寺報 清風











 先日、小学3年の次女が学級委員になった。彼女は以前からやりたいとよく私に言っていたので、当選を聞いて一緒に喜んだ。彼女の血液型は私と同じB型、活発でマラソンも速く、下の子の面倒もよくみてくれる。年中の時のかけっこでは4人中3位で悔しがり、走り終わり手で地面を叩き大泣きしたほどの負けず嫌いだ。一方、2歳年上の長女は大人しい性格の恥ずかしがり屋、級長など頼まれても絶対にやりたくないと言う。赤ちゃんの頃からニコニコと微笑む姿には本当に癒されたものだ。不満を言いながらも長女としての役割を自覚し始め、最近では勉強にピアノにと真面目に取り組むようになってくれた。姉妹でも二人が違うように、人は皆その生き方が異なっている。

 良く聞く話だが、大人は子供を比較すべきでないと私は思う。例えば「誰々はできるのに、何故あんたはこうなの」などと言えば、その子は大変傷つくだろう。子供なりにも自負心があるので、何かと褒めたがる親の勝手で悪いと決めつけられれば腹も立つ。世界で一番身近な人に責められるのは悲しいことで、最悪の場合「私なんて生まれてこなければ良かったのに」となりかねない。それは存在そのもの、あるがままの自分を否定されると、この世に居場所がなくなってしまうからだ。親子関係に甘んじ「それはダメ」、「早くしなさい」、「お前が悪い」など、居場所を奪う言葉をどれだけ投げかけてきたことだろう。学校の成績に優れることがその子の人生のためになるという思いも、誤りだと知りつつも根強く心中に残るものだ。

 夫婦についても、長年共に暮らし妻を世界で一番知っているように勘違いしているが、実際には分かり合えない部分も多い。夫婦喧嘩となれば互いに考えを否定し合い、話をすればするほど辛くなる。本人を目の前にして「あんたは・・・」と否定や助言する時、経験や知識に加え生きた年数も尊大となり、私達は自分こそが正しいと妄信し、高い場所に立ってモノを言ってしまう。また、人の陰口や中傷することが良くないのは、当人の耳に入った時その人の居場所を奪うことになるからでもある。自分以外の人について、あれこれとやかく語るのは私達の日常だが、真の問題は当の自分を知らないという「無明」にある。評論家となり偏った善し悪しを語り、様々な事柄を決めつける私自身の自己中心性は、鏡に喩えられる仏法に照らされなければ見えないものだ。

 邪見が驕慢を生む 佐野明弘

 ※『正信偈』の「邪見驕慢悪衆生」を参照。阿弥陀仏が救う人間の相を表す言葉で、煩悩に満ちた誤った見方から、思い上がりやおごりたかぶる心を抱く人々の意

 自分のことを理解してくれている人が居るということは、生きることと深く関係する。最近ペットショップで購入したウチの魚も、水温や水分、エサまで詳細に妻が調べたにも関わらずほぼ全滅した。一方だけの「これで良いだろう」という考えが小さな命を奪った悲しい出来事であった。また仲間によるいじめの結果、子供が自殺に至る。そんな時、我慢して生きてさえいれば良いこともある、大人になって見返せば良いとか、大人が頭で計算した言葉は助けにならない。そうした身勝手な思い量りこそが、居場所を奪い存在を傷つけるからだ。自分中心の物差しで常に良い悪いと比較や評価し、その価値観を他に押し付け、自分に都合の悪いものや苦しい老病死だけを排除し、思い通りに生きようとする。古来より便利で快適、楽ある生き方を求め続けてきた私達人間の罪悪だと、仏の眼に教えられることだ。

 私は完璧でない、弱い人間のままそこに居ていいという処がなければ、人は生き難い。卑劣なテロリズムや戦争犯罪は許し難いが、同時に列強が圧倒的な武力でイスラム国の人々の居場所を奪っていることも事実だ。鬼畜米英が人間であったように、イスラム国の人々もまた人間である。究極の居場所であるいのちや生活が破壊されれば彼らも守るため、欧州で大々的に報道され危惧されているように、裏の武器密輸商人から核弾頭を購入する可能性も必然だろう。これは北朝鮮も日本も例外ではない。現在の中東シリアの混乱は、過去のヴェトナム戦争と近似した、ロシアとアメリカの代理戦争であるようだ。諸行無常。永遠の平和などあり得ないが、日本も安保法案により対立や紛争の絶えることのない国際社会の混沌に、自衛隊が軍事的に踏み入る準備が整った。結局、戦後の日本人も平和を希求し二度と戦争をしないと誓ったのでなく、もう傷つきたくないという自己愛があっただけで、できれば金で解決し、また状況により戦争を放棄もすれば加担もするという利己的なあり方であったのではないだろうか。

 世界中の人が皆自身の居場所を求め、安心して生きたいと願っている。携帯電話やパソコン画面にこそ表れないが、そこに人が居るということは、いのちがあり、故郷があり、家族と生活があり、願いがあり、また私と同じく悩み迷う人間がいるということだ。たとえ理解され難い間違いや身勝手であっても、その人の個性と想いには尊さがある。真宗は念仏して、他人の違いを喜んで認めることのできるような善人となることを自力で目指す道ではない。しかし親鸞聖人に教えを聞くことは、自分が自分を受け止め、自分が他人を受け止めるという人間関係の根本に、皆共に凡夫なのだという本当に大切な事実に頷かしめる。かつて聖徳太子も『十七条憲法』で明記した視座であるが、学校教育を含め現代では忘れられつつある私という人間存在の原点を、また今年の報恩講のお勤めを通して見直し、南無阿弥陀仏に向き合い聴聞していきたい。

[文章 若院]


«お取越のお知らせ≫

 本年もお取越のお勤めを順次ご案内しています。家族の法事とは別に、宗祖親鸞聖人のご命日を機縁とした、1年に1度の大切な家庭版報恩講のお勤めです。約半数のお檀家さん300件は戸別に案内をしていますが、それ以外の方々もご縁がありましたら是非寺にご連絡いただき、一緒に勤めさせていただくことです。


≪工事の進捗状況≫

 8月より再開された本堂工事は、構造材の加工を岐阜県内の製材作業所で行っていました。9月下旬より現場に堂宮大工諸氏が現場で開始しましたので、作業の音が境内に心地よく響いています。下旬の24、28両日には部材:小屋梁材が搬入されました。長さ14m×6本、12m×4本、その他多量。超大型トレーラーに積んだそれらの資材は境内に、続いて本堂の天井部分の上にクレーン車2台、リフト車によって納められていきました。この「小屋組」作業は当初より限られた狭い境内にどのように搬入するか、最大難関工事として問題視されていました。専門の鳶職さん、重機の操作員など、息の合った連携プレーで長尺材が空中で受け渡しされ移動しつつ送り込まれ素屋根内の上部に納まりました。

 10月からは本格的に小屋組造作に入りました。屋根の形状が徐々に組みあがっていき、正面には大きな唐破風が設置されていきました。堂宮大工(棟梁・森等)さん達は月曜日に来て連日宿泊され、週末に岐阜、滋賀県の家に帰られる勤務形態です。よって日没が早まってきた今日この頃には、夕方から照明を点灯したなかで遅くまで造作され、その後に宿泊所に行かれます。只々ご苦労様ですと思わされることしきりです。10月下旬から1名が増補され、計4名がことに当たっておられます。

 堂宮大工さんの休日には、現場の清掃をします。多量の木切れ、カンナ屑などを拾い集めて片付けます。また土台部分に防蟻、防腐剤を塗布しました。柿渋、ベンガラ、墨汁など、従来から伝承されてきた「和もの」を調合した塗料を使用しました。これらの清掃、塗布の作業には一部のご門徒さんの奉仕作業によるものです。深謝。


«扁額について≫

 今までの本堂には「額」は掲げられていなかったのですが、新本堂の外陣の中央に「扁額」を設置します。その額が出来上がって届けられました。縦71横52cm、材質は欅。まだ白木の状態のもの。額には「語」を表記します。2文字で「聴聞」と。揮毫くださった方は中国の文豪、莫言さん。本堂では仏法聴聞が課せられている意を著したものです。この後、八尾市の仏具製作所で彫刻、塗漆などの仕上げ加工がされます。明年9月、本堂完工後に、長押の上部に掲げられます。


«報恩講 11月23日(祝・月)≫

 晨朝(おあさじ) 午前7時 ご伝鈔下巻拝読
 日中のお勤め 午前8時 御文:御正忌
 法話
 ご満座のお勤め 午前10時 御文:大坂建立
 法話
 引き続き「お斎」の場が設けられます。境内のいちょうの「銀杏ごはん」を主食に用意します。法話くださる椰野明仁さんは、スーパー絵解き座の座長さん。楽器「琵琶」を奏でて語る芸の持ち主、異色の僧であって全国を駆け巡っている西尾市の本澄寺の住職さん。


 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし





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2015年11月号

そこに人が居る処
発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳