寺報 清風











 北陸の光闡坊(コウセンボウ)では毎年9月下旬に3泊4日の報恩講が勤められており、その寺の佐野明弘先生に会いに行った。現在の私に師の導きは欠かせなく、またお檀家の皆さんと共にお勤めする「お取越」に先立ち、何をもってして親鸞聖人の御命日の法要を勤めるのか、そのことを確認しに行った。

 午前中の称念寺での法務を終え、名神高速から北陸道へ入り約3時間で加賀市に入り、私が到着したのは午後4時過ぎ。予想通り(今年で3度目)初日の午後の日程は終了し、宿泊する20名程が乗合で近所の温泉に出掛けるところであった。初日は入浴せず読書でもしようと考えていたが、車が足らず参詣者を乗せ私も行くこととなった。遠路はるばる報恩講に身を寄せいきなり風呂というのも、そもそも私が遅刻したせいであった。500円で大小貸タオル付きの洒落た天然温泉に浸かり、寺へ戻ると夕食の時間となった。

 佐野先生は真宗で得度する以前に禅寺で厳しい修行をされており、光闡坊では各参詣者に自分用の食器が配布される。大中小の椀を重ね、その上に湯呑みを置き、てぬぐいで包み、結び目の辺りに箸を挿して各自で管理する。初日の夕食は大の椀にごはん、中の椀には豆腐のあんかけ、小には漬物といった具合に各自で装い、食後には熱い茶を注ぎ漬物等で拭い、またてぬぐいに包む。光闡坊の精進料理は漬物や薬味は豊富にあるが肉や油物がないため、基本的に食器を流しで洗わない。台拭きが回され各々が食卓の自分の前を拭き、食後の合掌の前に綺麗に片付いている状態となる。

 自然に優しくエコでもあり、禅的な合理性もある。LA滞在中「接心」の時期に座禅しに通った曹洞宗米国別院でも同様の作法を習ったが、私がいつも辛いと思うのは、嫌いで普段は食べることのないシイタケが精進料理に多用されることと、複数の椀を綺麗にするのに順に茶を移した最後には不気味な味になっているその茶を飲み干すことである。食事当番となっていたため、あんかけが調理された大人数用のヌルヌルの鍋を、たわしで奮闘しつつ洗い終えて一服した。

 夕食後には攻究(班別での話し合い)があり、地元だけでなく九州や関西、関東からの参詣者から、初日の法話の内容を聞かせていただいた。なぜ人は娑婆で迷うのか、どう生きたいと願うのか、教えから自身を深く問われたようだった。午後9時には日程が終了し引き続き「就寝勤行」。会館にあるお内仏(仏壇)の前で、『わが信念』(清沢満之著)を皆で読む。先に自分の布団を敷き懇親会へと移るが、光闡坊では単なる飲み会でなく互いの人生や信心を熱く語る場となる。そこでしか会うことのない法友や北陸の熱心な門徒の大工さんとも再会し、先述の自分用の湯呑みで酒を飲み、私は朝からの疲れもあり1時半頃にあえなく沈没した。

 毎日の基本日程は次のようになっている。朝6時に鐘が鳴り起床。私は毎朝眠い目をこすり、ギリギリの10分遅れで本堂内に敷いた自分の布団を片付ける。洗面し6時半より「晨朝勤行」(おあさじ)、僧分は勤行前に衣体(エタイ)に着替えなければならない。当番は朝食を準備し7時に朝食、ごはんでなく米から炊いた粥が美味い。後片付けと昼食の下準備が同時進行し、軽装にて9時から掃除。板の間の廊下や本堂内陣を素早く雑巾がけするのに、バスタオルが使用されていたことに今回初めて気が付いた。

 再度衣に着替え9時半より素読、「素読」とは難解な文章の意味はさておき、まず声に出して読むことである。本堂に集まり真宗聖典の『尊号真像銘文』(親鸞著)を皆で読む。全国より僧侶も10名ほど参詣しており、引き続き声高らかに「日中勤行」が勤められる。10時半より講義があり、12時になると昼食。午後には勤行、講義、攻究等があり、そして夕方4時に夕食の準備と、初日に私が飛び入り参加した風呂の時間となる。2日目の夕方には、帰路を共にした私の良き法友でもある西尾の先輩僧侶と合流した。

 人は出遇いを忘れて傲慢になり、傲慢が崩れて出遇いを仰ぐ 佐野明弘

 結婚し子供も生まれた後に突然ハンセン病となり苦労された沖縄の方や、教職に就く両親に対し良い子であり続けることに苦しんだ娘さんや、いつも自分中心の勝手な考えに捕われて悩むおばあさんや、参詣者が様々な歩みや苦悩を抱えつつ、自らの人生を満足して全うできる道を求めに来ていた。しかし佐野先生は、そこから逃れられない、この娑婆で迷い続けるのだと言う。時代社会や環境から私達は生まれた時点で自らの業を背負い、生きることで人間関係や煩悩に惑い、自身の都合や立場、健康ばかりに執着し、過去に戻ることもできず、思い通りにならない人生に迷う。

 だからこそ少しばかり人生の為になる、楽しく生きるのに良い説法が聞きたいのでない。謙虚な態度が大切なのでなく、人を尊ぶ謙虚な人となりたい。必ず死を迎える一度きりの人生で、私があるがままの私でよかった、悔いなく生きたと思えるような確かな生き方を親鸞に聞きたいと願うのだ。その聖人が人間の弱さと危うさを見つめ念仏申す歩みをされたことに、私自身の宗教的課題がある。人と出遇い共に教えを聞く場の大切さを教えられた報恩講であった。


[文章 若院]



≪断腸の思い≫ 

 8月28日に入院、その後に「十二指腸の腺腫」を除去の手術、術後約4週間後に退院、以後折々に通院し、経過の様子を見ています。術後の痛さは筆舌に尽くせません。3日後にようやくベッドに伏している自分を確認することができました。それまではただただ痛みに呻き叫んでいた状態であったと聞かされました。

 40年前に「胆のう」を、8年前には「肝臓」の手術を経験しましたが、今回ほど痛みを強く感じたことはありませんでした。まさに断腸の思いとはよく言い当てたものでした。11月1日古希を迎えたが、まだ折に通院が継続しています。

 9月中旬のこと、初めて4時間の外出の許可をいただいた。琵琶を演奏して語る、椰野明仁さんの講演ステージに出かけるためでしたが、チケットぴあで既にチケットは完売済み。結局4000円の入場券が入手できず、楽しみにした観賞は取りやめとなってしまった。日頃は寺の本堂で語る彼ですが、この日はトヨタホールで著名な落語家とのコラボレーション出演という異色の舞台であった。

 数日後、病院に見舞いに来てくれた折、スポットライトの中でのステージは、貴重な体験であったことを彼は熱く語っていた。改めて11月の拙寺の報恩講には、ご法話で出講いただくように依頼した。


≪欽古堂亀祐の香炉≫

 祖師前の香炉は平腕の形状の陶器を置きます。三田青磁の祖「欽古堂(キンコドウ)」作のもの、新本堂の什物です。これが調達できました。


≪新本堂について≫

 施工契約書には、主な構造材である柱、貫、梁などは施工時に当方の寺側が支給するとしてありました。よって今まで準備してきた用材を社寺建築の「丸平建設」(岐阜県揖斐郡)に搬入しました。多量の用材が設計図から使用される箇所」ごとに振り分けられ、番号、符号が付けられ指定されていきます。その作業は、4月から連日、7ヵ月間を経過しました。

 その結果不足する材が発生しました。結果としてその責は住職にあります。準備された用材で全てが間に合うかどうかは、設計士さん、建設委員会のメンバー全員が心配していましたことでした。

 10月18日、建設委員会は丸平建設に出かけました。製材され仕分けされたケヤキ、チーク、松などを説明とともに確認していきました。本堂に関する用材はほぼ確保されていたのですが、設計図面による玄関の2部屋と本堂の裏部屋2室に充当する資材が足りませんでした。よって不足する用材の算積を行って、それを購入するための費用を丸平建設の会長さんが概算しました。金額にして2千7百万円ほどと。その金額をしかと聞いてメンバーは帰路につきました。

 いままで準備してきた主要材は「ミャンマーチーク材」であったため、それを現時点でいくらで購入できるかを住職は輸入木材の業者に聞き取り始めました。取り扱う材木店であってもかなりの値が違いました。まちまちでした。主たる用材のチークは高騰していました。国産材のヒノキなどは、値上がりどころか近年価格が下がっている状況ですが、チーク材は逆に諸外国からの注文が多く、購入時の約2倍の値段を提示されました。ケヤキ材の半額であったチーク材は、ここにきてケヤキより高価な材になってしまいました。

 10月時点で、補充する木材の体積は掌握できました。使用材の変更も視野に入れながら、12月末までに決着させるため奔走しています。新本堂造営の計画の予算の執行及び補正など、大きな山場を迎えています。

  ケヤキ材の不足は少量でしたので、住職は11月2日に発注しました。見積額が税込92万円でした。グリーン材(未乾燥材)だから反りがくる厚み部分を予測して、数センチ厚くして納入を依頼した。次回の委員会にて、住職発注分のケヤキ材について承認いただく予定です。


≪年会費(お初穂)について≫


 昨年度から「年会費」は、この時期に依頼するとしました。郵送で振り込んでいただく、または報恩講で納付していただくこととさせていただきました。一昨年から新本堂の寄付金をお願いしています。そうした状況の中ですが、通常の年会経費としての会費です。ご理解の上、納付くださるようお願い申し上げます。


≪頂戴した真宗聖典≫

 若い時から仏教書に特に親しんでおられた西町在住の故伊藤善仁さんの遺品の中で『縮刷版真宗聖典』を見つけた。なんと昭和56年の第一版とあり、数少なくなった珍書である。新本堂完成時、屋根裏の「タイムカプセル」に記念として納め置きたい品の一つとしていただいたものです。


◎莫言さんの七言碑

 新しい駐車場の南のコーナーに新たに設置されました。
 莫言三訪称念寺 庭前銀杏己郁葱
 俗人也存向仏心 遥見紅日昇海東
                戌子元月 印

 公孫樹の実が落下するようになりました。門前の木は14年前に初来日して寺を訪れた莫言さんが植樹されたもの、門前の碑の隣の木がそれです。7年前から収穫できるようになっています。銀杏は23日のお斎に使用します。






               過去の寺報・清風はこちらからご覧ください。









2013年11月号

北陸で道を尋ねる
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳