寺報 清風







            土徳の言葉


 お参り用の軽自動車を停め、やおら戸口から入る。大きな声で「こんにちは。失礼します」、「あーどうも、若院さん。今日はごたいげさま。宜しくお願いします」と迎えられる。法要の後にも、今度は私が「ようお勤めくださいました。ごたいげさんでした」と頭を下げ、施主も布施を預け「今日はお参りいただき有り難うございました。ごたいげさんでした」とお互いに挨拶を交わす。特に三河の真宗門徒の家庭では昔から、法要の際に「お疲れさま」、「ご苦労さま」に混じり「ごたいげ」という言葉が頻繁に使われてきた。日本人の日常で使われる「いただきます」や「おかげさま」、「させていただく」等の表現にも仏教徒たる受け止めが含まれるが、一緒に『正信偈』を唱和し「なまんだぶつ」と念仏の声が聞こえ、幼少より耳にした「ごたいげさま」の一言を耳にすれば、それだけで大変有り難い。この言葉には祖先より届けられた、浄土真宗の土徳の響きがあるからだ。

 その背景として、まず真宗の「三河門徒」といえば、その信仰が熱心な地域の人々として全国的に周知されている。西本願寺では広島県の「安芸門徒」、兵庫県播磨の「播州門徒」、東本願寺(大谷派)では北陸に「百姓ノ持チタル国」を創った「加賀門徒」、そして古くより鎌倉街道沿いで念仏生活を営んだ当地の「三河門徒」が旧国名に門徒を付し呼称されてきたのは、戦国末期の一向一揆の土地柄が関連すると言われている。親鸞聖人が亡くなられた弘長2年(1262)の50年後、その直弟子であった専信坊専海の系譜に連なる道性法師が正和元年(1312)に池鯉鮒(知立)に草庵を結び称念寺の開基となる。周辺の真宗寺院は中興の祖・蓮如上人の血脈寺院となった三河三ヶ寺の教団に属し、三河一向一揆にて領主であった若き家康を窮地に陥れた。他方、三ヶ寺に属さず本願寺第9代実如により「本山直末」となった称念寺の10代目住職道了は、長島一向一揆で民衆男女2万人を焼き殺すという残虐非道の織田信長と本願寺教団の間での熾烈を極めた「石山合戦」に馳せ参じ天正4年(1576)、後に徳川家康から寄進を受け建立した東本願寺の開基となる教如上人より感謝状が贈られている。かの道了は石山合戦の終焉した天正8年(1580)、同地野田の砦にて信長の3男・織田信孝の軍勢との戦いに戦死した。掲げた「南無阿弥陀仏」の旗のもと、民衆の平等と尊厳を信じ願いその命を賭したのか。

 時は流れ元治元年(1864)、尊王攘夷を掲げた長州藩と会津勢力との京都に於ける市街戦「蛤御門の変」の戦火で東本願寺が消失してしまう。第21代法主厳如上人は明治12年に両堂再建を呼び掛け、これを受けた三河門徒は驚くべきことに自分達だけで「阿弥陀堂を一手に引き受けたい」と申し出たのであった。だが「全国のご門徒による懇志から成り立つ本廟である」と諭され、然らばと両堂の屋根瓦を全て寄進するという篤信をして再びその名を全国に轟かせた。碧海の地はその土壌に良質の粘土を含む有名な三州瓦の産地であり、世界最大級の伝統木造建築の瓦を5年半かけ製造、その数約17万6千枚は御影堂、約11万2千枚は阿弥陀堂の屋根に使用され、建立から120余年を経た今なお燻された銀の輝きは色失せない。本年には国の重要文化財にも指定された本願寺の大伽藍は、全世界の真宗門徒にとって教えを聞く根本道場であり、明治期の三河門徒が後の世代に託した「南無阿弥陀仏」の物語が脈々と受け継がれている。

 門徒言葉である「ごたいげ」には、その語源が2つある。一つには「大儀」であり、重大な事柄や大切な儀式法要を意味する。苦労が多く面倒なことを「難儀」とする儀である。時代劇でもお殿様が「大儀であった」と家臣を労う場面があるが、法事でも月参りでも仏壇にローソクの灯明を点け、線香を焚き手を合わす。丁寧な家庭では「御文箱」が脇に置かれ、これらは荘厳といって、開かれた浄土の世界を今ここに聞く準備。日頃の心は自分の都合ばかり、やれ「病気になりたくない」だの「夕飯は何にしようか」だの「人生こんなもんや」という程度の私達が、まま仏さまのお仕事である仏事として法要を修する。諸々のお願い事をしたり単に故人を供養する為でなく、折に触れ「猫が死んでも三部経」と、釈尊一代の最も大事な説法が漢訳された言葉として読経を聞いて、宗祖が残した『正信偈』を声に出しお勤めする。たまたま人間に生まれた私という存在の、如来に照らされたいのちの根源を確かめる一大事と儀式をいただくのだ。

 もう一つの語源は「体解」である。『三帰依文』に「大道を体解して」と謳われるように、仏道は経文類を習い教学をして理解する「知解」だけでなく、我が身と日々の社会生活を通して体験するもの。よって真宗の僧侶は縁のままに全人生を通し命懸けで求道し煩悶していく。僧でなくとも法事一つ、大切な家族の死に向き合うことで「ああ、次は私かも。このまま中途半端に人生を終えるのか」と、無常をして自分の生き様が問われる。何の為に私が私に生まれたのか、生きることに意義や理由はあるか。老い病み役に立たず施設や病院で終える人生全体を、有り難いと引き受けれるのか。愚痴や批判ばかりの自身の人間関係を見直し、どこで共に生きることが成り立つのか。そう問いに立つ姿勢が尊いのは、必死で人生の充実を求めてきた根底が、実は欲望や執着、排除、満足や保身という尽きない自我煩悩の成就の為であったと、我も亦た仏門の根本課題の只中に在るのだと身体で解するからである。

 閉ざされた心のなか、老病死は仕方ないと諦め理想の死に際に希望を求め、年と共に重ねた偏屈や傲慢も今更変われない、周囲と比較し幸福で自分を納得させようと迷い続け、世の中の誰にも自分の世界を理解されず、老化で失われゆく各種能力にしがみ付きながら、無関心や差別、競争と搾取、環境破壊そして戦争のなくならない文明社会で孤独に命終える私とは一体何なのか。その流転を遥か昔から慈悲する仏の眼が、天地が逆転するように、ああ人権を奪われた天皇も苦悩する家族もこの私も皆同じく念仏すべき一人の凡夫であったと、心が通じ合う浄土の世界を照らす本願の呼びかけが、現代の三河に生きる私達へと伝えられている。

[文章 若院]


欄外の言葉

 人間はどうなったら幸せかを知らない生き物である 武田定光
 
 花がどれだけ大きくなっても、花であり実ではない 佐野明弘


≪若院の伝道掲示板≫
≪お取越のご案内≫

 親鸞聖人のご命日を縁とした、真宗門徒にとって一年で最も大切な法要である報恩講の家庭版が「お取越」です。毎年10月中旬より、各町の案内は世話方さんにご足労いただき、約300件のお内仏にて順次お勤めしています。ご案内のない地区の方も、個別に寺に連絡いただければお勤めさせていただきます。


≪岡崎教区20組 聞法会≫

 当日の参加費は500円。どなたも聴講ください。

●1月9日(木) 午前10時~12時
  会場 称念寺
  法話 三橋尚伸さん

 大谷派の女性僧侶、神奈川県横浜市在住の心理カウンセラーです。日本全国でお話されつつ毎年、自分の馬のいる北モンゴルの遊牧民のゲル(円形の移動式住居)を訪れておられる素敵な先輩です。

●2月9日(日) 午前10時~12時
  会場 善敬寺(西中町)
  法話 狐野秀存さん

 東本願寺の僧侶の資格(教師資格)を取得できる登竜門、京都にある全寮制の仏教教育の道場である大谷専修学院の院長をしておられます。大変多忙な中、是非にとお願いさせていただきました。


≪住職リハビリ日記 Vol.5≫ 

 大腸破裂に起因するストーマ(人工肛門)装着の生活は、昨年末以来約9か月に及んだ。穴が開いた大腸の症状が正常に回復したことで、手術でストーマを除去後は元のような生活を送っている。排便については以前のようには中々いかないものの、ストーマを取り外すことができた安堵感がある中で復活に期待しながら日々送っています。

 別の症状であるが、「圧迫骨折」で生活に支障をきたしている。2年前から「背骨」に激しい痛みが生ずるため、起き上がって2・3時間すると横になって休む、暫くして起き上がるといった症状が続いている。これは完治することがなかなか見通せない現況。週2回のリハビリを受けて時に通院する、この後も長く続くことと思っている。

 1年間のブランクが経過した。この間、法務に多くのご迷惑をかけました。21日からの3日間の「報恩講」で再始動します。限られた範囲でしか作務できないが、準備に、声明に、聴聞などに関わらせていただく所存です。

 ご門徒の皆さま、報恩講のご縁をいただかれますよう念じます。



 耳も目も たしかに年の 暮るるなり   阿部みどり







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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳