寺報 清風







            風呂場の功徳


 根が怠惰な性分からか元来、私は風呂が好きでない。小学校時代は、夕方に中庭で薪を割らされ、窯で燃やし風呂水を焚くという、旧式では温度調節機能など無く、湯加減は極端に熱いか冷たいか、冬場にはよく震えた。今に至るまで欠片も食べられない、椎茸の原木栽培が行われた悍ましい処でもあった。京都の高校での寮生活では、殊に下級生の頃は先輩らの後に入ると、既に20人もの垢と汚れが浮く風呂桶は、とても身体を洗った後に入る代物とは思えなかった。また当時、訪れたフランスでは、水道水が白い硬水で飲料は勿論、洗顔洗髪にも適さず、週1度ほどしか入浴しないことが常識の彼の地で、局部のみ洗浄するビデや香水が発展した歴史があると見知った。シャネルなど香料も、専門的には体臭との融和が目的であり、匂い消しに振り「日本人なのに香水の正式な使い方をしている」と褒められたこともある。

 無論、僧侶としては御門徒衆のお宅でお勤めするため、白衣や足袋の洗濯を含め清潔を保つ努力は惜しまないが、海外僻地の旅先では温水や、そも便紙のない安宿で、世界一と評される日本人の潔癖からは距離を置く。幸いやたらと整髪料を塗りたくる私の髪型は、翌日に濡れた手で撫でれば元のとおり。嘱託としての職場である、東本願寺の宿泊施設でも「伊勢さん、今日は風呂に入ったか」と挨拶代わりに声掛けされてきた。かつて主席の途で入浴しようとした際、ある先輩に「お前は本山に風呂に入りに来たのか、人に出遇いに来たのか」と問われ、身勝手に自分のスタイルを裏付ける根拠として、周囲にその正当性を嘯いてもきた。

 いずれにせよ、その風呂嫌いの私をして、日々入れてくれたご縁が娘達であった。長女が高校2年であるので、17年前に彼女が誕生して以来、核家族の役割分担として、主に私が子供を風呂に入れてきた。いま想い返すと、様々なドラマが展開された。初めは、米国のアパートにあるユニットバスで、洗い場がなく湯浴びにも苦労した。気持ち良さげに抱かれ湯に浸かる娘の、見事な大便が湯面に浮かんだ事件もあった。次女、三女が生れると、順次3人の頭と体を洗い、最後が私となった。節約に理髪も兼ね、何時しかシャギーカットの技術も体得した。都度、学校での出来事を聞いたり、歌を口遊んだり、賑やかで笑いが絶えない風呂場であった。伊勢家では父親と娘との入浴は小学5年までと勝手に定め、上の2人が卒業した現在、末娘との期限が残すところ半年弱。仏教の教えを憶念しての生活には、48歳ともなり白髪が増え老病も抱え、「無常」ということは常に脳裏の片隅に置いている。しかし最近、この風呂の時間が失われゆくことに哀愁を強く感じるようになった。

 諸行無常とは、川の流れにある水の相の如く、私達の存在を含め、凡ゆる物事が、様々な縁に依り常に移り変わりを繰り返し、二度と同じということはないという、原始仏教の代表的な教えであり、また普遍的な真実としても広く知られる。禅宗など自力聖道門の仏教では、人生に起こってくる様々な事柄を事実のまま受け入れようと「受容力」を求め修行する。良くも悪くも無常、そして方向を転換し「今を大切に生きよう」と考えるのだ(と思う)。癌になっても、健康な体が年を経て病気になるのは道理だと。人生そのものも「二度とない今日という日を大事に」と感謝して生きることができれば、それが仏教の救いの内実だと了解したのであろう。

 しかしながら、人生に起こる業縁の全てを、あるがままに受け入れる人など在り得ない。まず自身の苦労や老病死がキツい。自分だけでも大変なのに、家族への責任や周囲の苦悩も肩に伸し掛かる。対しては自我を抱えつつ、思い通りにならない現実に苦慮し、為すべきことに迷い続けるばかりである。安心など、都合の良い状況に一瞬感ずるだけで、とても全体には及ばない。また、亡くなられた和田稠先生は「感謝している限り、目の前の人の悲しみが聞こえない」とよく話されていた。凡夫が共に生きるという一点に於いて、徹頭徹尾、自力など役に立たない。その事実に真向かいになったのが親鸞聖人の歩みであり、仏教の根源を明らかにした『正信偈』に詠われる七高僧の歴史であった。如何に生きても過ぎゆく自分の人生に、無駄でなかったと「意味」を見出したい、して目的の為に「今」を見失っているのが私達の姿ではないか。またもや自力で自分を救おうとする理想的な、悔いなく生きる手段に執着して止まない私の在りようが、念仏をして教えられる。

 『100日後に死ぬワニ』という4コマ漫画がある。各タイトルは「1日目-死ぬまであと99日」「2日目-死ぬまであと98日」と続き、ワニの何気ない日常が描かれる。主人公のワニの寿命があと4日、3日と迫るに伴れ、日々の輝きが増す不思議な感覚を読者が得ることで話題となった。私達の眼に、本来輝ける命そのものが見えないのは、何時になっても「明日は我が身」とはならない、いのちを当たり前にしてしまう心である。生きているのに自分だけ「歳は取りたくない」などと、内心は名利損得しかなかろう。だから、癌など不治の病で余命宣告でもなければ、日常が輝く世界に触れることはない。更に言えば、仮に世界が光輝いて見えたと云っても、煩悩の尽きない、人の眼は邪見のままである。

 私自身、終焉間近に迫る風呂の時間に「寂しいな」と感傷を抱きつつ、「明日は週末やで入らんでええか」とか「面倒やしシャワーで済まそう」との思いは未だ絶えない。二度とない今を大切に生きることなど、できないのだ。振り返れば、子供達と風呂の時間を過ごしたことに、はな価値や充足を求めたのでない。そうとしか生きられず懸命にやっただけのこと。結句「後付けの意味」など必要でなく、もう風呂自体が成就していよう。

 真宗とは、先達に出遇い姿勢を教えられ、煩悩自体を我が身として生活しながら、自分を見つめることから始まる。自分がわかれば、他人がわかり、人間がわかる。そこに人間の営む世間の真相が知らされる。これは本来、典型的な認識のバイアスだが、その圧倒的な「悲」のリアリティ(現実味)こそ「信心」の内実であろう。そうして日常と世界を深く見つめ、御同朋同行と共に、限りある人生を念仏しつつ往く。思い通りにならない人生全体は、そう仏さまの教えと願いに遇い頷く機縁として、大事にいなだくのである。

[文章 若院]


欄外の言葉

 どんなことも、その人には、その人の今の必然性がある 高柳正裕

 本願に遇うことによって、迷いを生きる自分にうなずく 佐野明弘


≪若院の伝道掲示板≫

≪お取越のご案内≫

 例年、約300件のご門徒に「お取越」のお勤めを順次ご案内しています。昨年度はコロナウイルス感染拡大にてキャンセルの連絡が多くありましたが、今年度は通常通りお勤めさせていただいています。若院は保育園の業務が多忙のため、長年称念寺の役僧をしてきた磯村(逢妻町)が一部ご一緒させていただきます。


≪YouTube法話≫

 『信心の分水嶺』と題した若院の法話が、城郭寺院の蓮で有名な、安城市野寺の本證寺のご住職により、ユーチューブにアップロードされています。ユーチューブのサイトに入り「ほどける仏教」と検索いただくと観ることができます。長話となるので、お時間のある時にでもどうぞ。


≪報恩講の日程≫

11月21日(日)
 午前7時 おあさじ 御伝鈔(上巻)
 午後6時 法話 畠中光享 師

11月22日(月)
 午前7時 おあさじ 御伝鈔(下巻)
 午前10時 大逮夜(楽) 引き続き法話 畠中光享 師

11月23日(火・祝)
 午前7時 おあさじ 御俗姓
 午前10時 ご満座(楽) 引き続き法話 梛野明仁 師


報恩講前後の日程

11月15日(月) 午前9時 仏具のおみがき
11月6日(土)、13日(土) 午後6時半 お勤めと奏楽の練習
11月18日(木) 午後6時半 お華講
11月19日(金) 午前9時 お荘厳(お華束)
11月23日(火) 午後2時 お浚え勤行


≪住職より≫

 ご門徒の皆さま、いかがお過ごしでしょうか?拙僧は、相変わらず病院・医院通いが続いてます。腰椎第1・第2が圧迫骨折です。加えて週2回、マッサージ等、受けています。毎日昼から夜にかけて、徐々に痛みが増していく日常です。

 仏具のおみがき、仏花を立てる、お勤め・雅楽の稽古、お荘厳をするなど、報恩講の前に準備されていきます。ご奉仕お手伝い、宜しくお願いいたします。お勤め、雅楽、仏花など直接かかわらなくても、ご関心などお持ちの方は、どうぞ、どうぞ覗いてみてください。

 本年の報恩講も新型コロナういるすぅ感染下の影響により例年とは異なる形で厳いたします。お斎はなし。拡大が劇的に減少しましたが、マスク着用、アルコール消毒をお願いします。

 宗祖・親鸞さまのみ教えにであう=報恩講です。「仏法は、聴聞にきわまることなり」と教えられているように、真宗門徒として聴聞を大切にいたしましょう。

 朝には紅顔あって夕には白骨となれる身なり(蓮如上人・御文)

 親鸞聖人の学びを通して、ご恩を偲び、阿弥陀如来に願われている有り難さを深く味わう報恩講も、もうすぐです。

 真宗門徒の1年は、報恩講に始まり、報恩講に終わる






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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳