寺報 清風






         雲の中の楞伽山


 盆が過ぎ久しぶりに一人旅をした。セイロン島(現スリランカ)は紀元前3世紀のシンハラ仏教王国以来、ビルマやタイへ伝わった南伝仏教の源流の地であり、現在でも仏教が人々の生活の中心にある場所だ。古都キャンディにある仏歯寺を参詣し、その奥の丘陵地帯に鎮座する楞伽山(リョウガセン)を目指した。『正信偈』にある「釈迦如来楞伽山」、かつて釈尊が後の高僧・龍樹が人々を教えに導くと語られた山である。とはいえ、教学者に聞いても自分で色々調べても「スリランカにある山らしい」というだけで、私が勝手にこの山こそが楞伽山であろうと憶測して行ったに過ぎない。

 バックパックを担ぎ知立駅からバスに乗り、中部国際空港から上海へ飛び、上海在住のオーストラリア人の親友と再会する。20年来の友人である彼は私の味覚を熟知しており、早速私の大好物である中国で最も安い「葱油麺」を食べに行く。かつて2元(約30円)だった値段が7元になっていた。夜には酒を酌み交わし中華料理を色々食べたが、蛇の唐揚げが最も美味かった。中指ほどにぶつ切りされた蛇の肉は固く、両手で背骨の両端を持ち肋肉を歯でこそげ落すように食べ尽くした。上海中心部にある彼のマンションに泊めてもらい、翌日に最大都市コロンボへと移動した。夜10時に到着し、初日分だけネットで予約した宿でアラブ人アブファットと知り合い、旅行を終え翌日に帰国するという彼と飲みに出かけ、スリランカの夜は早いこと、旅人の足トゥクトゥクの相場など基本的なことを教えてもらった。ちなみに彼の友人は蚊に刺されマラリアにかかり1週間ずっと寝込んでいた。

 私の旅の基本は、地元の人々に尋ね、移動して安宿を探し、現地の人々と過ごすことだ。今回の旅行中、複数家族で国内旅行をしていた人達と夕食を共にし、日本の歌を歌う条件で酒を飲ませてもらったのだが、団体の一人で、ロシアの大学で医学を学ぶ一人息子のいる母親から「私達の旅行に一緒に加わらないか」と誘われたことが嬉しかった。8年前に熾烈な内戦を終えたセイロン島での毎朝は、一杯の極上の甘い紅茶から始まる。キャンディへは電車で移動、エアコン付きの特別車であったが料金は500ルピー(約350円)、快適な列車旅である。駅からはトゥクトゥクを捕まえ4軒ほど見て周り湖畔の宿にチェックイン、観光地なので2泊で6000円も支払う。街角に立っていた地元民クマンと11時半頃まで安酒を飲んだ。

 次の日の朝、お湯の出ないシャワーで身を清め参詣の準備をしていると、開けていた窓枠に野猿が座っており驚いたが、部屋を荒らされると困るので優しく追い払った。仏歯寺に行くと、他の寺の勤め人でもあるトゥクトゥクの運転手アニーが膝の破れた私のジーパンを見て「それではいけない」と近くの商店で腰巻を借りて丁寧に巻いてくれる。ガイド達が声を掛けてくるが、金もかかるし観光ではないので断った。靴を脱ぎ仏歯のある寺の中央まで行くと、朝の勤行時間を待っている老若男女で混雑していたが、たまたま空いた一人分の板の間に正座した。人々は合掌したり経を唱えており、私も数珠を出して勤行し合掌する。しばらく人々を眺めていると、白服の寺の給仕係が私を手招いた。彼は私の所作を見ており「日本から来た良い仏教徒だ」と笑顔で他の係員らに紹介してくれ、涼しい奥間で休憩させてもらい、献花用の花と共に行列の先頭に入れてくれ、また奥の本尊の間の高僧にも丁寧に紹介してくれた。

 ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
 ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
 サンガン・サラナン・ガッチャーミ


※ 世界中の仏教徒の間で通じる三帰依のパーリ語版。ブッダ(仏)、ダルマ(教え)、サンガ(仲間)の三つの宝を大切にして生きていこうという呼びかけ

 アジアでは歩いて車道を渡るコツを掴めないと10分経っても渡れないことがあるが、この日の夕方キャンディ中心部のバスや車やトゥクトゥクが入り乱れる5車線の道路を渡った時に偶然一緒に渡った男性と、お互いの堂々とかつ安全に立ち止まりつつ前進する歩調が全く同じで不思議と心が通じ合う。道を渡り終えると声をかけられ、彼と飲みに行くことになった。タミル人のディリシャは地元の文化センターに勤める1歳年下で、しかも私と同じく女の子が3人いる。彼に連れられた街外れの静かなバーで、やはり一人旅をするドイツ人の若者とアイルランド人の女の子と4人で閉店まで飲み、帰りはディリシャに送ってもらった。

 次の日は座席がすでに満席で混み合った3等車での移動となった。キャンディから終着駅バドゥッラ間の桃源郷はアジアで最も車窓が美しいと言われている。家族連れの子供達がトンネルに入る度に叫び声をあげ、私も無邪気に開いたままのドアから身を乗り出して楽しんだ。ハットン駅で降りた外人は私一人、バスが運休であったのでトゥクトゥクで1時間かけ、絶景の湖の先にある聖山スリー・パーダの麓の村ナラターニへと向かった。聞くとこの3日間は雨が降り続け、この日も日中は雨であったが少し止んだ夕方に登山道の入り口を確認しに行く。その途中に、年季の入った裸足のオーストリア人僧侶に声をかけ、『楞伽経』を知っているかと聞くとすぐ「あのマハヤナ(大乗)の経典か、知っている」と答えたので、経典冒頭にに出てくる釈迦が説法した楞伽城はやはりこのスリー・パーダ山上で間違いないと、彼の話で確認が取れ安堵した。

 懐中電灯、ナイフ、水など最低限の装備を持ち、翌日の早朝4時に宿を出た。真っ暗闇だが雨は止んでおり、静まり返ったナラターニの村を抜け小川を渡り登山道へと入る。少し明かりのついた涅槃仏に迎えられ、1時間ほど歩き続け唯一開いていた小汚い茶屋に入り、ミルクティーを飲み糖分を補給した。店のオヤジが言うには、今年は5月から4ヶ月間雨が降り続けたが今日のあんたはラッキーだと言う。だが、山の天気は変わりやすい。一服してすぐに出掛け山道の傾斜が急になった6時頃、夜明けの薄明りに見えてきた周囲は一面の霧であった。風が強く小雨が降るなか簡易カッパを着て、転倒しないよう一人孤独に登り続ける。山の標高は2230メートルなので少し舐めていたが、これが辛く最後の30分はまさに地獄の山行であった。全く人気のない山頂では、前日に出会った外人僧が弟子一人を連れシンハラ人の門徒2人とお勤めをしていた。心地良い旋律の小乗仏教の読経が胸を打ち目頭が熱くなった。私も邪魔にならないように自分のお勤めを済ませ、祠の約8メートル下に釈迦の足跡があるのだとも教えてもらった。しばらくして外人僧は裸足のまま、更に道の険しい反対側のラトゥナプラ村へと消えていった。

 下りは登り以上にキツかったけれど、巨大な岩肌から流れる見事な滝に心が癒される。天気は青空が広がる快晴であったが、何度振り返っても楞伽山の山頂は雲の中にあり続けた。この山から七高僧の歴史が生まれ、親鸞を通して現代を生きる私にまで教えが届いたのだと胸に刻んだ。次の日は棒状になった足を引き摺り、更に奥地の岩壁にある石仏ブドゥルワーガラにも参詣した。ここから先が現役バックパッカーの真骨頂、どのガイドブックにも情報のない、といっても旅人用の宿など何処にもないので当たり前だが、辺境の村に泊まりつつ帰路に着いた。

[文章 若院]

※ 興味のある方は書き下ろし版もご覧ください。写真も少しアップしています。



欄外の言葉

 人間の心は平等を喜べない。それが私。 海法龍
 
 どうにもならんことが起こるべくして起こっている。 江本常照



 団栗の 落ちずなりたる 嵐かな   一茶

 新・本堂の襖に一首、玄関の間の襖に表具してあります。一茶の作品です。探し当ててみてください。

≪最終の工事≫

 本堂の地下には、収納のためのコーナーや換気、配線などの点検ができるよう入り口もある。ご本尊は宮殿内に佇んでおられ、下段が須弥壇である。その下の地下には「納骨室」が設けてあります。

 ようやくにしてロッカーが間もなく設置されます。中央の仏間には「五劫思惟菩薩像」が奉られています。その両側には①舞楽図が、右側には楽曲名=武徳、左には胡飲酒の舞人が描かれています。この蒔絵を作成されたのが吉永正人さん。八尾市の仏壇店「八光堂」の作業場で、たびたびお会いして当方の希望を聞いていただいた。そもそも蒔絵とは、漆器の表面に漆で絵や文様などを描き、それが乾かないうちに金粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法である漆の代表的な加飾技法の一つです。拙寺の望む絵柄について、色合いなど細部に言及した。蒔絵の匠師の技が存分に発揮された格調の高い永代・納骨壇の構想が成ったと安堵している。

 九州南端の知覧生まれの吉永さん(60歳)。学業を終えた16歳に、師匠・長野繁彦さん門下に入り蒔絵の修業をスタート、5年を経て工房「吉永工芸」を鹿児島・川辺市に開設。図柄は桐・楓・鳳凰などを最も得意とす。平成11年43歳にして上海・虹橋にも吉永工芸を出店し、主たる拠点としてきた。5年前、八光堂の社長・松本光平さんと出会い、中国から引き揚げ13年ぶりに鹿児島に帰国。松本さんの処には3人の蒔絵師がいるが、難易度の高い作品の折には、薩摩の名工・吉永さんが参加・指導にあたる。拙寺の納骨室の向い正面は、②蓮に蜻蛉。入り口の側面には③竹と雀、奥の面には④松と雁、これら蒔絵壇について、吉永さんを単独指名した。いずれも渾身の作である。

 蒔絵師の吉永正人さんをトップにして製造にあたっている。寺に設置の段取りは9月20、21日をめどに進められている。本堂のご本尊、祖師像、壁画、金障子、欄間などなど「八光堂」さんにて仏具全般を請け負っていただいてきた。いよいよ最終の永代・納骨室が秋彼岸の入りに完工の運びとなった。

※ 納骨堂の使用申し込みは、申込書、規約、しおり等を寺で入手し、ご検討ください。


≪第2回 収骨の受付≫

 新本堂・御本尊の須弥壇の内部に歯骨箱(六角形の骨箱)の収骨を受け付けます。お預かりした遺骨は、須弥壇の地下部に収め、また一部は本山・東本願寺の親鸞聖人の御影堂にお届けします。

 9月23日(土)午前6時~11時まで。第3回受付は来年の春彼岸となります。一体につき2万円をご志納ください。歯骨箱を持参して申込みください。収骨の申込書は再度送付しますが、寺のホームページからもダウンロードできます。


 新豆腐 木賊がもとの 露の影   梯良


≪本堂にてご葬儀を・・・?≫

 葬式会場はほとんどがセレモニーホールで行われるようになってきた。新聞の折り込み広告では、会員獲得合戦の様相を呈している。低価格を表記するも、祭壇およびホール代などの基本料金に、諸経費を加えていくと、総費用などは高い額になっていく。

 拙寺の本堂を葬儀の会場とした場合、祭壇費が不要であるため低価格になる。寺に於いて葬儀を行う場合は、希望する葬儀会社に「称念寺で葬儀を」と相談されれば対応していただけます。その場合は、早めに寺に電話などし本堂の使用状況をまずご確認ください。

 市内の①ファミーユ、②愛昇殿、③かきつばた会館、④ティア知立、⑤やすらぎホール知立、⑥出雲葬祭、⑦ラストサポート(安城)、いずれにおいても葬式を「称念寺」を会場として、申し出下されば対応いただけるとのこと。本堂を式場としてお使いになった折、祭壇は既設の本尊・阿弥陀様ですから、祭壇費がありませんので葬儀の経費が軽減されます。通夜後の少人数の宿泊準備も整いつつあります。よろしければ、本堂での葬儀についてご一考ください。


 行く秋や 手を広げたる 栗のいが   芭蕉







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発行所
真宗大谷派 称念寺
発行人 住職 伊勢徳