前向きな意欲を与えられる。しかし人は各々の唯一無二の、いのちの輝きや出会いの喜びと共に、老病死という逃れられない苦しみがある。また多くの方が自分の理想的な死に方を心に抱くが、私達の思い通りに命を終えてゆくことはできない。

 良悪様々なご縁があるなか「誰しも何時死ぬかわからんぞ」と教えられ、ある日このまま死んでいけるのかと今の生き方が問われている。遠く釈尊が気付いた様に、こうした人生の厳粛な事実を知ることは、私達がこの身を真摯に生きようとするうえで欠かせない。今この世界を見ることができること、生活の音や自分への呼びかけが聞こえること、自分らしさを表現し伝えられること、至極当たり前のことが私達のいのちの尊さでもある。だが多くの人は、失ってみなければそこに気付かない深い業を抱えている。法事では故人とのつながりを通して、「いのちの感覚」を養う場も与えられている。

 報恩講は、親鸞のご命日をして勤められる法要ではあるが、亡き聖人の法事ではない。私達のいのちは先祖だけでなく、太陽も植物も含めあらゆるもののおかげで今ここにある。しかし縁が赴けば、思い通りに願いは叶わず、人と別れ悲しみ、自身も老いて病気になり、最後には独り命を終えていく。娑婆とはいえ苦しいばかりである。だから苦しいことはなるべく考えないようにしよう、自力で一生懸命に人生を充実させようと皆努力する。すると代わりのない自身の人生を受け止める「立脚地」が欠け、地に足がつかず不安も残る。幸福を得ようと都合の良い欲に固執し、また苦しむ。身勝手な物差しで他人の違いを比較しては、評価や批判ばかりしている。満足した人生を送るには何が大切か。溢れかえる情報に惑わされ、本当に何がしたいのかわからないまま、空しく時は過ぎてゆく。思い付いては上を目指し、一つ得ては喜び、失っては悲しみ、今あるがままを喜べず彷徨い続けているこの身である。

 少し聞法された方であれば、繰り返しお説教を聞き頷いていくことの大切さを胸に抱く。どうやらそういう私の煩悩は超えられない。善悪について、自分について、誰より理解していたつもりであったが、教えに照らされ「凡夫」の一人であったと頷く。人間つまり私とは、どういう者であるか、深く問い尋ねる道が開かれるのだ。そして「悪人」こそが救われるらしい、「南無阿弥陀仏」と称えることが大事らしいぞと、おぼろげながら体を通して教えられていく。毎日の生活つまりは全人生の基礎として教えを聞き、自らとその願いを知る。そのことによってしか私の歩みは成り立たない。そのことをお互いに確かめ合う機縁が報恩講であり、先の「真宗門徒の1年は…」という言葉である。私達に先立ち、人生に迷い、自身の愚かさを憂い、世間の善悪を疑い、偽りだらけの人間を悲しみ、そして共に救われる道を探し続けたのが親鸞聖人の歩みであった。

 この三河の地は、全国でも有数の熱心な真宗門徒の土地柄として知られている。平成の大修理前の東本願寺の瓦(御影堂、阿弥陀堂の約29万枚)も、全て三河門徒から寄進されたものであった。何百年もの間、日々の暮らしのあった社会や環境は劇的に変わってきたが、私達の先達は変わらず真宗の教えを大切にしてきた。常に自分中心の迷いの殻の中にいる私であったと教えに頷いた人々と、自我を自我と知らされず己の考えを自己主張ばかりした人々とでは、その生活や人との関わりは決定的に違うであろう。

 真宗の寺として知立に称念寺が創建され700年、新本堂ができればこの先200〜300年、この先故郷に生まれ育つ人々にも、その導きとなるのは今ある私達のお念仏の声であろう。


[文章 若院]



≪住職より≫ 

 境内には銀杏の木が7本あるが1本は雄の樹。実のなる雌のうち最も若木は、今年のノーベル文学賞を受賞(10月11日)された莫言さんが植樹くださった公孫樹です。2度目の来寺、2003年9月18日の出来事。このご縁から小説『四十一炮』が創作された。物語の場面は寺、その境内には銀杏の木が茂っていると、御堂の傍らにいる僧侶は誰でしょう?あたかも拙寺が舞台として話が展開されていきます。最近、日本語訳も出版された。

 数年前から銀杏が結実し、歳ごとに数を多くしています。今年の報恩講のお斎「銀杏ご飯」の食材は、莫言さんのお手植えの果実でということとなりました。採れた銀杏は北京のご自宅に国際宅急便にて、長年の親交のお礼と受賞されたお祝いの言葉を認めお届けいたしました。

 10月22日の昼、上海の老朋友(親友)、羅さんから国際電話が掛かってきた。「南方周末というネット、今それを見ています。莫言さんを取材した記事がのっています。その中であなたとの交歓も興味深く披露されていますよ。莫言さんと日本のお坊さん?どんな関係?などなどが…。この報道紙面をEMSで送ります。莫言さんは今や中国で時の人ですよ」と。敬愛する莫言さんとのご縁は、海外からも火が付いてきました。いやはや驚事となったものです。人の出会いはとは、全く不可思議の縁であります。

 莫言さんがお越しになった折々に保育園の園児に「おはなし」をしてくださるようお願いしてきました。毎回快諾いただき、寺の座敷に隠って原稿を執筆されます。その後に会場の本堂で、莫言さんは園児の前でお話されます。

 通訳はいつも毛丹青(マオタンチン、神戸国際大学教授)さんが担当下さいました。次代を担う徳風の園児に聞かせたい物語を、自然や動物や家族を背景にしたほのぼのとしたお話を莫言さんが書き、情景をより理解できるよう語りに配慮くださる毛さんがいました。お二方には常々感服させられました。

 『雪と餅』、『わが家の猫』など5篇の自筆の「おはなし原稿」が大切なお宝となりました。未発表の大切な注目すべき短編童話といった作品群であって、後に出版する計画を課題として与えられました。これらの原稿が最も貴重な「贈り物」と云えましょう。

 氏はまた多くの本の表紙裏にサインを書いてくれました。当方が手配した莫言さんの新刊本に毛筆で、またボールペンで、経緯なども綴り署名を快く記されました。それらは知立市の、京都の大谷大学の、名古屋の同朋大学、京都の大谷高校図書館に寄贈しました。御本山「東本願寺」には、『信念堅定的人』と毛筆で書かれた「まくり」をお届けしました。

 拙寺に氏が揮毫くださった『軸』と『打敷』などがあります。軸に書かれた語句はどれをとっても氏と寺とのご縁が読み取れるものでもあります。打敷にあっては、特に珍しい作品であり現在まで過去、全く有り得なかったデザインで構成、すなわち漢字を表記し、それぞれの仏間の意を充当した豪華刺繍のものです。

 寺の報恩講が下旬、その頃「設計図」が完了します。その後、年末にかけて本堂を施工する業者(宮大工)が選定されましょう。よって3日間の報恩講が現本堂での最後の行事となります。親鸞聖人のみ教えを聴聞する門徒の最も大切な行事ですから、作法、荘厳にも厳格な取り決めがあります。しかし本年の報恩講にあっては、お御堂々内、玄関などは関連作品を並べ『莫言ワールド』一色で構成します。「お斎」にあっても莫言さんの植樹された銀杏の実の「銀杏ご飯」などなど準備させていただきます。ご賞味あれ。

 什物としての莫言さんに関する品々の一般的価値は、@おはなしの原稿、A毛筆書きでの軸、Bサイン入りの本が世間的なものであろうが、門徒さんが取り持つ寺(念仏道場)を視点に見るならば、@莫言さんの筆跡の打敷、A原稿『雪と餅』の石碑、B愛用の「ボールペン」「硯と筆」、C寄贈くださった花瓶などの順になりましょう。

 寺報『清風』のバックナンバー61号では、拙僧と莫言さんが中国CCTVに出演し、収録した記事がありました。11年前の早春の北京の出来事。2008年3月号では芥川賞受賞の諏訪哲司さんにも加わっていただき、お座敷で歓談した様子なども紹介してきました。


≪現本堂での最後の報恩講≫

 @アスカ設計、A田中社寺設計の2社に委託した、新本堂の設計図が11月上旬に出来上がります。11月下旬の報恩講法要が、現本堂での最後の行事となります。報恩講を終えて、ご本尊の修復、仏具の搬出など、仏具の片付けなどが順次始動します。合わせて施工業者の選定が行われ、決まり次第その社寺建築会社がいよいよ「本堂取り壊し」にかかります。

 明年からの寺の行事は、すべて「門徒会館」にて行われます。約2年間は、新本堂の新築工事中となりますので、春秋の彼岸、おあさじ、ご門徒さんの年忌、法事などなど、すべてが会館に移動して執り行われます。

 明春には、工事を請け負った社寺建築の施工会社(宮大工、棟梁)が決定していることです。

 ご満座の23日は、保育園庭に駐車できます。法要、法話が12時頃、終了しますと『閉扉式(へいひしき)』が行われます。金障子閉じられて、現本堂における行事がすべて終了することとなります。以後本尊が搬出され、仏具が修理にされていきます。その後に、取り壊しされます。










               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2012年11月号

最も大切な法要
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳